短編小説:APPLE GAME
林檎が大好きなお話。※微グロありホラー。約4,500字。
noteにいつも投稿している短篇より長いので、区切りの数字を見出しで入れてあります。
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1
まっ赤な林檎が、だぁい好き。
皮ごとシャリっとかぶりつくとか、想像しただけで唾液が滲む。甘いのもいいけど、ちょっと酸味が感じられるくらいが好み。実を噛み砕きながら、舌に絡まる甘い汁をゆっくりと味わう。
なんて贅沢。
なんて至福。
……だからまぁ、私は一向にかまわないんだけどさ。
「ヒロって、時々極端だよねぇ」
私は差し出されたカゴを覗く。中には、まっ赤な林檎が山盛りになっていた。
「極端? 何が?」
皮を剥いた林檎の実みたいに明るい色の髪をかき上げつつ、私を見下ろすヒロが首を傾げた。その首元では、去年の誕生日にあげたシルバーのチェーンが揺れる。
「何がって……」
受け取ったばかりのカゴを凝視する。まっ赤な林檎がいっぱい。
「こういうときって、普通は色んな果物の盛り合わせなんじゃないの?」
私が林檎好きだから気を遣ってくれたんだろーけどさ。
「『なんじゃないの?』って……見りゃわかんだろ。色んな果物の盛り合わせじゃねーか」
もう一度カゴを見た。
まっ赤な林檎が一つ。
まっ赤な林檎が二つ。
まっ赤な林檎が三つ……。
「もしかしてこれ、全部品種が違うとか?」
「何言ってんだ? 脚の骨折っただけで、頭は打ってねーんだろ?」
私の手からヒロはカゴを奪い、そばの棚の上に置いた。どこに用意してたのか、果物ナイフを手にしてる。
「どれ食べたい? ケガ人だから俺が切ってやろう」
先週、視界がけぶるような雨が降っていたその日、私は駅の階段で盛大に足を滑らせて転倒した。
右脚の骨がポッキリいってそのまま入院。
手術はうまくいったけどすぐに脚を動かせるわけもなく、脚を吊った状態での入院生活が続いてる。
ヒロが私と林檎のカゴを見比べ、早く選べと視線を送ってくる。
……どれ選んでも、全部林檎だけど。
じゃあ、と私はカゴの林檎の一つを指さした。
「了解、了解。オレンジね」
2
どうやら私にだけ、すべての食べ物が林檎に見えているらしい、ということに気がついた。
お見舞いの果物も、スナック菓子も、入院食も何もかも。
トレーに載った入院食なんてもう、笑えてしょうがない。
お椀やプレートにはそれぞれ、ポツンと丸い林檎が載ってる。どんだけ手抜きなんだよって思いたくもなる。
私にとっては丸っとした林檎でしかないし、つい手掴みで食べたくなる。でも、それを認めた看護師さんが眉をしかめたのに気づく。
そうだった、そうだった。
これが林檎に見えているのは、私だけ。
試しにスプーンで林檎を突いてみると、プリンみたいにスッとすくえた。どう見ても林檎だけど成分までは変わらないらしい。これは多分、シチューとかスープなんだろう。
あぁもう、ややこしい。
ぷるんとしそうなスプーンの林檎を口に運ぶ。食感はともかく、ちょっと酸味のある、でも甘い甘い林檎の味が舌の先に広がった。
気がつけば、食べものだけじゃなく飲みものまで全部すり下ろし林檎みたいな味に変わってた。透明な水だと思って口に入れてあらびっくり、とろっとした林檎味。
世界はなんてアンビリーバボー!
何を食べても林檎、林檎、林檎。
これは林檎の真実の姿を当てるゲームなのだと思うことにした。見た目も味も林檎なので私には正解がわからない。
正解がわからない、けども私は林檎を食べ続ける。
……と、こんな感じで面白がるのはこれくらいにしておこう。
目下、大きな問題はない。けど、どうしてこんなことになっているのか、お気楽な私だって一応は考える。
「ノイローゼなんじゃねーの?」
なんでもかんでも林檎に見えて林檎味だって訴えると、ヒロはそう結論づけた。
「私がノイローゼ?」
「まぁ、ノイローゼなんてならなそうだけどな」
神経図太いって言われてるみたいで、それはそれで反論したくなる。
「脚の手術もしたし、意外とショック受けたんじゃねーの?」
そりゃ、痛かったしショックは受けたけど。おかげでバイトも休まないといけなくなったけど。
考え込んだ私の頭を、ヒロはぐりっとしてくる。
「ま、食べられてるならいーんじゃね? 林檎いっぱい食べて脚治せよ」
「大丈夫かなぁ」
「そんなに困ってねーんだろ?」
ずばり言い当てられた気がした。
すべての食べ物が林檎に見えて林檎味になってるわけだけど、確かに問題は起きていない。事情を知らない人と、ちょっと会話が噛み合わないだけだ。
それに林檎味ばっかりだとそのうち飽きそうって心配もあったけど、意外にも飽きてないし、むしろ林檎もっと食べたいウェルカム! って気持ちだった。ここまでの林檎好きだったとは、なんて自分を再発見した気分になる。
……とはいえ。
「今は入院してるからいいけどさ。ずっとこのままだと、困るかもじゃん」
「そのうち治るって」
「他人事だと思ってー」
「そんなことないよ」
私の頭を撫でていた手を後頭部に回して髪をすくと、ヒロは少し屈んで軽く唇を寄せた。
「心配じゃなかったら、こんなに毎日見舞いに来ないだろ」
至近距離で笑んだヒロに、今度は私からキスを返す。なんかごまかされたような気がしたけど、まぁいっか。
陽気なヒロが帰っちゃうと、病室には途端に静寂が落ちる。
よそよそしいまでの静けさに落ち着かなくなってテレビをつけると、私の悩みなんて知ったこっちゃない、バカ笑いする芸人の声が響いた。
静寂の表面に貼りつけたような、空々しいまでの喧噪に背筋がうっすらと冷たくなって、上半身を倒しベッドに体重を預ける。
早く脚を治して、ヒロと一緒に帰りたい。
一人きりでいると、つい昔のことを思い出してイヤになる。
うちは母子家庭で、夜の仕事をしてたお母さんは不在なことが多かった。子どもの私から見てもお母さんは美人で、男が絶えなかったんだろう。
あとから、それがネグレクトってヤツだったと知った。私が自由に使えるお金なんてあるわけもなく、いつだって空腹。
秋になるとお母さんの実家から段ボール箱いっぱいに送られてくる、まっ赤な林檎だけが楽しみでしょうがなかった。
そして、その年の秋。届くのを心待ちにしていた林檎にかじりついていたある日のことだった。
突然、知らない大人が数人アパートに現れて、私は施設に保護された。
私はお腹いっぱい食べられるようになって、面会にも来なかったお母さんのことはもうわからない。箱で届いていた林檎の味が、今でも時々懐かしい。
すっかり乾いてしまった唇に舌先で触れた。
ヒロに与えられた熱を思い出すように、輪郭をなぞってく。
……甘い。
3
約二週間の入院生活ののち、脚はギプスに松葉杖って状態ではあるものの、私は無事に退院することとなった。
病院を出て、思いっきり深呼吸。ちょっと前まで寒かったはずなのに、季節はすっかり春めいていた。
入院中もリハビリはやっていたものの、改めて外に出ると体があちこち硬くなっているのを実感する。
はり切りすぎるなよ、なんて荷物を持ってくれてるヒロが苦笑する。ほんのり甘い香りが漂ってきた。
「香水変えた?」
一瞬、私の入院中に別の女が!? なんて疑いかけるも、ヒロはそんなに器用じゃないと思い直す。
ヒロが自分の腕に鼻を近づけて首を傾げると、シルバーのチェーンが微かな音を立てた。
「気のせいじゃね?」
ヒロの言うとおり、多分気のせいだ。最近の私は、味覚も嗅覚も林檎に犯されすぎている。
何もかもが林檎になってしまうノイローゼはまだ続いてた。まともに物の味や匂いが感じ取れなくなってるに違いない。
その日の夕飯は、退院祝いだとヒロが奮発して色々買ってきてくれた。
私の好きなフライドチキンに餃子と揚げだし豆腐、その他もろもろ――だ、そうだ。
「栄養バランスとかそういうの、今日はなしだかんな」
ヒロがテーブルに並べてくれたそれらを見つめて黙り込んでいると、ヒロは歯を見せて笑った。たくさんの好物を前に私が感極まっていると思っているんだろう。
せっかくの好意を無駄にしたくなくて、私も笑顔を作った。
「ありがとう!」
残念ながら、私にはテーブルの上のもろもろが林檎の山にしか見えていないのだけど。
最近、ヒロには林檎ノイローゼのことはあんまり話さないようにしていた。
話しても受け流されるような気もしたし、ノイローゼはすっかり治ったものだと思われているような気がしたからだ。
言った方がいいんだろうけど……ま、今日はいっか。
4
ヒロが用意してくれた林檎の山をもりもり食べた私は、いつの間にか眠ってしまっていた。
ソファに座ったまま寝ていたせいで、意識を取り戻してすぐに背中と腰に痛みが走った。ギプスの脚をかばいながら、ゆっくりと身体を起こす。
「ヒロ……?」
なぜかヒロの姿がなかった。
テーブルの上にはたくさんの空のお皿があり、私たちが散々食べ散らかしたのを象徴するように、乾いた林檎の種や皮が飛び散っている。
ぼんやりした目をこすり、壁の時計を見やるともうすぐ日付が変わるところだった。夜の気配。部屋は不気味なほどに静かだった……はずなのに。
いびきが聞こえた。
思わず吹き出した。お酒を飲めない私を尻目に、ヒロが缶ビールを何本も開けていたのを思い出す。どこかで寝てしまったんだろう。
「ヒロー?」
ギプスの左脚に気をつけながら立ち上がって部屋を見渡す。
同棲している2LDKのマンション、すごく狭いというわけではないけど、それでもヒロの姿が見つからないのはどういうことだろう。
トイレか洗面所で寝ちゃったのか。
ふと、テーブルの下に赤くて丸いものがあるのに気がついた。
丸々とした、まっ赤な林檎。スイカくらいの大きさがある。
ゆっくりと屈んで、その林檎に指を伸ばした。
入院中に、ヒロが季節外れのメロンを持ってきてくれたことがあった。
それは不気味なくらいに大きな林檎に見え、おまけに私が皮ごとかじりついたものだから、ヒロがすっごく驚いたのが脳裏に蘇る。
私にとっては大きかろうが林檎でしかないから、かじりつくのは当たり前なんだけど。
ヒロってば、こっそりスイカかメロンでも隠してたのかもしれない。
もう一度、ヒロの名前を呼んでみる。
いびきがやんだ。
途端に部屋には静寂が落ちてきて、ますますヒロがどこにいるのかわからなくなる。
こっちはちょっと動くのでも大変だっていうのに……。
目の前にある大きな林檎を凝視し、途端に口の中に湧いた唾液を飲み込む。
毎日毎日林檎ばっかり食べてて、今さっきもお腹いっぱい食べたばっかりなのに。
……こっそりかじっちゃおうかな。ビールで酔い潰れるヒロが悪い。
ひと抱えほどもあるその林檎の表面を手の甲で少し拭った。顔を寄せると、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
ひと口だけ。
私は勢いよくかじりついた。
――赤。
吹き出した果汁は視界を、床を、テーブルを、壁を赤く赤く染めていく。
赤。
赤。
赤。
赤!
……林檎の果汁って、赤くないと思うんだけど。
部屋だけじゃなく、私の顔や体もべったりと濡れている。そばにあったソファに掴まって立ち上がると、ソファに残った私の手形も赤かった。
ずいぶんと果汁の多い何かだ。
ヒロってば、何を用意したんだろう……。
足元に、赤い果汁にまみれたシルバーのチェーンが落ちていた。私が、ヒロにプレゼントしたもの。
……なんで?
ふと顔を向けると、窓ガラスに立ち上がった自分の姿が映ってた。
どれだけ果汁で汚れちゃってるんだろって、思ってたのに。
ガラスの中から私を見つめているそれは、つややかな表面をした大きなまん丸の林檎だった。
END
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