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夢をどこに見るか

今年は1月に『2020年の夢』と題した「道草の家の文章教室」の小冊子セットをつくった。2021年の夢ではなく、2020年の夢だ。自分には「夢」とは過去にあるような気がしていた。何気なく「2020年の夢」で書いてみようと2020年の秋の終わりに話したら「面白いですね」と言われた。ああ、そうなのか、と思った。

その小冊子セットには、「2020年の夢」という私の解説が入っている。いま、読み返してみると、2020年に書いたものをかたちにして残しておいて、「1年後、2年後、数年後、あるいは十年後、数十年後に読み返してみたら、どんなふうに感じられるだろう」かというところに、自分は「夢」を見ているようだ。

その後、今年(2021年)は毎月1冊、小さな本を出そう、と話した。ホラを吹いたという感じだったが、サラッとつくれるような小冊子をたくさんつくりたいという考えがあったのだ。ある程度はつくれるという自信もあった。私たちのとっても個人的な出版レーベル・アフリカキカクの、これまで15年の間に積み重ねてきたものがあるからだ。

4月に、自分の『海のように、光のように満ち──小川国夫との時間』を出し、6月には(『海のように〜』と平行してつくっていた)約半年ぶりの『アフリカ』vol.32を出した。

その後、今年の初めに約束していた、犬飼愛生さんのエッセイ集に取り掛かった。その作業には、夏を丸々つかって、完成したのは夏の終わりだった。

そして今月、珈琲焙煎舎の10周年を記念した小冊子『珈琲焙煎舎の本』が完成した。2021年の5冊目である。

年内にもう1冊、『アフリカ』vol.33をつくろうと思っているので、気づいたら年6冊、2ヶ月に1冊つくったという計算ができるところまできた。

このモチベーションはどこから来るのかというと、自分の手元に置いたまま死にたくないと思ってしまったのだった。

私の場合は書くことも、本をつくることも、他のどんな仕事をすることも、縁あって受け取ったものを"出す"というふうなことで、創作も自分のものだという感じがあまりない。受け取ったもの、自分を救ってくれた何かは、未来の誰かに手渡しておきたい。

死ぬこと自体は怖くないのだが、今年つくったものを、つくらないままに死ぬのは嫌だったのだ。で、つくってみると、また次につくらなければならないものが出てくる。これではいつまでも死ねないような気がする。こうやって人は生きてゆくのかもしれないですね。

(つづく)


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