「何もしたくない」という声
(「声のルーツを探る」のつづき)
いろんな声の影響を受けながら、自分というものが存在している。耳をふさぎたくなることもある。しかし何らかの声は、いくら耳をふさいでも、聞こえてきている。
──いま、どうしたい?
そう問いかけると、ぼくは必ず、
──何もしたくない。
とこたえる。いつだって、このこたえは同じだ。しかし「何もしたくない」ことの内容は、変わってきているような気がする。
──いま、どうしたい?
という声が、どこから聞こえてくるのか、誰の声なのか。自分なのか、あるいは、自分以外の誰かなのか。
「何もしたくない」のは、こどもの頃から、延々とつづいてきたぼくの気分のようなものだろう。
「何もしたくない」と思うのには、しかし何かしらの理由があるはずだ。
ところで、何もしたくない、ということは、何も書きたくはないんじゃないか、と、そう思わないでもないのだ。
書きたくない、書きたくない、書きたくない!
必死でそう思えば、思うほど、聞こえてくる声は、クッキリしてくる。
あなたは、もう書いている。──その声は、そう言っている。
(つづく)
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