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「朝のページ」を読む。少しだけ。

相変わらず、毎朝、起きたら、「朝のページ」を書く。ノートを開き、ペンを持って、頭にやってくることばをただざーっと書き写す。ゴミ捨てとか朝食が先に来ることはあるが、その次には「書く」だ。もう4年半続けている。

自分以外の誰も、読むことのないもの。少なくとも自分が死ぬまでは誰にも読ませたくない。自分ですらほとんど読み返さないもの。日記ではない。日記のようなものを書く朝もある(主に前日の日記ということになる)。でも日記ではないのだ。朝に書く理由の多くは、そこにある。夜に書いたら、日記になってしまいやすいだろう。

読ませたくはないが、どんなことを書いているか、ここで説明するのは構わない。少し書いてみよう。

いまから数日、さかのぼって、10/10(土)の朝は何を書いたかというと、その日の午後に鎌倉でやった「道草の家の文章教室」に持ってゆくための文章の、下書きのようなもの。今月のテーマは「歩く」だが、前夜まで、持ってゆくための(参加する方に紹介したい)資料の準備をしていた。で、いざ自分が書こうとしたら、「人は転んでも、必ず立ち上がる」と言われた12年前の出来事が思い出された。その時、ぼくは最後になった再就職活動をしていて、梅田のハローワークで出会ったある人に、相談にのってもらっていた。その人とのやりとりは、いま思えば、ぼくがその後、自分がどうやって生きてゆこうかと考えるにあたって、重要な役割を果たしてくれた。──と、その朝、急に気づいたのだった。ずっと、そう思っていたわけではない。12年の時を超えて、その人の声が蘇ってきた。「歩く」には、まず「立ち上がる」ことが必要だから。

その人は、ハローワークの職員というわけではなかったのではないか。相談員として、どこからか来ていた。その時、ぼくはいちおう再就職はできたのだったが、その就職は1年も続かなかった。それどころか(これはよくする話なのだが)、入社初日の朝礼で、経営者が話すのを聞いて、「あ、ここはダメだ」と思った。

これまで通り、それで終わらせてもいいのだが、いま「文章教室」に来てくれている人たちの顔を思い浮かべたら、もうひと押し、書きたくなった。書けるかな。そこで少しひと息ついた後、こんなふうに書いた。

 表と裏が乖離していることに何の疑問も抱いていない。表と裏があることに傷つくほど自分は若くなかったが、しかしその状態を持続してゆけば、いつか壊れるだろうということは想像できた。

そのあと、最後の退職(失業)をする頃、週末には必ずと言っていいほど近隣の山に出かけていた。登山をする人たちは"低山"なんて言う。それなら、巨大な丘とでも言っておこうか。とくに六甲の東側の山々は住んでいたところから近くて、庭のように感じていた。その頃のことが、ぐわっと思い出されて、そのことを書いた。

「朝のページ」には、せせらぎを辿って美しい滝を見に行ったり、道なき道を入って引き返したりという話は出てこない。それは、原稿としてまとめようとした時に、こぼれ出てきた。

その1週間前の、10/3(土)の朝には何を書いていたかというと、『アフリカ』に送られてきて、読んだばかりだった、ある原稿のことが書かれている。そこには、いまはなき某ジャズ喫茶が出てくるのだが、読んでいるぼくもつられてジャズのレコードを聴いており、Max Roachの"Lonesome Lover"についてあれこれ書いている(ちなみに、その原稿にこの曲は出てきません)。

10/6(火)の朝は、前日、息子が帰って来るなり「今日はパパとママにお土産があるんだ!」と目をキラキラさせらながら言い、手提げいっぱいのどんぐりを見せてくれたエピソードに始まり、いよいよ署名活動が始まった「一人から始めるリコール運動」に触れて政治をめぐる話を書いた後、なんとか生き延びてゆくために、様々な場面で必要になる〈方法〉や〈道具〉をもっと理解したい、云々。

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さて、今朝はどんなことを書いたかというと、「書くスピード問題」について。なんだそりゃ?

ぼくは常日頃、何かを読む際には、それに合ったスピードがある、というようなことを思っているのだが、もしかしたら同じようなことが書くことにも言えるのではないか。ものすごく速く書いた文章は、その分、速く読んでちょうどいい。遅く読むとどうなるかというと、速く読む時には感じられない雑な部分が見えてしまう。あるいはその裏にあるものを感じてしまうのだが、書き手はたぶんそれに気づいていない(書いている時は)──かどうか、わからないが、そんな仮説を立ててみたわけだ。

「わかりやすい」とか「読みやすい」とか、そんなことが褒めことばとして言われることが、この社会では、ますます増えてきているのではないか、と想像している。

「わかりやすい」「読みやすい」ということが悪いことだとは思っていないが、それはつまりそういうものなのであって、そういうものこそが良いとなってしまったら、ぼくはウンザリしてしまう。そうじゃないものも大事だよ! と。もっといろいろなやり方があるんだから。

そのことと〈速度〉は、じつは関係があるのではないか。

簡単にゆくか、簡単にゆかないか、という言い方もできそうだ。

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そのことはまだ考え始めたばかりなので、全然まとまっていない。朝のページは、そうやってまとまっていないことを遠慮なく書いて良い場であり、試しにちょっと書いてみるとか、考えてみるといった、"実験の場"にもなってきた。

(つづく)

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