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【ネタバレなし】朗読劇にみる「声の表現」の奥深さ 坂元裕二朗読劇2021 『不帰の初恋、海老名SA』

携帯電話に「抽選結果」のメールが大量に届く。

坂元裕二朗読劇2021には、敬愛する役者である高橋一生さんが出演する回があった。一生さんの出演回を中心にあらゆるチケットサービスを駆使して、私は抽選に申し込んだ。

違うチケットサービスの抽選結果公開日がくるたび大量に届く、「今回はチケットをご用意できませんでした」のメール。
もう見慣れすぎて、どうせまた「取れませんでした」って書いてあるんだろうと思って、その日に大量に届いたメールを1件ずつ確認した。

最後に確認したメールただ1通に、「チケットをご用意できました」の文字が。自分の目を疑った。

4月20日火曜日。当選したのは、帝国劇場で『モーツァルト!』を観劇する日の翌日のチケット。頭と心が持つだろうか。一抹の不安がよぎる。だが、次の瞬間、興奮でそんなことは頭から吹っ飛んでいた。

当選した日の演目は、『不帰の初恋、海老名SA』。新作ではないが好きな物語である。特に、ラスト。

高橋一生さんの声で、彼のお芝居で玉埜くんが感じられないのは少し残念だけれど、風間俊介さんがどんな玉埜くんを見せてくれるのか、楽しみになった。

ちなみにトップ画像は、当日鑑賞した私の印象で勝手に作ったものだが、実際には、二人ともソファーに座って斜めに向き合っているわけではなく、まっすぐ客席のほうを向いている。

あくまで、声のお芝居は「手紙を宛てた相手」に向けられている体裁を取っているが、届けようとしているのは観客。ソファーの向き一つ取ってもそんな明確な意図が感じられた。

『不帰の初恋、海老名SA』あらすじ

公式サイトの【上演作品】のところに、ざっくりとしたあらすじが掲載されている。本も出版されているので、Amazonのリンクも貼っておく。

坂元裕二という作家の持つ力

もともと、『往復書簡 初恋と不倫』に収録されている2作のうち、特に好きだった『不帰の初恋、海老名SA』。セリフのやり取りに坂元裕二という作り手のエッセンスを存分に感じる。

詳細に書くのは避けるが、それはテレビドラマ『カルテット』で言えば、第一話で家森さんから提示された「から揚げにレモン」のくだり。彼特有のこだわりかと思いきや、ドラマ中で描きたいことを描くためのキーワードとして、最終話までつながっていく・・・。というか、まあ、そういう要素がいろいろ入っているのである。要は、一つ一つのエピソードが、物語にしっかりと絡まって展開していくのだ。ただ単にキャラクターの性格を説明するためだけに存在するエピソードが、ない(正確に言うと、私に心当たりがない)。

坂元裕二作品から私がいつも感じるのは、「人ってどうしようもないけど、どんな人もみんな、愛おしい」ということだ。どの作品を観ても、人そのものに対する愛が伝わってくるように思える。この作り手としての感覚に、私はとても惹かれている。

声の表現の奥深さ 演じ手が見せてくれるもの

私は、相手の声で手紙が読みあげられている(=自分の手元に手紙があり、その手紙を読んでいる)時の表情の変化を観察していたのだが、風間俊介さんも松岡茉優さんも、ほとんど表情に変化はなかった。

会場となった、よみうり大手町ホールのキャパシティはおよそ500人。確かに表情のお芝居で伝えるには難しい距離感だろう。これは、お二人で相談してそう決めたのかもしれない。他のペアの時はどうだったのだろうか。

ともかく、風間俊介さんと松岡茉優さんは、声の使い分けだけで見事に玉埜くんと三崎明希を演じきった。ある時は、わずかな声のトーンの変化で。またある時は、「間」を詰めることで。またある時は、話すスピードで。

声というものは、これほど表現力を秘めていたのかと、改めて驚かされる。

風間俊介さんの演じた玉埜くんは、私が思っていたより冷静で落ち着いており、優しかった。松岡茉優さんの演じた三崎明希は、私が思っていたよりずっと、可憐でかわいらしい仮面をかぶり続けることに慣れてしまっていて、残酷だった。

そして、二人はお互いが大好きだった。私が思っていたよりも、ずっとずっと。

照明の果たす役割

舞台装置がシンプル(一人掛けのソファにクッションがおかれたもの2つ、傍らにペットボトルの水)なので、照明の果たす役割がとても大きかった。普通のストレートプレイでも、照明に意味を持たせることは少なくないけれど、舞台に何もないぶん、スポットライトの果たす役割がとても大きかったように思えた。

私の解釈は、ネタバレ込みのレビューを書く際に書こうと思う。

終わりに 朗読劇という表現

人生初の朗読劇を観て思ったのは、やはり人間はずいぶん視覚から得た情報に頼ってものを見ているのだな、ということだ。

朗読劇では、視覚的な動きは普通のストレートプレイに比べて、かなり少ない。ソファに座ったまま、ページをめくる他はほとんど動かないし、表情も変わらない。その代わりに、照明と役者さんの声で表現されるものに、観客は集中する。

そして、私は泣いた。

自分の中で、朗読劇という未経験だったものの面白さが、実感できた。

しかし、物語の作り手が坂元裕二でなかったら、これほど心は震えただろうか。単に朗読劇というだけでは、震えたかどうか分からない。私が坂元裕二の作家性に惹かれているからこそ、だったかもしれない。そして、風間俊介さんと松岡茉優さんのお二人には、素晴らしい玉埜くんと三崎明希を魅せてくれて、本当にありがとうと伝えたくなった。

「坂元裕二朗読劇」というキーワードは私の中で見逃せないものに昇格してしまった。次回もまたハードなチケット争奪戦が繰り広げられるに違いない。高橋一生さんの回に参戦できるのは、いったいいつになるのだろうか。

また、風間さんと松岡さん。このお二人の組み合わせがまたあるなら、違う演目も観てみたいし、他のお二人で同じ演目も観てみたい。

それぞれの俳優さんの解釈が楽しめる可能性を秘めているとは、何という贅沢だろう。こんな贅沢が、あって良いのだろうか。

ふたたび機会があるなら、ぜひ堪能し尽くしたい。

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