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「親ガチャはずれ」で思うこと

”毒親”って言葉、ええわ~。

ピシャリ!と言い当てられる ”単語” って便利~
「うち、毒親だったんで」
で話し相手が ”察し” られ、説明が省けるところがいい。

我が父親は自論を振りかざし
「アレするな」
「これをやれ」
と言ってくる人だった(それ以外は一切認めてもらえない)。

そして高校生のころ、ついにぶつかった。

こちらも対抗し、論破するために行動と結果で正当性を示したら、
「俺のいう事が聞けないなら、お前の親をやめる」
と、逆切れのあげくに絶縁宣言をされた

「そうかい。受けて立つ!」
と自分を貫いたら…めでたく?関わりが切れた。

バイトで学費やその他もろもろ賄ったので、問題ない。

今では、
毒親が一人になり面倒が半減して良かった、
と思ってる。

自覚なき母親 の方も厄介
”弱さ” を強調してこちらの庇護欲を煽る割には、
結構ひどい事をしてくれちゃったりする

昔は何かされるたびに
「はぁ? (╬◣д◢)」
と感じた気もするが・・・

今は、母親の言動の奥が見えてしまい、悲しみを通りこして 憐れみさえ感じる

母はいろいろ無自覚である。

例えば、彼女は人前で「自分あげ」のために、わたしを貶めることもある。
悪気なく、自覚なく。

今から十数年まえのこと
海外在住の友人が一時帰国し、
日本の我が家に長期滞在していた。

長期滞在しても負担なく、気心知れた大切な友人。

母に
「夕飯を食べに来ないか」
と誘われて
「友人も一緒に行って良いかな?」
と断り、その友人と行った。

食事が進みお酒が入り、上機嫌になった母は
「いかに自分が子育てで苦労したか」
という昔話しをはじめた。

どうでも良い話しだったが、友人は
「そうですか」
「そうだったんですね」
と聞いていた。

気を良くした母がペラペーラと話を盛って語りだした。。。

「この子(わたしのこと)は
普通の子じゃなくてなぁ~。
子育て大変やってん。
苦労してんで~ 普通じゃないねん、
一回なんて新聞に載ってな~、
ほんまやで。
ほんまに大変やってん…」

と。。。

おいおい! ちょっと待て!
子育て大変だった
+苦労した
+普通じゃなかった

そして

「ついには新聞に載った」
と聞いて何を連想します?



どんな子どもが思い浮かびました?

なぜわたしが地方新聞の片隅に載ったのか。。。
それは、
小学6年生の時、とある大会で優勝した
からである。

しかし、母は
「なぜ新聞に載ったか」
は話さない。

「いかに自分は苦労し、
大変であり、
新聞に載るほどの
普通じゃない子どもを
育て上げたか」

を切々と語るのだ。

彼女はただ
”「大変でしたね~」と言われたい”
だけなのだ。

大変でしたね。ご苦労なさったんですね、と
同情され、
承認され、
頑張った自分をほめてもらいたい

しかし、それがため ”わたしの印象” は お構いなしである。

彼女は苦労したんだろう。
わたしは生後10か月で歩いたらしいから。
普通じゃない…らしい。

わたしの子も生後11か月前に歩いたような…
それに関してあんまり覚えてないので、とくに何も感じなかったと思われる。

「苦労話し」をしたきゃ、そういう話しをすればいいではないか?

ひとに認められたい、と切に願いながら、
こうして彼女は結果的に自分を下げるのである。
こちらの心を削りながら・・・

さまざまな「やらかし」をされるたびに
自己肯定感は手放さず、”親を愛する” というエネルギーは削られていった

その代わりと言っちゃなんだが、
「こうはなるまい」
「自分ならこうする」
という学びが増えていく

冷まされた心は冷静になり、削られた思いは
「自分への教え」
となり蓄積される。

♢ひとはそれぞれ違うものだ、と認める
♢意見が違うくらいで相手を否定しない
♢ひとの「成果」を気安くジャッジしない
etc...

”教え” は一重、二重と層になり、
心をさらに強化していった。

親を「反面教師」として強化された心で見た時、
母は「可哀そうな人」となった。

そして、毒親の毒は効かなくなった。

あ、父のことはもう無関心
どこに住んでいてどうしているか、全く知らない

「切る」とはそういうことだと思っている。

毒親の毒に晒されまくって育ったのが
「鋼のメンタル」

「超・ブレない自分軸」
なら、悪くないかもしれない?

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