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拝んでいたら壁から推しが出てきたので共に暮らします!第一話
あらすじ
普通を愛するOL、夢乃の唯一普通じゃないところは『推しへの愛』。
野球漫画のキャラクターである高瀬くんを毎日拝むのが習慣だ。
ある日、一度でいいから会いたいと呟くと壁から高瀬くんが現れる。三ヶ月後の大会までに戻さないと彼は甲子園に出られない。その間一緒に暮らすこととなるが…
お互いに思い合うも、いつかは二次元に帰らなければならない高瀬。
夢と愛の二択で、高瀬が選ぶのは?
本当に二人はもう会えないのか…?
年の差ラブコメからの、切ない恋物語。
キャラクター説明
高瀬直人
高校三年生。甲子園常連校の野球部副キャプテン。
自信家でラッキーボーイに見られがちな原作随一のホームラン王。
だが、実はセンスではなく努力で上り詰めており、「人の倍やらなきゃ勝てねえ」と言う。
夢乃のことを最初は変な人だと思っているが感謝している。
ある日、夢乃が初めて自分以外のことで笑っているのを見て、夢乃に惹かれ始める。
井上愛莉
持ち前の可愛さに驕らず仕事も美容も常にアップデートを図る。
大学卒業と同時に大富豪と結婚したが仕事を大量に抱えている
吉方祐介
夢乃の大学の先輩。
180cmの長身から威圧感を感じられないのは、涙袋のせい。通った鼻筋と長めの黒いスポーツ刈りは清潔さをまとっている。営業部のエース。
夢乃のことが好き
第一話
「今日もお疲れ様でした」
壁に向かって一人頭を下げる。
松崎夢乃、二十五歳。名前とはうらはらに、
なんとか生きるがモットーのリアリストだ。
「松崎さん、彼氏いないの?」
この手の類いは慣れっこな夢乃は、いません、とにっこり微笑む。
現実主義者の夢乃は、仕事をして、家賃が払えて、一人で生活ができる、平凡なOLだ。普通と平均を『意識して』愛している、という方が正しいかもしれない。
そんな彼女が唯一夢を見ているのは、今、目の前にいる男だけだ。
「高瀬くん、ただいま」
壁に掛けられているのは、大きさ二十センチほどの、少年マンガの複製原画だった。
「ああ高瀬くん……今日もカッコイイ……」
"高瀬くん"こと、野球漫画『闘魂』のキャラクターに向かって、夢乃は手を合わせる。
"高瀬くん"を拝むのが、普通を好む彼女の変わった日課だった。
高瀬直人。高校三年生、強豪野球部の副キャプテン。
ホームラン王と呼ばれるほどの打率を誇る、俊足ショート。その実力ゆえドラフト確実との噂だ。もちろん、公式の設定で、だが。
そんな夢乃の、至って普通の日常が、突如一変する。
「一度でいいから、会いたいなあ」
何気なく呟いた。
いつもは推しとどうこうなりたいなど、畏れ多いと一歩引いている。
神様と付き合いたいと思うだろうか? つまりそういうことだ。自分にとって高瀬はその立ち位置にいた。
だがその日は仕事でほとほとに疲れていて、ついうっかりこぼしてしまったのである。その瞬間、壁が強く光った。
(え、何!?)
ライトの故障……いや、そんな次元の光ではない。目がチカチカするほどの中、壁がぐにゃりと歪む。そして、夢乃は絶句した。指を差しながら床に尻もちをつく。痛さなど感じなかった。だってそこには、
「た、た、た、」
(高瀬くん!?)
そう。そこには夢乃の神様こと……高瀬直人がいたのだ。
二次元のみに存在する、高校球児なのに長い焦げ茶色の髪。これまた仕組みのわからない、目元だけが開いた鼻先までの前髪。
ハーフのような金色の瞳を不安そうに揺らして、高瀬くんが言った。
「誰? ってかここどこ、ですか?」
(圧倒的顔面美! 顔面最強すぎでは?!)
頭の中が文字で埋め尽くされていく。机を拳で叩きたいほどの萌えに、夢乃は頭を抱えた。
(って、悶えている場合じゃない!)
夢乃はしばらく男を見つめた後、自分の服装を省みた。
(高瀬くんにいつか会うことができたら、フリルのトップスに花柄のスカートって決めていたのに!)
現実は、上下別のパジャマである。
(夢なのに、なんで可愛い服装じゃないの……!)
先ほどとは別の意味で頭を抱えた。
百面相を続ける夢乃に、高瀬くんはついに困り顔から怪訝な顔へと変えた。
「お姉さん、大丈夫?」
(どれだけ好きかを伝えたい!)
「あ、あの……」
(えっあと何分? 何分ありますかこの夢?)
打ったお尻が猛烈に痛いのだが夢に違いない。それか死んだかだ。
「大丈夫?」
高瀬くんが、訝しげに、けれど地の人の良さが隠しきれない心配の声で問う。
そして腰をぬかしたままの夢乃に、手を差し伸べた。
(な、なんたる幸福……!)
この手を握るまで絶対に目を覚まさないぞ!
と固く誓う一方で、仕事を頑張ってよかったと感涙しながらその手を取る。そして、近所迷惑さながらに叫んだ。
「えええええええええええ!!」
(なんで感覚があるの?)
高瀬くんのマメだらけの手のひらが刺さって痛い。上から下まで見渡すが彼は透けてなどいないし、お腹辺りをグーで押してみると通り抜けもしなかった。
「え? なんで俺殴られてんの?!」
綺麗な上がり眉を下げて、高瀬くんが困惑する。
「えっと……高瀬直人くん、ですよね?」
「俺の事知ってるんですか?」
「青葉高校の、野球部の?」
「詳しいっすね」
目がなくなるほどのくしゃっとした笑顔で高瀬くんが頭をかく。原作で何度も見た顔だ。
周りを見渡す。こちらは、現実で何度も見た自分の部屋だ。
(間違いない。これは、三次元。そして、本物)
またも腰をぬかしそうになった。世界の反転どころではない。次元を超えた。しかも二次創作でよく見る『ヒロイントリップもの』ではない。
(高瀬くんが、次元を超えた……?)
自覚した瞬間、手を握ったままなことに気がついて、夢乃はその場で気を失った。
◇
夢乃がいかに普通かというと。
キラキラ系女子ではないが、干物ほど枯れてもいない、ほとんどの女子が属しているタイプだ。
インスタグラムのアカウントはあるが投稿はしない。
お金が無限にあれば、自炊なんて面倒なことはせずアニメを見ながらコンビニ弁当を食べているに違いない。
美容院が面倒くさいという理由だけで黒髪のセミロングを貫いている。
つまるところ、自虐できるズボラもなければ、SNSに投稿できるほどオシャレでもない、そんな生活だ。
高瀬直人の存在以外は。
1DKの中に軒並み広げられた高瀬グッズが、彼女が公式に費やした額を表している。
その部屋……つまり自分の顔だらけの部屋で、高瀬くんが呟いた。
「いや気絶したいのは俺の方なんですけど」
一通り説明した夢乃が差し出した原作『闘魂』を読みながら、高瀬くんが呟く。
「本当にすみません……」
どれくらい気を失っていたのだろう。異世界で、知らない女にぶっ倒れられて、その場で佇むしかなかった高瀬くんを思うと本当に申し訳ない。切腹を命じられても応じるレベルだ。
しかし言葉とはうらはらに、彼は重く受け止めているようには見えない。高瀬くんがあぐらを掻いてページをめくる。
「うわー、俺かっけえ。なんか不思議だなあ」
(うわあ、キャラブックの通りだ……!)
高瀬くんの座右の銘は「何とかなるだろ」だ。それ故か、こんなトンデモな状況も意外に受け入れている。
「しかしどうすっかなあ。ええと、お姉さん? この辺りで未成年が泊まれるところ、ある? いや、あります?」
原作では口が悪い高瀬くんが、丁寧語に変えて尋ねる。自分の名前と、敬語のイメージがないからタメ口でいいことを伝えると、思案する様子なくオーケーされた。
(推しの適応能力、高すぎる!)
さすか我が推し。最高。
と拳を握って悶えた後、夢乃はようやく考えた。
(え、泊まれるところ?)
元の世界に帰れるまで、一緒に住むことになった高瀬くんは、胡座をかいて『闘魂』を読み続けている。
(高瀬くんが、家に、住む? 一緒に?)
どのワードも信じがたくて硬直する。
「おーい、お姉さん?」
高瀬くんの声も今の夢乃には届かない。
「あの、本当に? これ、死後の世界とかじゃないですよね……」
「多分」
「じゃあ夢だ!」
何度つねってもも目を覚ます気がないらしい自分の頬を、夢乃は勢いよく引っぱたく。
ぱぁん! といい音が響いて、高瀬くんが切れ長の目を見開いた。
「ちょっ、大丈夫!?」
心配するその瞳には自分が映っていて、またも気を失いそうになる。
(こんなの、都合のいい夢すぎる!)
再び腕を振り上げたところ、高瀬くんに止められた。
「いやいや。お姉さん……松崎さん、Mなの? 痛いからやめろって」
美しい顔を一切崩さぬまま手を掴まれて、夢乃は
鼻血を吹いた。
◇
ヲタクには色々種類がある。
推しを拝む尊い系、キャラクター同士を脳内でくっつけて妄想するカップリング系。
そしてキャラクターに恋愛感情を抱く、いわゆる夢女子系。
他にもあるのだろうが、夢乃はこの三つしか知らない。
夢乃は、推しを拝むヲタクだった。
彼に会えるのなら全財産投げうってもいい。だが自分が隣に立つ想像はできない、という厄介なタイプ。
「で、俺のファン? なの?」
「はい……とても……」
それはもう、全身全霊全銭にて応援させて頂いております! と心で返す。
「だろうな」
高瀬くんが呆れた顔をする。そりゃそうだ。気絶して鼻血を吹いた女にする顔としては、最適解である。
彼はその見た目と努力家な性格が相まって、原作でもモテている。
が、野球にしか興味が無いと告白を断った、という描写があった。キャラブックの52ページ目。
だからさぞウザがられるだろうな、としょげていたのだが。
高瀬くんはその呆れを引きずる様子はなく、一瞬で表情と話を変えた。
「じゃ、野球好きなんだ」
素晴らしすぎる推しのコミュ力と優しさに、心で感涙しながら、身は萎縮したまま答える。
「す、好きになりました。この作品見るまで詳しくなくて」
「へえ! じゃ、俺がきっかけかあ」
嬉しそうに笑う高瀬くん。原作通りの、形のいい目を無くすほどの満面の笑み。
(ああ、好き。死んでもいい)
「ちなみに、元々は野球どれくらい知ってた?」
「えと、ホームランは全て、四点入ると思っていました」
その笑顔のせいで、ついうっかり口にしてしまった。
「嘘だろ!?」
そんなことある!? とゲラゲラと笑う高瀬くん。
(あ、これはチームメイトと下らない話をしている時のキャラデザ……!)
なんてときめいてる場合ではない。
「すみません本当に!」
不快にさせてしまったらどうしよう、と必死で頭を下げる。高瀬くんに嫌われたら生きていけない。
(既にマイナス5000点くらいの印象を何とかしなければならないのに……!)
が、彼は特に気にした素振りもなく、むしろ楽しそうだ。
「もしそうなら、俺一人で二十点くらい取れるな」
原作でも随一のホームラン王が親指を立てて言った。
(神様……)
あまりの尊さに涙した。
(って待って!?)
推しこと神様こと高瀬くんとの逢瀬に感激していた夢乃だが、「練習してえなあ」という彼の一言で我に返った。
未完だが、『闘魂』では十八才の夏に彼は大会に出場しているはずだ。
あわててキャラクターブックから年表を探す。西東京大会の開幕は、七月初め。
今は三月の末だ。
「た、高瀬くん。この世界に来たきっかけとか分かったり……」
「しねえな」
「デ、デスヨネー」
気を失っていたせいで、日付は跨いでしまっている、つまりこれは夢でも、時が過ぎれば解決することでもない。このままでは最後の夏が始まってしまう。
あと三ヶ月で、何としてでも彼を元の世界に戻さなくては……!
こうして夢乃の、夢の世界が始まった。
◇
いつもはぼーっと朝のニュースを眺めているだけなのに、まさか高瀬くんを目の前にすることがあるなんて。
トーストをかじりながら、彼の顔をまじまじと見つめた。あまりの美しさに嘆息が漏れる。
推しが目の前にいる、というのは夢みたいな話だが、悲しいことに世界は現実のままである。
遅刻ギリギリで会社に滑り込み、社員証をタッチする。いつもより入念に化粧をしてしまった。
「あれェ、松崎さん遅いですね? 何かメイクもいつもと違うし」
声をかけてきたのは井上さん。二十三歳で年下だが、正社員だ。茶色の細い髪は、毎日丁寧に巻かれている。
「さては……いよいよ"フツー"、卒業したんですかッ!?」
「してない、してないから。静かに」
「えぇ~ッ」
私がリアリストだとしたら、彼女は夢に溢れたドリーマーだ。
大学卒業と同時に結婚した彼女の夫は超大金持ちで、働かなくても豪遊できるほどである。だが彼女は家には入らず、仕事に勤しんでいる。
「井上さんは今日ナチュラルだね」
「ああ、今日はエステなんで。明日はメンテデーなんですう」
「メンテデー?」
「あらゆるところをメンテナンスする日ですッ」
語尾にハートをつけて、井上さんが両手を胸の前で握りしめた。普通ならぶりっ子に見えるポーズも、様になっているからすごいな、と夢乃はいつも感心する。
本人いわく、可愛くて愛されながらも、好きな仕事をしている自分が好きらしい。そのための努力は惜しまないので、仕事もできるという有能な子だ。
仕事ができる、というだけでもう悪い存在ではないのだが、夢乃には少し頭が痛い存在だ。
「旦那さんもいるし、十分可愛いし、仕事もできるし。何をそんなに上を目指してるの?」
すると彼女は笑って「何言ってるんですかあ!」と一蹴した。
「夢は持ってなんぼでしょ? 夢がないと生きられませんよォ」
つまり、普通を愛する夢乃の対極にいるのが井上愛莉だった。
「なんだァ。松崎さんにもようやく春が来たのかと思って喜んじゃいましたよォ」
丸っこい語尾とともにガックリと肩を落として井上さんが言う。彼女のことは嫌いではないが、夢乃にとってコンプレックスを刺激する存在ではあった。
夢乃は普通……平凡をこよなく愛している。
仕事もそこそこ、見た目も不潔でなければよし。生きていけたらそれでよし。お金は全て高瀬くん関係に注いでいる……といった点を除けば、夢も希望もない、平凡なOLだ。
「そもそも、フツーってつまらなくないですか? もっとこう、夢とか希望とか持って生きましょうよォ」
つまらない。
その言葉がグサリと喉に刺さる。
井上さんの性格からして、夢乃がつまらなく見えるのは仕方がない。夢乃も、彼女のキラキラした生き方を内心では羨ましく思っている。
けれど、できない理由があるのだ。
「普通もいいものだよ」
愛想笑いで場を終わらせて、夢乃はコンビニで買ったコーヒーを一気に飲み干した。
◇
昼休み。高瀬くんに無事かどうか連絡しようと思ったけれど、彼に携帯を与えるのを忘れていた。
(これは今日、絶対定時で帰らないとな……)
なんて思っていたところ、ランチ相手の吉方祐介が目の前の椅子を引いた。
「いつもお弁当のお前から誘ってくるなんて珍しいな。で、何があった?」
祐介は大学時代からの友人で、二つ年上の先輩だ。派遣先が祐介の会社だったときは驚いたけれど、昔からの友人がいて安堵したことを覚えている。
そんな祐介はとても鋭い。私が話を切り出す前に察していたようだ。
本当は祐介に、高瀬くんのことを相談しようと思っていた。が、祐介の顔を見ると言えなくなる。
ついに頭がおかしくなったかと思われるのではないか――。
本人を連れてきたとしても、似た高校生を誘拐してきたかと思われるかもしれない。
祐介はヲタク趣味に理解はあるものの、度を越している夢乃の愛に半ば呆れてもいるため、どちらの反応も自然に思えた。
となると、言えることといえば今朝の井上さんの発言くらいで。
「フツーってつまらなくないですか、って言われちゃった。もっと夢とか希望とか持って生きましょうよって」
普通のどこが悪いのよ! と二杯目のカフェインを煽る。前の会社にいた頃の癖がまだ抜けず、夢乃はカフェインジャンキーだ。
「推しのグッズに囲まれて死ぬのって、孤独死っていうのかなぁ? なんて言ってた人間が普通なわけないだろ」
「高瀬くんのことはおいといて! 私は平凡に生きたいの!」
「井上さんの言い分の方が共感できるわ」
「言い返せなかったことが悔しい……」
「ってことは自分でも分かってんじゃん」
「うっ」
でもさあ、とアイスコーヒーの氷がカランと鳴るのを見ながら呟く。
「わざわざ苦労しなくても、普通に生きられたらよくない?」
「お前、昔はそんなんじゃなかったのにな」
「やりたいことのためならなんでも頑張れる! ってタイプだっただろ」
「そんなこともあったっけ」
「あったよ」
「だとしたら、昔のことだよ」
と、夢乃は苦い思いで一息をついた。
◇
夢乃は新卒の頃、ゲーム業界に勤めていた。
「なんでこんなことが出来ないんだおめェは!」
「すみません! すみません!」
終電なんて概念は当たり前にない世界。会社で起きて会社で寝る。時間は三十分。
そんな世界に夢乃はいた。
上司の分の仕事の処理もしていたら、週七で朝から朝まで仕事していた。
ずっと夢見ていたゲームの制作、開発部。憧れていた世界。夢乃はその会社で働いていくうちに、感情を無くしていった。夢乃が直談判した頃には、上司のパワハラは悪化していた。
「お前ここ辞めて他で働けると思ってんのか?
どこ行っても通用しねえよ、お前みたいなヤツ」
「すみません……」
それは夢乃を洗脳するのに十分な言葉だった。
そんな生活を続けているうち、さすがに体を壊して家で療養することになった。ここで夢乃は、神様――高瀬くんと出会うことになる。
(出社したら怒られるだろうなぁ、もう生きていたくないなあ)
そんなことを思っていたとき、適当につけたチャンネルで一挙放送されていたのがアニメ『闘魂』だった。
(へぇ……こんなのやってるんだ)
まだ二年生の頃の高瀬くんがそこには映っていた。
話の流れは半分ほどしか分からなかったけれど、見ているうちに試合に入ってのめり込んでいく。
地方大会の準決勝で、ホームランを打った高瀬くんが、人差し指をまっすぐ掲げて、ベースを駆け回るシーン。
三対零で負けていたのに、結局そのホームランがきっかけで逆転勝利してしまった。
だが、次の話で高瀬くんが怪我をしていた事が発覚する。
それでもいつも笑顔で、チームメイトに誰一人として気付かせず、「俺が一番! お前らは最高!」と笑う彼に夢乃は心が震えたのだ。
(どうしてここまで頑張れるんだろう……)
十六歳の男の子が、体を痛めて、誰にも言えず、それでもキツイ練習を経て、本番で逆転ホームランを放つ。
夢のような人だ、と夢乃は思った。
人の夢を全て具現化したような人。
夢を追うとはこういうことなのだ、と肌で感じた。
気づいたら夢乃は泣いていた。鎖骨に水がたまるほどに。
(私はいま、この人を応援したい)
家に帰る間もなく働いて、脅されながら自分の夢を追い続けるより、この人の夢を応援したい。
実現しないキャラクターに何を、と人は笑うかもしれない。
けれど、どん底にいた夢乃を救ったのは、家族でも祐介でもない。画面に映った、たった一人の男の子だったのだから。
これが夢乃が高瀬くんを、神様と拝んでいた理由である。
それから夢乃は自主退職し、闘魂を一気見した。アニメはもちろん、公式から発売されているものは全て買い揃えた。
夢乃の今の夢は、このヲタク生活を守ることである。
ゲーム制作に未練がないわけではない。しかし、あんな思いをするくらいなら普通で十分だ、と思っている。
ただ、たまに思う。高瀬くんや井上さんのような、夢にあふれた人のことを……羨ましい、と。
(さて、午後も頑張りますか)
帰ったら推しが待っている。いてくれている気がする、ではなく、本当にいる。
(今日は鼻血吹きませんように……)
ブラックコーヒーを片手に夢乃はデスクへと向き直った。
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