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クリスマスの歌

クリスマスの日の朝は、例によって、大騒ぎだった。いつもだったらダラダラ寝ていたい息子が6時半には目を覚まして、「あ、プレゼント、きてるかな?」と起き出す。ぼくは夜中までダラダラしていたので、もう少し眠っていたいが、こどもが嬉しいと、親も嬉しい。──なに? サンタクロースから? よかったねぇ。

ぼくは昨日も右目のまぶたが痙攣し続けて苦しんでいたが、昨夜遅くに入った足湯が効いて、それ以降は揺れない。今朝も落ち着いていて、ホッとする。体調を崩す時はいつも、まず口内炎ができるのだが、今月はそれができずまぶたが揺れ続けた。しかし今日、なんと、口内炎らしきものが口中にポツポツと現れた。あぁ、いつもの体調不良という感じになってきた。よかった。それはそれでつらいが、目がゆらゆら揺れるのに比べたらマシだ。口内炎とは長い付き合いだしね。

家ではいつも以上にクリスマスの音楽を聴いて過ごす。キリスト教徒でない自分が(何教徒でもないのだが)、これらの音楽にどうしてこんなに親しくなったのか、不思議な気もする。ただ、音楽こそが宗教であり、街であるなんて言ってしまいたくなったこともあった。ちょっとキザかも? だけれど、キザかどうかなんてどうでもいいんだぼくは。

クリスマスの歌を聴いていると、ハッピーな、幸せなことばかりではない。アメリカ(合衆国)産のクリスマス・スタンダード曲の多くは20世紀前半に生まれていると思うのだけれど、アメリカだってそんな時代をずっと来たわけではなくて、それ以降はむしろそういった明るさからは程遠い場所を歩んで来たのだということはその"アメリカ"自身がわかっていた。

Laura Nyro(ローラ・ニーロ)のLP"Christmas And The Beads Of Sweat"(1970年作)はクリスマス・アルバムではないんだけど、B面のさいごに"Christmas In My Soul"という曲が入っている。

"わが心のクリスマス"──この歌で、何が歌われているか、ぼくは少し知ってしまっているんだけど、歌詞を日本語にして伝えるのが、難しい。いま、やってみたのだけれど、諦めた。

これが1993年のラスト・アルバム(亡くなったのが49歳ですからね、若かった)に入っている"Art Of Love"になると、もう少しわかりやすい。

"わが心のクリスマス"から、"愛の芸術"へ。後者の歌の方が、どこか観念的かもしれない。ぼくは両方、聴く。片方だけだと、聴き続けられないかもしれない。

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この写真は、息子が今朝、トナカイの足跡があるはずだ、と言って探してきたもの。いよいよ年末で、今夜は夫婦でこの1年の簡単な振り返りをするような会話を少し、した。ここ(note)に、こうやって毎日、書くことも、あともう少し続けます。

(つづく)

日常を旅する雑誌『アフリカ』最新号(2019年7月号)、相変わらず発売中。在庫が少なくなってきたので、お早めに。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダーは、1日めくって、12月25日。今日は、サプライズ・プレゼントの話。

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