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役者・明日海りおの芝居力を解剖する『ロミオとジュリエット』

「明日海りおさんのロミオを観てください!」

私のnoteを読んでくださった昔からの明日海りおさんのファンが、熱い熱いメッセージをくださった。

いや、そんなに勧められたら、私だって観たい。観たいけれども、宝塚歌劇団の公式ショップであるキャトルレーヴで探しても、手に入るのはこれしかなかった。

そもそも、私が元宝塚歌劇団花組トップスターの明日海りおさんを追いかけ始めたのは、今年4月からだ。すでに明日海さんが宝塚を退団して1年以上経っていた。だから私は、明日海さんの宝塚時代の素晴らしさを知らない。

さかのぼってBlu-rayやDVDで観てはいるけれど、花組トップスター在籍時のものが中心だった。『ロミオとジュリエット』は、明日海さんが組替えで花組に来る前、月組在籍時「準トップスター」だった2012年に上演されている。2012年月組版の『ロミオとジュリエット』が単体で販売されていないのは、昔のもの過ぎるせいだろうか。

このSpecial Blu-ray BOXの値段に、さすがに購入を躊躇していた。いくら素敵だとはいっても・・・と悶々としていたところ、8月から宝塚歌劇専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で、5か月連続ロミオとジュリエットの過去作品を放送するという。

これは、チャンスだ。絶対に明日海さんのロミオを観られる機会があるに違いない。そう思って8月にタカラヅカ・スカイ・ステージと契約した。

2012年の月組『ロミオとジュリエット』について調べてみたら、トップスター龍真咲さんとの役替わりで、ロミオとティボルトを演じているではないか。ずいぶんハードな役替わりだ。さぞかし大変だっただろうなと想像しながら、観た。明日海りおさんの演じるロミオとティボルトを。


表現者・明日海りおがそこにいた。


彼女の素晴らしさを詳しく綴る前に、ウィリアム・シェイクスピアが書いたおそらく世界一有名な悲恋物語・『ロミオとジュリエット』について簡単に説明しておくことにする。そしてそれを基に、2001年にフランスで初めて上演されたミュージカル『ロミオとジュリエット』、ひいてはその日本版として宝塚で上演された『ロミオとジュリエット』について説明する。もともとシェイクスピアが書いた原作とミュージカル版では、主な登場人物(キャラクター)も、描こうとしたものも少し異なるので、人物相関図を別にした。以下を参照していただきたい。

そんなん要らないよ、という方は「明日海ロミオの魅力その1」からご覧頂ければと思う。


スライド1

スライド2

『ロミオとジュリエット』あらすじと概要

14世紀のイタリア・ヴェローナ。モンタギュー家とキャピュレット家は何代にもわたって対立していた。モンタギュー家の一人息子、ロミオはロザラインへの片思いをこじらせていた。恋に恋していると揶揄する友人のベンヴォーリオとマーキューシオ。このロミオ、ひたすらロザラインのことしか話さない。夢見がちで精神年齢は低めである。

ある日、ロミオは悪友2人とキャピュレット家の舞踏会に忍び込む。そこでキャピュレット家の娘・ジュリエットと出会ったロミオは一目で恋に落ちる。

だがこれは、悲劇のはじまりだった。

・・・とここまでが、ホームページとかによくあるストーリー解説。
もう少し深堀りすると、『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの比較的初期の作品で、種本(元ネタ)がある。シェイクスピアの書いた恋愛悲劇は他にもあるが、特に『ロミオとジュリエット』がこれほど長きにわたり愛されているのは、「若い恋人たちが障害を乗り越えて愛を成就させようとする」という誰もが心惹かれる普遍的なパターンを踏襲していることと、恋は現世では実らず、死して実るという悲劇性にあるのだろう。

シェイクスピアの作品は、ストレートプレイであればセリフをそのまま言うだけで、よほど下手な役者でない限り成り立つ構造になっている。現に、2013年にブロードウェイで上演されたストレートプレイの『ロミオとジュリエット』は、一見舞台装置こそ奇抜に見えるものの、セリフはほぼ原作通りだった。

ミュージカル『ロミオとジュリエット』

2001年にフランスで初演となったミュージカル『ロミオとジュリエット』は、ジェラール・プレスギュルヴィックの素晴らしい曲が彩る演目となっている。原作からの大きな変更ポイントがいくつかあるので、簡単に箇条書きにしておく。
・ロミオがジュリエットに出会う前の思い人・ロザラインの不在
・マーキューシオ・ベンヴォーリオとロミオとの絆(仲間意識)深化
・「死」という概念的な存在の登場(「愛」は宝塚版のみ登場)
・名曲「世界の王」に代表される「世代間対立」の付加
・ジュリエットの従兄・ティボルトの「秘めた恋愛感情」という悲哀を付加
・(宝塚版)いわゆる「すみれコード」に引っかかる下ネタの排除

原作とミュージカル版の共通点

とまあ、原作とミュージカル『ロミオとジュリエット』は少し、いやだいぶ異なるのだが、両方に共通する要素がある。

それは、ロミオとジュリエット、二人の「性格」と「思春期の若者設定」だ。

原作のロミオは冒頭、のっけから森の中でロザライン、ロザラインと愛しの女性の事ばかりを口にする。ヴェローナの街ではモンタギュー家とキャピュレット家が衝突を繰り返しているというのに、モンタギュー家の跡取り息子の頭にあるのは恋の事ばかりだ。ちなみにミュージカル版で彼の頭の中をいっぱいにしているのは、ロザラインではなく、「まだ見ぬ恋人」である。

跡取り息子、こいつで大丈夫か?と思ってしまうが、繊細で夢見がちな思春期の男子だと考えれば、まあこんなものかなと思う。友人であるマーキューシオとベンヴォーリオの男らしさ(原作では卑猥さ)が、ロミオの繊細さと純粋さを際立たせている。

一方のジュリエット。原作では14歳、ミュージカル版(宝塚版)では16歳の設定。思春期女子である。恋に恋い焦がれている。そしてジュリエットは「良家の子女」然としたお嬢様ではないのである。そもそもこの時代の良家の子女なら、親の決めた縁談相手を拒否したりはしないだろう。何せ結婚は、家と家との関係を盤石にするためのものだったのだから。

親の決めた相手(パリス伯爵)との縁談を拒絶し、ロミオと恋に落ち、ロミオと生涯を共にするためなら、仮死状態にもなってみせるのだ。思春期特有の不安定さと、純粋で強い愛情をあわせ持つ、激しい気性の女性と言っていいだろう。

とまあ、主人公二人のキャラクター設定は原作でもミュージカル版でも、そう変わらないことを頭に置いておいて欲しい。

明日海ロミオの魅力その1:タンポポが似合いすぎる

宝塚版『ロミオとジュリエット』は、ヴェローナの街で諍いを起こすモンタギュー家のマーキューシオとベンヴォーリオ、キャピュレット家のティボルトを大公が諫めるところから始まる。ロミオはここでは登場しない。ベンヴォーリオがロミオの母モンタギュー夫人に頼まれて、ロミオを探しに行くところで初めて登場する。

宝塚版のロミオの登場シーンで、とてつもなく肝心かつ重要なアイテムがある。タンポポである。

は?タンポポ?何それ?とお思いの方にちゃんと説明しよう。宝塚版の『ロミオとジュリエット』のロミオは登場する時、手に綿毛のタンポポを持って出てくるのである。

タンポポですよ、タンポポ。綿毛のタンポポ。男子中学生でも持ちませんよ。いまどきなら。

この綿毛タンポポは、ロミオという人間を表すキーアイテムとなっている。

綿毛タンポポが出てこないストレートプレイでは、どう表現しているのだろう。小田島雄志訳の『ロミオとジュリエット』を読む限り、ロミオの性格は探しに来たベンヴォーリオとの会話に現れている。例えば、こんな具合だ。

ベンヴォーリオ:ああ、見た目には姿優しき恋の神が実はかくまで暴虐無惨であるとはな。
ロミオ:ああ、目に目隠しをしたままの恋の神が見えぬままに思い通り矢を射当てるとはな。
どこかで食事をするか。そうだ。喧嘩だったってな。
いや、話してくれなくていい。すっかり聞いたよ。
憎しみゆえの葛藤だが、実は恋の葛藤が上、
とすれば、おお、争う恋、恋する憎しみ、
(中略)
こういう恋を感じながら肝心の恋人はつれない。
どうした、笑うのか?
ベンヴォーリオ:いや、泣きたいぐらいだ。
ロミオ:なにを泣きたがる?
ベンヴォーリオ:泣きたぎるきみの心を思って。
ロミオ:思ってもみぬ友情の押し売りというものだ。
(以下略)

恋に夢中の面倒くさい思春期男子で、友人とも少し距離があるロミオの感じが伝わっただろうか。

ミュージカル(宝塚)版では、マーキューシオ&ベンヴォーリオとロミオの友情は、原作よりずっと強めに描かれる。加えて、ロミオの「恋に恋する夢見がちな思春期男子」という部分を歌とビジュアルで増幅している。

この「夢見がちな思春期男子」なところをビジュアルでポンと説明するアイテム、それが綿毛タンポポなのだ。この演出思いついた人、天才である。

私はせっかくの「ロミジュリ過去作品5か月連続放送」という機会を最大限利用して、宝塚で上演された『ロミオとジュリエット』過去作品を録りだめて観た。2011年雪組版、2012年月組版、2013年星組版、そして以前配信で観た2021年星組版。みんなロミオは例外なく綿毛タンポポを持って登場する。

そんな中でも明日海りおさんの演じたロミオには、綿毛タンポポが似合いすぎるのだ。

この登場シーン、「タンポポを持った思春期男子ロミオ」として、観ている観客の心を射抜かなければいけない。冷静に考えると、これは相当な離れ業だ。「タンポポ似合わない。少年ぽくない」と思われたら論外だし、やりすぎたらただの子供だ。まだ見ぬ恋人を夢想して宙に漂う目線、美しい歌声、吹いた綿毛にまるで「恋人を探しておくれ」と、思いを込めているかのような視線の投げ方。どれをとっても、明日海さんは魅力満載のロミオだった。

最後にクシャミをするのだが、一度綿毛を吹いたあと、その綿毛が鼻に入ってクシャミしたんですよ、という細やかなお芝居も、わたし的明日海ロミオの好きポイントである。

明日海ロミオの魅力その2:「僕は怖い」でリアルな怯えを体現

モンタギュー家の若者たちとひとしきり騒いだ後、みんなが居なくなったところでロミオが歌う曲「僕は怖い」。

仲間がいなくなった後、舞台上にはロミオと「死」(2012年月組版では珠城りょうさん)だけが残る。「死」がその気配をロミオに感じさせて驚かせたり、見えない糸で操り動かしているかのようにダンスを躍らせたり、背中を押して転ばせたりする。

何か得体のしれないものを感じ、それに動かされているロミオの顔に浮かんでいるのは、恐怖ではなく不安と怯えだ。明日海さんの演じたロミオの歌は、本当に怯えているかのように音が震えていた。最初から不安そうだった彼は、どんどん大きくなる不安に耐えられなくなっていく。

ロミオの不安が次第に大きくなって、ついに壊れそうになっていく様子を、明日海さんは歌声とお芝居で魅せてくれる。特に、頬骨から上の表情筋の動かし方と身体の動かし方が絶妙だった。「死」という目に見えないものに操られているので、思わぬところから押された感じの倒れ方をしたり、まるで目に見えない力が加わって、身体が投げ出されたような動きをしていたのだ。

余談だがこの身体の動かし方の区別は、「僕は怖い」に続く舞踏会の場面でも見られる。混んでいる舞踏会のフロアを歩いているときは「混んでいるから誰かとぶつかるかもしれない」と思いながら歩いているから、ぶつかっていてもそれほど大きく上半身が動かないのだ。けれど、階段の上でジュリエットとぶつかるときは、いったん上半身を後ろにのけぞらせてから、前に数歩出るのである。これは、「ぶつかると予想していなかった」からこその動きだ。

ロミオの不安と怯えを見事に歌・身体表現・表情でこちらに魅せきった明日海さん。圧巻だった。

明日海ティボルトの魅力その1:危険な色気

明日海ロミオの真骨頂について語ったところで、役替わりで明日海さんが演じたティボルトの話に移ろう。

正直私は明日海さんの演じたロミオを観るまで、ティボルトのほうがキャラクターとして好きだった。14世紀のイタリアで、争いを繰り返す二つの家があって、片方の家の御曹司として生まれているロミオ。普通はその環境だったら、親が家長としての英才教育を施すだろう。彼のあまりの頼りなさに共感できなかったのだ。家はどうしたんだ、家は!と言いたくなってしまう。むしろティボルトのほうが、押し付けられた形ではあるものの「家を守る」ということを彼なりに真剣に考えているように思えていたわけだ。

で、明日海ティボルトである。
ティボルトが最初に登場するのは、冒頭のモンタギュー家とキャピュレット家の諍いの場面だ。

ロミオとは違う、ギラギラした男の色香を全身から放つティボルトがそこにいた。触れたらナイフで切りかかってきそうだが、たまらなくセクシーでもある。モンタギュー家にたいする敵愾心をあらわにし、相手を挑発するその姿は、不敵だった。

率直に言うと、ティボルトは体格のいい男役さんに合う役だと思う。明日海さんはティボルトを演じるには少し身長が低く、線が細いかなと思っていた。だが明日海ティボルトが出てきた瞬間、画面から漏れ出てくるのではないかと思ってしまうほどの濃厚な男らしい色香に、頭でっかちに考えていたいろんなことがいっぺんに吹き飛んでしまった。

お芝居の圧倒的説得力が、体格の有利さを上回ることがあるんだなと初めて思った。

明日海ティボルトの魅力その2:「本当の俺じゃない」で見せる眉間のしわ

原作でのティボルトは、モンタギュー家に対する憎悪を栄養に生きているような人だが、ミュージカル版のティボルトには「幼いころからジュリエットを愛しているが報われない」という切ない設定が加えられている。また、ミュージカル版『ロミオとジュリエット』で加えられた世代間対立(親世代vs子世代)も、ティボルトを悩ませていた。

ティボルトの苦悩を端的に表すのが、「本当の俺じゃない」という曲だ。

ティボルトはこの曲で歌い上げる。大人たちにゆがめられた正義と価値観を植え付けられたことを。復讐の手先になんかなりたくなかったという本音を。気が付くと戦ってしまっていて、誰にも止められないという嘆きを。

そして、肌身離さず持っているナイフを見つめて、天を仰いでシャウトするのだ。

ティボルトがこの曲を歌い上げるのは、舞踏会に紛れ込んでいたロミオたちモンタギュー家の連中を追い返した後、キャピュレット卿に「騒ぐな」と釘を刺された後のことだ。おまけに愛しのジュリエットはどうやら、ロミオのことが気になっているらしいことまで見ている。
これが、苦悩せずにいられようか。

明日海ティボルトには、苦悩が良く似合う。歌っている間中ずっと、眉間にしわが寄ったままだ。誰が演じてもティボルトは苦悩する役ではあるが、苦悩を眉間に、嘆きを歌声に刻み込み、きっちり表現しきる役者・明日海りおはさすがである。

明日海さんがこの曲を歌うと、つい画面の中のティボルトに「本当のあなたを教えて?」と訊いてしまいそうになるから怖い。

終わりに 宝塚版『ロミオとジュリエット』の魅力

宝塚版『ロミオとジュリエット』の魅力は、各時代・各組のトップスターがそれぞれのとらえたロミオやジュリエットを披露してくれるところにある。

歌もダンスも上手でその技術でお芝居を作り、ロミオを演じる方もいれば、歌の上手さとお芝居力を中心にしてロミオを演じる方もいる。世界一有名な悲恋物語を、好きなタイプの役者さんで観ることが出来るかもしれない。それってとても贅沢だと思う。ぜひ、ご覧になって自分のお好きな組み合わせを・・・と言いたいところだが、有料チャンネルでの番組なので、気楽におススメ出来ないのが残念だ。

中でも明日海りおさんは、ロミオを演じているときもティボルトを演じているときも、歌とダンスにとどまらない「身体表現」を磨き上げて素晴らしいものを魅せてくれた。

原作でもミュージカル版でも、夢見がちで恋に生きる思春期の男子・ロミオ。原作のただただ憎悪に満ちた存在から、ミュージカル版では報われぬ恋と世代間対立の犠牲者という悲哀を付加されたティボルト。どちらの役も、役者・明日海りおというフィルターを通すと、際立つのはロミオの不安定さ、ティボルトの嘆きと哀しみだ。

他の役者さんが魅せてくれるものにも、それぞれ特徴があって素晴らしい。だが私の心をつかんで離さないのは、やはり明日海さんの「芝居力」が魅せてくれる「何か」なのだ。

ちなみに。

明日海さんの話をしたかったのでロミオとティボルトの話ばかりになってしまって、ジュリエットに触れていなかった。もう一人の主人公・ジュリエットについては、2013年星組版でジュリエットを演じた夢咲ねねさんが、一番私のイメージに近い。私の頭の中にいるジュリエットは、「良家の子女の仮面をかぶれる気高く潔癖で、気の強い女性」である。解釈はさまざまなので、私の考えとは違う方もおられるだろう。だが少なくとも、一般的な意味合いでの良家の子女とはだいぶ違うように思えてならない。

ダラダラと書いてきたが、ミュージカル『ロミオとジュリエット』は、とにかく音楽がとても良い。宝塚版ではなくて東宝版で観ても、面白いと思う。

誰でも知っている有名なストーリーはとっつきやすいと思うので、ミュージカルをこれから観ようと考えている方にも、お勧めできる1本である。

そしてもしチャンスがあるなら、是非役者・明日海りおのお芝居を、劇場でご覧頂きたい。

多分、損はしないはずだ。



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