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名優・高橋一生に関する新たな気付き 『恋せぬふたり』と『フェイクスピア』配信に思うこと

1月から、とても楽しく観ているドラマがひとつある。
NHKで月曜22時45分から放送している、『恋せぬふたり』だ。

観始めたきっかけはもちろん、敬愛する高橋一生さんが出ているからだ。
彼の出演作品は、たいてい観ている。
最近の出演作品は特に、欠かしていない。

内容は「アロマンティック・アセクシャル」であると自認する2人が、恋愛抜きで幸せになる道を模索する話、である。「アロマンティック・アセクシャル」について、ここでは説明しない。代わりに、ドラマ『恋せぬふたり』の考証チームブログへのリンクを貼っておく。

このタイトルと私の説明をご覧になって、「恋愛する気のない男女が出会って、結局カップルになって、ハッピーエンドなんでしょ」とお考えの方。

そういうドラマは、TBSの火曜22時枠に任せておいたらいい。

NHKは、大河ドラマでも朝ドラでもない枠で、今までも結構アヴァンギャルドなドラマを作ってきている。『恋せぬふたり』がアヴァンギャルドかと問われたら、革新的とまでは言えないがある種実験的だと言える、と答えるだろう。

この実験的なドラマにおいて、高橋一生さんの繊細なお芝居が際立っているように思えた。そう、『おんな城主直虎』の時よりも。

ドラマ第5回放送を前に、高橋一生さん主演のNODA・MAP公演『フェイクスピア』の配信が始まった。野田地図が公演を配信するのは、初めてだという。この配信の映像には、通常映像と高橋一生カメラのマルチアングルが含まれている。

この「高橋一生カメラ」の映像がまあ、ちょっと、すごかったのだ。

通常、放送中のドラマについては最終回を迎えるまでnoteに書かないと決めているのだが、この「高橋一生カメラ」の件と合わせて、どうしても書きたい欲が抑えられなくなったので、書く。

いまの思いを形にしておかないと、どこかに行ってしまいそうな気がするのだ。

『恋せぬふたり』・高橋羽(高橋一生さん)の人となり

ドラマ『恋せぬふたり』で高橋一生さんが演じるのは、高橋羽(たかはし・さとる)と言う人物だ。

スーパーの店員をしている。キャベツのポップには「キャベツ」ではなく「YR春風」と書く。YR春風とは、キャベツの品種である。

なぜポップに品種の名前を書くのか訊かれ、「僕も一緒くたに『人類』とか呼ばれたくないんで」と返す。

「名前があるなら、そう呼んであげたい」と言う羽は、相手を変に抽象化して見たりしない。スーパーで出会った咲子(岸井ゆきのさん)のことは、早い段階で「咲子さん」と呼ぶ。

「キャベツ」ではなく、「YR春風」。品種としての個性を尊重するのと同じように、咲子を咲子として尊重してくれる。咲子が羽のそばを居心地のいい場所として認識するのも、当然と言える。

羽の感情の動きに極まる役者・高橋一生の表現力

羽の感情の動きは、他のドラマほど分かりやすくは示されない。大きな声も出さないし、ボロボロ泣いたりしないし、変にテンションが高くなったりもしない。

だが、きちんと感情の動きは伝わってくる。

では、『おんな城主直虎』の政次のように、顔に血管が浮き出たり、瞬きの回数がいやに増えたりするかというと、そうではない。もっともっと、素直で優しい人だ。

ポイントカードの使用期限通りにポイントを使いきれそうだと分かった時の、うどんの踏み方。咲子の元彼・カズくん(濱正悟さん)と咲子が好きなアイドルのDVDを観ながら踊る場面で、後ろからそれを見守る羽の表情のわずかな変化。咲子とカズくんと3人で行った小田原で、駅を出た後の歩き方。正直に「寂しいですね」と吐露する時の声のトーン。

そして、小田原から先に帰った羽が、帰ってきた咲子を迎える場面。

おかえりなさいと、笑顔と、蟹。
食べながら泣く咲子との距離感。

羽の心の温かさが、胸に沁みる。
いつの間にか、私も泣いていた。

「高橋一生カメラ」の映像が導く不思議体験

NODA・MAP第24回公演『フェイクスピア』が、年末にWOWOWで放送になった時、配信の話はすでにあった。マルチアングルになることも、そのうちの一つが「高橋一生カメラ」であることも発表済だった。

今か今かと待っていたファンに知らせが届いたのは、1月。
配信は2/19から2/27までだという。意外と短い。

前にも書いた通り、私は『フェイクスピア』を劇場で観ている。

劇場で観たうえ、戯曲の書かれた『新潮』2021年7月号を何度も読み、年末のWOWOW放送も観た。

それでも、配信チケットを買った。
改めて、配信で観た『フェイクスピア』の高橋一生カメラの映像を観て分かったことがたくさんあった。

高橋一生さんが、板の上で、実に楽しそうだったこと。一瞬も気を抜くことなく、板の上に存在していること。舞台の上でもドラマと変わりなく、繊細なお芝居を紡いでいること。

ぼんやりして、頭がはっきりしないときの顔。
滑らかに乗り移るデスデモーナやマクベス夫人。
父の顔。
524人の命を背負った時の顔。
ラストシーン。

印象的な場面を挙げればきりがないが、特に、高橋一生さん演じるmonoが日航機のパイロットとして登場する場面から、飛行機の中で起きたことを再現する場面で、ずっとアップになっていた高橋一生さんの表情が、心に突き刺さった。

「これは・・・ダメかもわからんね」に込められた思いが、目の奥を熱くする。

「高橋一生カメラ」の映像はただの高橋一生さんのアップだと思っていたが、それだけではなかった。そもそも劇場でオペラグラスを覗いてみるのとは違って、明るくてピントが合っているので、細部まで表情が分かる。

いつの間にか、高橋一生さんと同じ表情をしている自分に気づく。
何度か観て、戯曲も読んで内容を知っているせいだろうか。
それぞれの場面で、舞台上には誰が居て、どんな位置関係で、どんな顔をしているかだいたい覚えているせいだろうか。

不思議な体験だった。
高橋一生カメラで、ずっと高橋一生さんの表情を追っていたら
自分にmonoの感情がなだれ込んできて、まるで自分がmonoになってしまったように感じたのだ。

こんなの、初めてである。

配信をやっているところ、特に宝塚で「トップスターカメラ」の映像を配信してみてはどうだろうか。非常に面白い体験ができると思う。

番外編 『フェイクスピア』再視聴による新たな気づき

ミュージカル『リトルプリンス』を観る準備として、サン=テグジュペリの『星の王子様』を再読した話を、以前noteに書いた。

『フェイクスピア』を配信で再視聴したのは、『星の王子さま』を読み、『リトルプリンス』でたっぷり心を震わせた3週間ほど後だった。

前田敦子さんが演じてた星の王子様が、「こころのメタファー」だと言っているのに首がもげるほど頷いた。王子はサン=テグジュペリ自身であり、彼の純粋さを抽出したような存在だと思っていたからだ。
そして、「大切なものは、目に見えない」という『星の王子さま』のキー・メッセージ。『星の王子さま』でいう「目に見えない大切なもの」とは、人と人とをつなぐ絆に他ならないけれど、『フェイクスピア』でいう「目に見えない大切なもの」は、「マコトノハ」である。これは、大切な人同士をつなぐものだ。

ここをこうつなぐとは・・・野田秀樹さんはやはり天才なのだろう。

ん?

サン=テグジュペリは飛行士だった。とすると、monoはサン=テグジュペリでもあるのか。ということは、前田敦子さん演じる星の王子様は、monoの心か。

待てよ。前田敦子さんは星の王子様の他にも、白いカラスと伝説のイタコを演じているけれど、これは両方とも「こころのメタファー」ではないのか?

うーん。色々考えなおしたい。
もう一度『フェイクスピア』を観たくなってきた。

終わりに 進化する高橋一生さんの表現

高橋一生さんは、もともとお芝居に定評のある俳優だ。

シロウトの私の評価など、もちろん当てにはならない。
だが、きっと業界の方々も、彼のお芝居には一目置いているのではないだろうか。
そう思う理由は、舞台でも映画でもドラマでも、彼を観ない期間が長期にわたることが、ほとんどないからだ。

手術が上手い医者に手術の依頼が殺到するように
芝居が上手い役者には、出演依頼が殺到することだろう。

『恋せぬふたり』『フェイクスピア』の2作品を観て、改めて思った。高橋一生さんのお芝居は、進化している。

私は、一生さんのお芝居がとても好きだ。
彼と、共演の皆さんによる化学反応が魅せてくれる世界が、好きだ。

まだ、『恋せぬふたり』はあと3話未放送分が残っている。
どんなものを見せてくれるのだろうか。

ワクワクしながら、次の月曜日を待つことにしよう。

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