学校へ行っていたら安心?これからの時代を生きる私たちに必要なもの
金曜日。
2:30に目が覚め、眠れなくなりました。
それ以来、まだ真っ暗な時間帯にパッと目が覚め、眠れなくなるという日々。
ここのところ毎日。
そしてなぜか夫もほぼ同じ時間に目覚め、そこから二人で語り合うという日々…。
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やっぱり私の心は、長女の心のザワザワを察知してしまうようです。
そして夫は、他者の身体の感覚が自分の身体に起きているように感じるタイプのようで、「お腹の調子が悪い…。」と言う日々。
長女は木曜日よりも金曜日の方が準備に時間がかかり、表情も暗くなっていました。
パパへ対する攻撃も増えており、来週からの学校が怖くてたまらないのかなぁ…と感じる仕草や言葉がたくさん見受けられるようになってきました。
でも、本人は学校へ行きたい気持ちが強いようなので、無理強いをすることや急かすことはせず、彼女のペースで支度を終え、「行ってきます!」というのを待っておりました。
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先日の校長先生との面談では、
「今回のことを乗り越えるのも成長する上では必要。」と言われました。
でも、正直私は、こんなこと経験しなくて良いなら経験しない方が良いし、なんなら別に今回のことをしっかりと乗り越えなくても成長できるし、きちんと社会に出てからもちゃんと生きられる人間に育つ。と思っています。
なぜならば私自身、
小・中・高・大と、どのカテゴリーに所属していた時も、
恐怖を与えてくる先生との出会いがあったから。
そして、今の自分を見つめた時、
こういった経験は別にしなくても大人になれるし、
したとしても真正面からぶつかって乗り越えなければならない壁だったわけではなかった。と思ったから。
さらに私は、
「社会に出てからもっと大変なこともあるんだから!」と言われ、
その場にとどまり行き続けることを選んだけれど、
その考え・経験があるがゆえに
社会に出てから適応障害を起こしたような気もしています。
なぜならば、心の限界を感じることなく、
身の危険を感じたとしても、
本気でその場へ行けなくなるまで必死に自分を抑え、
自分で自分を傷つけるという行為をし続ける人間になってしまったから。
だから私は、先生との対話の中で本気で怖い思いをしたのなら、
無理してその先生に会う必要はないと思うし、
そこを乗り越えたからって人として成長すると一概には言えないと思う。
だって、これは対相手のことだから。
相手を変えることはできないし、変われるのは自分のみ。
自分の受け取り方や認識の仕方を変えるには、やっぱりちょっと時間がかかると思う。
それにこちら側が変わったからと言って、
相手も変わるとは限らないので、
何とも言えないのが現状かと。
だから、自分にできる最大限のことをして、
自分が「昨日より成長した!」って思えるんだったら、
別に無理して不安な気持ちを抱えてまで
学校へ行く必要はないんじゃないのかなって私は思っています。
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あと、きちんと会話をするというスタンスは、
いつのどこの誰に対しても大切な姿勢だな。ってことを改めて感じました。
正直、年齢によってその人の考えの深さが変わるとは思わない。
深さは人それぞれ大きく異なるものだから、別に年齢なんて関係ない。
自分より一回り若くても、しっかりとした考えを持って生きている人はたくさんいる。
だから、
相手が若かろうが、まだ何の実績も残していなかろうが、
聞く耳を持つ価値はある。と私は思います。
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相手を変えることはできないし、相手が変わることを望むのも違う。
だから後は、いかに私が、娘が、
自分の望む生き方を選択するかだけ。
自分の人生、自分次第。
小学生だろうが大学生だろうが、
自分の人生には自分で責任を持つという意識があるかないかで、
その後の選択も変わってくる。
これからの時代、いかに自分らしく生きるかが働くことに直結してくる。
だとすると、
「子どもなんだから学校行きなさいー!」
「勉強しなさいー!!」って押し付けるのは、
子どもの人生台無しにしていることと同じじゃないのかなって。
それだったら、
「自分の人生なんだから、きちんと自分で選びなさい。」
「あなたの人生、あなたのものなんだからね。」というスタンスの方が、
よっぽども子どものためになるんじゃないのかなって思う。
だから、
「子どもは学校に行かせておけば良い。」
「学校に行ってさえすれば社会に出てからも安心。」っていう考えは、
できるだけ早く捨てた方が子どものためだと思う。
だってこれからは今までのような
「安定した大企業で定年まで勤め上げる」というのは、
かなり難しい時代に入ると思われるから。
それだったら、親も子どもと一緒に枠からはみ出ることを恐れず、
自分らしく生きる過ごし方や働き方を見つけるために
自分を信じる力を強く持ち、あらゆる知恵を得ていった方が、
よっぽどもこれからの時代を生きる私たちのためになると、思います。
*
我が子は、学校生活を送る中で間違うことや失敗をすることに対して
異常な恐怖心を持つようになりました。
これって別に、生きていく上で必要ないことだと思うし、
むしろ不要なものだと私は思います。
なぜならば、人はミスをするのが当たり前だし、
ミスをするからこそ次へと繋がる適切な思考や選択ができるようになると思うから。
私自身、今まで生きてきて
失敗をすることへの恐怖心が強かったように思います。
でもこれって、自分自身の持つ無限大の可能性を自分で殺し、
不安や不満といった世界で生きることを自分に課していたのだと気がつきました。
もっと大きく羽ばたいていい、それだけの力が私にはある。
失敗したとしてもやり直せるし、ミスをすることは何も悪いことではない。
これからますます変わっていく時代の中、
彼女が彼女らしく生きられるようサポートしていくのが
母である私の務めだと思っています。
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