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『音を聴くひと』の予告編の続き

前回のつづき)

昨年の夏、自分が過去に書いていた原稿を読み直す作業を、黒砂水路さんに"並走"してもらいながら、やっていた。

まだ、『音を聴くひと』というタイトルはなくて、ただ「作品集」と呼んでいた。

黒砂さんとやった作業は、純粋に作品をセレクトする際の、手応えの確認だった。

ぼくが「よし」と思っていても、彼は「いまいち」だと言うことがある。逆に、ぼくが「だめだな」と思っていても、彼が「これはよし」と言うこともあった。

黒砂さんという読者は、ぼくという書き手にとっては、深く読み込んでくれるというよりは(そういう場合が全くないというわけではないが)、サッと読んで思ったことをストレートに言ってくれる。

今回、ぼくは冒険したいわけではなくて、「名刺がわり」になる作品集をつくりたかったのだから、彼がサッと読んで「よくわからない」と言いたがるような作品を頑張って載せたいという気持ちは最初からなかった。

今回の本を、深く読み込むひともいるにはいるだろう。でもそれはあるていど稀有な読者であって、きっと多くのひとはサラッと読むだろう。と言ってる自分だって、読者になったらサラッと読むひとの方になりそうだ。だって、そうやって読んで、たのしめる本にしたかったのだから(自分の持ち味は、それだけじゃないけどね、と)。

『音を聴くひと』に載っているものは、黒砂さんが「これはいいね」と言ったものを中心に選んである。

そうじゃないものも少しだけ載ってはいるが、それは、昨年の夏にはリストに入っていなかった原稿だ(じつは、目次に載っていない原稿も、少しあるんです)。

大枠が決まったのは、昨年の秋で、目次を検討しつつ「あとがき」を書いていたのが11月頃だろうか。「音を聴くひと」というタイトルも秋には決まっていた。うまくゆけば年末年始には完成するはずだった。

が、12月のはじめ、妙な具合に体調を崩した。思えば、その前から調子は悪かったような気がする。まぶたがブルンブルン震えて、ただ座っているだけでも気分が悪くなって伏せっているようなことが多くなった。

それで年末は何も進められないまま、過ごしてしまった。視界が揺れるので、読むことがしんどかった。そんなある日の夜に、Twitterで、ぼくの書くものにかんして、「否定形による、強い肯定のことば」が投げかけられるということがあった。

そのことは、自分にとってほんとうにありがたい、大きな励ましになった。

戸田昌子さんに返信して、そのことばを、これからつくるぼくの本の帯に使わせてもらってもいいですか? あ、でも、帯はいらないから、何かそれに近いかたちで… と、その時はお話しした。

その時のことば、今回の本の、あるページに、置かせてもらった(そのことはまた書きます)。

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そういうことがあった後も、ぼくの体調はイマイチだった。大晦日にはついに高熱を出してしまって、救急に行ったりもした(大晦日の救急は病人で溢れかえっていた)。ただ高熱が出て苦しいだけで、それ以外の風邪らしい症状は何もなく、それまで味わったことのない、不思議な発熱だった。

新型ウイルスの騒動が始まる前夜、という頃だった。

快復の兆しが見えてきたのは、1月末だった。それまでの2ヶ月間は、とにかく、ずーっと怠かった。

その後、ぼくはまた自分のリハビリというつもりで、(準備ができつつあった作品集ではなく)『アフリカ』を先につくった。

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その後、できるだけ素早く、自分の作品集の制作に戻るつもりだった。新型ウイルスの問題が膨れ上がったのは、その頃だった。

何が起こっているのか。何が起ころうとしているのか。気になって、そのことをずっと考えているようになった。それでまた、動きが止まってしまったようになった。自分という奴は、難しい。

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この春は、妙な具合に、昔のことばかり思い出していた。忘れていたようなことも夢に出て来たりして、嫌でも思い出すことがたくさんあった。

思い出すことには歓びもあるが、同じくらい苦しさも伴った。

こんな時だから、いまできることをやっていよう、と考えたことは、多くのひとと同様にあった。

しかし、自分にとって「いまできること」は、これまでもやってきたことが大半で、そういうふうに力むことは、調子を乱すことにつながった。

いつだって困難な中でやってきたので、あらためて困難を理由にするのも、バカバカしいではないか。

そんな中、じわじわと感じられてきたのは、いま、この状況が自分の表現にどう影響するか、ということではなく、自分がこれまで書いてきたこと、つくってきたものが、この激動の時代の中でどういうふうに見えてくるか、だった。

『音を聴くひと』には、新型ウイルスのことは何も出てこない。書き下ろしの「あとがき」にも、出てこない。「コ」の字も出してない。出したくなかったからだ。

この事態を、なかったことにしたいのではない。逆に、強く意識するから出したくないわけだ。

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準備していた本を出すのがこんな時になって、大変だね? いや、こういう時だからこそ、この本のもっている力が、出るんじゃないか?

今回、この本にかかわってくれた人たちは、声をそろえて「いい本だ」と言う。でも、そこでもやっぱり、編集者としてのぼくが意図して仕組んだ部分は少なくて、ほとんどは偶然が重なって、こうなった。

大瀧詠一さんが生前にラジオで、こんなことを言っていたのを思い出す。──「必然って、いつも、偶然の仮面を被ってやってくる」

(つづく)

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