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本物の多様性ってどこにあるんだろう

多様性が実現している世界とはどんな世界だろう

最近、多様性について考える機会が非常に多くなった。

10月に衆議院選挙が行われ、各政党の声明の中で「多様性が必要」と謳われるようになった。選択的夫婦別姓や女性の社会進出など、日本全体が多様性の問題に直面している。まさに、時代の転換期だ。

多様性の実現が急がれる中、その多様性とは一体何なのか今一度立ち止まって考えてみたい。

というのも、1つのニュースが私の心を強く刺激した。

ある下着メーカーが、体型が様々なモデルたちを起用したのだ。しかも、そのモデルさんは従来の高身長で顔立ちが美しい痩せている方々ではなく、顔立ちも体型もバラバラであった。痩せている方もいれば、体型がリッチな方も存在した。

そのニュースがあまりにも衝撃だった、、、

自分の好きなように生きて、堂々としてたら魅力的じゃん!

自分の理想とする美意識を他人にも当てはめようとしていた

私自身、小学生や中学生の頃太っていたことがコンプレックスだった。体型をいじられて笑いが取れるので「おいしい」と味を占めていた反面、馬鹿にされた気分になり1人の時に落ち込んでいた。

「痩せたい」

そう思って食生活を気をつけて、筋トレも本格的に始めた。今では「痩せている」と言われる機会が非常に多くなったが、太っている自分に対する恐怖心は纏わりつく。

その経験があるせいか、痩せた方がカッコよく/美しくなれるのに、、と考えてしまうことがある。

「痩せたらいいのに、、勿体無い、、、」と何とも恩着せがましいことを考えるようになってしまった。

体型もファッションも自由でいいじゃん。ありのままの自分を大切にしようよ。

自分の考えを改めるいい機会になった。

では、本物の多様性ってどこにあるのだろうか?

無条件に受け入れる

この感覚が大切だ。しかし、これは大変難しく忍耐が必要な作業だ。それは、人間どうしても見た目で判断してしまうところがあるからだ。第一印象が大切と言われるほど人間は見た目を気にするし、見た目には人間性が現れる。

無意識下の判断に自ら疑問符を打てるかどうかが重要になるだろう。もしかすると、一生かかっても完全に克服することはできないかもしれない。だからこそ、毎日意識して欲望やバイアスと戦う。最初は精神が消耗する戦いだが、この壁を乗り越えてより魅力的な人間になりたい。私は強くそう願っている。

そして、言霊を信じて毎日こう唱える

「私たちはすでに魅力的で素晴らしい人間だ」

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