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三浦春馬と私 その3

三浦春馬と私、その2からの続きです

2015年の春、私は渋谷のBunkamuraシアターコクーンで、1本の舞台と出会いました。シアターコクーンは良く行く劇場で、席番号でだいたいどのくらいの見え方になるかまでほぼ分かります(中央に舞台が配置されている場合を除く)。その日の席は一階の後方であまり良い席ではありませんでした。


演目は「地獄のオルフェウス」。テネシー・ウイリアムズ作 演出はフィリップ・ブリーン。


そもそも、テネシー・ウイリアムズの戯曲といえば「欲望という名の電車」が有名ですが、『「欲望という名の電車」といえばブランチ演った大竹しのぶよね』という極めて短絡的な思いがありました。

ブランチのゾッとするような狂気を表現できる大竹しのぶさんが、同じテネシー・ウイリアムズの作品でどんな姿を魅せてくれるのかという期待に胸を膨らませて、あの日私は劇場を訪れたのです。

三浦春馬さんについては、テレビや映画の演技はチェックしていたものの、この舞台がストレートプレイ初挑戦ということに加え、テネシー・ウイリアムズの戯曲、しかも相手役が大竹しのぶさんって若手には相当ハードル高いと思っていたので、それほど期待をしていませんでした。

とはいっても、大竹しのぶさん一人だけに期待して舞台公演に足を運ぶことは、ほとんどありませんし、「僕のいた時間」の衝撃も頭にあったので、彼にも潜在的に期待していたのかもしれません。

舞台が始まって間もなく、最初の予想は大きく裏切られることになります。まず、三浦春馬さんは思っていたよりずっと大きかったのです。

背がひょろっと高いということではありません。男臭さを感じさせる、がっちりとした体躯。舞台映えする身体に加えて、声が通る。田舎町という閉鎖的なムラ社会に突如現れた異分子、ヴァルがそこにはいました。軽やかに吹き抜ける風のようでもあり、どこか危うさを感じさせる存在でもあるヴァルを情熱的に演じていました。

あの大竹しのぶさん演じるレイディと愛を交わす姿も圧巻でした。これは、若手の俳優さんにはとても珍しいことだと思っているのです。

というのも、私が舞台で観た異彩を放つ女優さんは、2人いるのですが(一人は大竹しのぶさん、もう一人は宮沢りえさん)、たいてい30代前半ぐらいまでの若い俳優さんは、共演すると空気になってしまうんです。彼女たちが強烈すぎてどこに出ていたかわからない。

ですから、そんな中でも結構なインパクトを残した三浦春馬さんは、とってもすごいと思ったのです。

加えて、テネシー・ウィリアムズの作品は「環境から受ける抑圧と、その中で生きる悲しみや苦しみ」が根底にあり、どの作品でも大抵救いは示されない。若い人が理解して表現するのはなかなか難しいだろうと思っていたことを、こちらが恥じるほどの演技でこたえて見せてくれて、感動したのです。

振り返って考えてみると、三浦春馬さんがこの演目をストレートプレイ初挑戦の舞台に選んだ(演出家に選ばれた)時点で、推して知るべしだったという事なのですが。とにかく、生の舞台で観る三浦春馬さんのこれからを感じさせる、良作でした。

また、この時初めて生歌を聞きました。席は先ほど触れたとおり後方だったのですが、響き渡る美しい声にも魅了されました。

長くなりました。このままキンキー・ブーツについて語ると長くなりすぎるので、次回「三浦春馬と私 その4」でキンキー・ブーツ初演のお話を書きます。

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