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声のルーツを探る〜幼年時代

家にこもらなければならないなら、自分のルーツを辿ってみるようなエッセイを書いてみたい、と先月から考えていた。できれば、自分が生まれる前、祖父母の時代から、これから先の、未来へ続くような、声のリレーを書いてみたい。

 *

自分のこどもの頃を思い出してみると、あまり"いい奴"だったという気がしない。嫌な奴、という気はする。だから、あまり書きたくないのだが、いちおう自分のことなので、いなかったことにもできない。

少し言いかえてみよう。

言いたいことを、言えない子だった。吃音によるところもあっただろうが、いや、そうじゃない、言いたいことを呑み込む、という癖がついてしまっていた。

誰かに対して言いたいことが出てきたとする。言えば、その反応がわかるのだが、言わないから、悶々としてしまう。その悶々が溜まれば、欲求不満になり、妙な言動にもつながってしまう。いや、そんなつもりはなかったのだが… ということを言ったり、やったりしてしまう。友達のものをとってしまったり、そっと悪戯をして黙っていたりする、ほんとうは、構ってほしかったというような話だという気がする。あ、そうか、こどもの自分はまったく素直じゃなかった。

自分で、自分が、情けなかった。でも、変えられなかった。どうしようもない、と思っていた。母も、ぼく(息子)のことが嫌いだった、というようなことを、後年、話していた。ある頃までは、という限定つきで、だが。

なぜ、言いたいことが、言えなくなってしまったんだろう。

これは、おそらく… の話だが、何か自分の希望を伝えると、断られる、という経験を立派に積んでいたんだろう。自分は、大切にされていない、というか…(あたたかい家庭に育ったという気持ちもあるので複雑なのだが)

スムーズに話すのにはとても苦労していたはずだ。が、自分ではそれほど吃音のことで悩んでいたという記憶はない。

学校の教室で、本読みの時に先に進めなくなり(言いにくいことばを省略して進めないからだ)、嫌な思いをしたりはした。しかし友達と遊ぶ時に、吃音で困っていたという記憶はない。

しかし30歳をすぎてから、久しぶりに従兄弟と会った時に、「あれ、あんまりどもってないね?」と驚いた顔をされた。「ただ話をするのに、そんなにどもってた?」「うん。いまみたいな話し方じゃなかったよ」

ほんとかよ? でも、聞いていた人がそう言うんだから、それくらい普段からことばに詰まって、どもり、どもり話していたんだろう。

記憶というのは曖昧なものだ。

こどもの頃から、こんな話し方しかできないんだから、仕方がないじゃないか! と思っていた。それは、間違いない。治したいとか、治さないとやってゆけない、といった悲壮な気持ちではなかった(たぶん)。

しかしその記憶も、よく考えたら、アヤシイのかもしれない。間違いない。でも、アヤシイ。難しいなぁ。

転機は、小学5年の春に来た。

魚屋をやっていた祖母が、店をたたむにあたって、叔父(祖母にとっては息子)の家で同居することになった。祖母は月曜から土曜までは魚屋の奥にある4畳半くらいのスペースで暮らし、日曜は週末の家(2階建ての一軒家)で過ごしていたのだが、その家をリフォームして、ぼくたち家族が住むことになった。車で移動すれば15分ほどの距離だが、こどもの自分には、その引っ越しがとても大きな移動のように感じられた。その春、ぼくは転校した。

転校するのは、何だか妙に嬉しかった。そう記憶している。嬉しそうに「転校するんだ」と言い回っていたので、クラスメイトは呆れていたのではなかったか。

転校する前の学校の通学路は、どこへ道草しても平坦な道だった。転校した先の学校は、階段や坂をずっと登っていった上の、丘の上にあった。それでぼくの脚力は鍛えられた。歩くことが重要になった後年の自分には、大切なことだ。

転校する前は、運動もダメ、勉強もダメな人だった。転校した後は、運動はやはりダメだが、勉強の方の成績は、なぜか急に良くなった。やる気になったのだろうか。点数を稼ぐようになった。

引っ越しの前に通い始めていた碁会所のこども教室で、力をつけたりもした。学校以外の場所で、同世代のこどもたちと交友が生まれたのも、自分にはよかったのだろう。

その頃の記憶で、いまの自分にとって何よりも重要なのは、引っ越したばかりの家で、毎晩、寝る前に、母がぼくたち兄妹に本を読み聞かせてくれたことだ。

母は結婚前に、2年間だけだったが、小学校の先生をしていた。しかし、小学5年の男の子に、母親が本を読み聞かせる? たぶん、妹たちがいたからだろう。

母はある夜から、灰谷健次郎の小説『兎の目』を読み始めた。毎晩、少しずつ読んでくれて、その物語にぼくは夢中になった。母の声で読んだわけだ。毎晩、寝る前のその時間が楽しみになった。最終回の夜は、終わってしまうのが、名残惜しかった。しばらくして、ぼくは自分の目でもそれを読んでみる気になった。何度、読んだか知れない。

それから、少なくても10年は、ぼくは本を読む時に"母の声"で読んでいた。文字を追う(黙読する)時に、ぼくの耳には、母の声が聞こえていた。その頃には、母の声で読んでいるという自覚はない。大人になって、ある時に、そのことを強く意識した。意識し始めてから、しばらくして、気づいたら、それは"母の声"だとハッキリわかるものではなくなっていた。

しかし、読む時に、相変わらず、何らかの"声"が聞こえていることは、確かだ。誰の声なんだろう? 自分の声? いや、そうではない。音読する時に感じられる自分の声ではない。なら、他人が聞いている自分の声なのか? それも、何だか違うような気がする。その声の正体は、いったい何なんだろう? とぼくはある頃から考えるようになった。

(つづく)

あの大陸とは“あまり”関係がない道草の家のプライベート・プレス『アフリカ』。読む人ひとりひとりの傍にいて、ボソボソ語りかけてくれるような雑誌です(たぶん)。その最新号(vol.30/2020年2月号)、ぼちぼち販売中。


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