見出し画像

「愛想づかし」の後に

マスコミから遮断された世界で、ことばの飢餓感のなかでしばらく暮らしてみると、「ことば」が電波や活字になって、めちゃめちゃに飛び交っている日本の生活が、水の底から空中の喧騒を見上げるような気持で思い出される。「ことば」への不信感、というより、「ことばの過信」への愛想づかしが、少しずつぼくのなかにひろがってくるのを、ぼくはどうしようもない。

(川田順造『曠野から』より)

2011年3月の下旬のある日、"計画停電"が行われるかどうか、という日に思い切って電車に乗り府中から葉山まで出かけ、海辺の美術館でエル・アナツイの展示を観た。その後、その日は"計画停電"が行われないことになったと美術館の人に聞いて、ではもう少し滞在しようと決めて図書室へ降りて行った。エル・アナツイとアフリカ美術に関連する書物がたくさん準備されていたが、その中に、川田順造さんが1970年代に書いた『曠野にて』の文庫本があるのを見つけた。本を手に取り、おもむろに開いたら、上記の文章が目に飛び込んできた。グイッと引っ張りこまれたような気がした。40年前から変わっていないのだ、と思ったのだ。

ぼくが書き、雑誌をやったり、本をつくったりしていることの、根っこにあるのも、その「愛想づかし」なんだろうと思う。
「距離感が大事なんだ」と言った人もいる。似たようなことではないか。
不信感の霧に覆われた中で、それでもなお、何を書くか、どう読むか、というところをウロウロしている。
これはぼく自身が若い頃からずっと抱えている、大きな問題意識と見ていい。

同じ文章の、少し前の箇所からもう少し引こう。

思想や生活感情のさまざまな亀裂で人間の心がばらばらになり、生活の多くの面で人々が合意を共有している状態からほど遠くなれば、たとえ共通であるはずの語彙と文法をもつ「ことば」としての国語が、高い効率をもった情報網を通じて大量に、一斉に流されても、氾濫する「ことば」は、よそよそしいばかりで、人と人の共感をたかめるという本来のはたらきを、一向に果たせなくなる。ことばだけでは、失われた通達可能性を回復することはできないからだ。

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?