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雪が降ると思うこと

朝、ゆっくりめに起きて自室に上がったら窓の向こうでは優雅に白さが舞っていた。出かけなければならない日には厄介な雪も、何もない日には嬉しい。ぼくは鹿児島の、ま、南国の生まれで雪が珍しい。小学1年の時、はじめて雪だるまをつくれた日は嬉しかった。それも朝積もった雪で、午後には溶ける雪だった。

つまり、雪が降るということは、めったにない、いわば非日常の経験だった。だからよく覚えている。すぐそこにある火山(桜島)が噴火して灰を降らせるなんてことは日常茶飯事でありふれたことだったので、日常の経験で、おそらく鹿児島を離れて暮らすことがなければ何でもないことだった。

故郷を離れて、故郷を見た(思った)という経験が、ぼくには大きかったのだ、と今となっては考える。

日常の時空を、非日常の感触で見聞きして表現してみたい。──日常を旅してみたい。そんなことを、いつからか考え出した。

それは、この日常が、いつまでも続く永遠のものでは全くないのだと知った、ということだったかもしれない。

そのくせ、一生同じ土地で暮らし続けるという人生への興味というか、憧れがあるような気もするから面倒だ。ないものねだり、というやつかも。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、2月11日。今日は、"ゾロ目"の話。※毎日だいたい朝に更新しています。

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