鑑賞者としての理想形をバレエ漫画に見る 『ダンス・ダンス・ダンスール』
スポ根漫画が割と好きだ。
昭和の香り漂う、由緒正しきスポ根である『巨人の星』とかより、『SLUM DUNK』とか、『ハイキュー!』とか、『シュート!』のような、「やってて楽しいスポーツがあって、もっともっと上手くなりたくて、練習してたらすごい奴になっちゃってました」みたいな漫画が、特に。
何気なく手に取った『ダンス・ダンス・ダンスール』という漫画は、ジャンルで言ったらまごうことなきスポ根ものだった。描かれているのは、男子中学生がバレエに魅せられて奮闘していく姿である。
扱っているのが「バレエ」ということもあり、中学生男子が直面する「サッカーやバスケみたいなスポーツが『男らしく』て、バレエは『女子のやるもの。男らしくない』」というバイアスに悩む主人公や、中学生らしく女子と一緒に踊れるということに鼻息を荒くする、健全な中学生男子の主人公が、バレエに魅了され、ダンサーとして成長していく。
…というのが、この作品の初期に描かれる話。
ありふれたスポ根漫画の導入部分と重なる。オリジナリティを感じる部分は、あまりない。あえて言うなら、せいぜい題材にバレエを選んだところ、だろうか。
ところがどっこい。この漫画はただのスポ根漫画ではない。体裁はスポ根だが、後半に行くにしたがって「バレエという芸術」「踊りというエンタテインメント」を描く漫画になっていくのである。そしてこの漫画は、バレエという舞台芸術を観賞する側の眼を養う、という意味でも大変参考になる。
2021年4月23日現在の最新刊である、20巻へのリンクを貼っておく。
主人公・潤平は『SLUM DUNK』の桜木花道
主人公の潤平は、姉のバレエ発表会に連れられて観た、プロのバレエダンサーの踊りに魅了される。姉と同じ教室に通い始めるものの、「バレエは男らしくない」というバイアス、父の突然の死去の際「男なんだから家族を支えなくては」(今どき、小学生の男児にこんなものすごいジェンダーバイアスを吹き込む漫画を描くというのも、勇気のいることだと思うが)と父の友人から声をかけられたことで、ジークンドーという格闘技を学び始める。
ふとしたきっかけで、バレエ教室にちょっと行ってみたところ、これがとんでもないバレエの天才だった、というところから話は始まる。
伝説のバスケットボール漫画、『SLUM DUNK』の桜木花道と同じだ。
桜木花道は、身長189センチ。化け物じみたパワーとジャンプ力の持ち主だが、バスケットは素人。だがその恵まれた体格でやすやすとダンクシュートを決めるなど、アホみたいにバスケに向いている男である。そしてこれが一番肝心なのだが、スタミナがあるのだ。
『SLUM DUNK』好きな方でバスケットボール経験のない方は、なんとまあ地味なところに目をつけるのだはるまふじ、とお思いかもしれない。だが、バスケットボールにおいて、おそらくつけるのに時間がかかって苦労するのは、「基礎技術」と「持久力」だと思う。
『ダンス・ダンス・ダンスール』の中で描かれているところから想像するに、潤平の才能は踊りによる表現力(バレエ的身体能力と言ってもいいかもしれない。子どものときに魅了されたプロダンサーの踊りを、かすかな片鱗だけでも感じさせる踊りが出来る、ということなのだから)に見て取れる。さらに細かく言うと、その表現を可能にする身体を持っていることが、大きな才能なのだ。例えば、長くて細い脚、脚の形、強いインナーマッスル…。そこまでは私にも、読み取れた。
だがいかんせんバレエ経験がないもので、他に「潤平の持っているバレエダンサーにとって大事なもの」が、私はわからないままだ。
潤平は地道な基礎練習を積み重ね、桜木花道と同じように、才能を開花させていく。
潤平の「バレエを観る目」とずば抜けた理解力
物語が進むにしたがって明らかになっていくのは、潤平の「鑑賞眼」と「想像力」の素晴らしさだ。バレエダンサーの持つ表現力が、何から出来ているのかを理解する力。芸術としてバレエを観賞する能力。そういったものがずば抜けている。
彼の鑑賞眼の素晴らしさを培ったもの。それは子どものときに亡くなった父が残した、数々の映画DVDたちだ。たくさんの名優たちの表現と向き合い続けたからこその鑑賞眼と、役の背景や演出家の意図まで想像する力。それは、小さい時からバレエ漬けの毎日を送ってきた、同年代のライバルたちにはないものだったのだ。
もちろん、彼がダンサーであるということも、潤平の鑑賞眼を構成する大事な要素だ。観て、それを演じる時に必要な技術的要素と、自分に出来るか出来ないか、出来ないなら何が足りないからなのかを、周囲の指導者が説明し、理解させようとする。すると、彼もすんなり理解する。
ダンサーとして頭がいいのである。
こういう部分は、なかなか従来のスポ根漫画では描かれてこなかったところで、『ダンス・ダンス・ダンスール』の中で私が最も心を惹かれている部分である。
終わりに 潤平のもつ鑑賞眼が私も欲しい
『ダンス・ダンス・ダンスール』が描いているバレエの世界は、私の知らないことであふれている。だが、バレエダンサーとして潤平が己の身体や表現力と向き合い、向上させようとするその姿は、おそらくすべての俳優さんが普段やっていることと同じなのではないだろうか。
バレエダンサーと俳優さんでは、求められる身体能力がだいぶ違うだろう。だが、身体で表現するという部分は共通する部分があるのではないだろうか。加えて、俳優さんは「声」を使うことが出来る。バレエ的な動きで表現する部分を、声で代わりに表現したり、演劇の動きで表現したりするのだと思っている。
それにしても、潤平の鑑賞眼の確かさが素晴らしい。本当に見習いたい。一体どれだけの作品を観て、身体を演劇的に動かしてみたら(これは自己流で本に書いてあることを真似るしかないけど)、ああいう風になれるのだろうか。
漫画『ダンス・ダンス・ダンスール』は、ただのスポ根バレエ漫画ではなく、私にとっては演劇や映画を観る者として、とても参考になる視点をくれる教科書なのである。
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、わたしの好きなものたちを応援するために使わせていただきます。時に、直接ではなく好きなものたちを支える人に寄付することがあります。どうかご了承ください。