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自他と触れ合う時間

基本、朝は7時前に起きて、夜は24時には寝ている。


 7時前が早いか否かは各々の見解があると思うが、子供の頃から目覚めはすこぶる良かった方だ。幼稚園に通っていた時や小学生時は朝の会までに時間が余り過ぎて、学校でドッジボールやサッカーをしてから校舎に入っていた。(今の子もドッジボールはするのでしょうか?)
 朝日で目覚めたい私はレースだけを閉めている。レースを通った朝日は強い日差しを少しだけ柔らかく落ち着かせてくれるので、目覚ましにちょうど適している。

 夜も元々は夜更かしができない体質だった。21、22時を迎えれば身体が途端に機能しなくなり瞼が勝手に重量を増していた。
 変化が起きたのは大学生になってから。
 初めて一人の空間を持てた当時の私は安直に舞い上がった。友達と飲みに歩いたり、カラオケに行ったり、家でアニメ全話を一気見するなど、まるで今まで鎖に縛られていたように夜を思う存分過ごした。
 しかし、仕事が始まると学生の頃まであった気力が損なわれ、かといって中途半端に残っている体力のせいで、惰性の夜更かしをするようになった。
 もちろん、惰性なので特に何をすることなく、ぼおっとしている。当然次の日の昼下がりにツケが回ってくるのだ。
 このままでは日常に支障をきたすと危惧した私は、大抵24時までには寝るように心がけている。

ここまで話したのは基本であって、例外もある。


 前に話した目覚ましがわりの朝日だが、その時刻は時期によって変わる。同じ7時であっても冬ではまだ夜明け前の蒼白の空だが、夏の太陽はその時刻には既に活動を始めている。
 そうでなくとも、予定よりだいぶ早めに起床することがある。夜も中々寝付けない日が当然存在する。

 そういった時間に、私はふらりと散歩に出かける。瑞々しい朝の風や思ったより地上を明るく照らす月を見上げながら1時間少々家の周辺を散歩するのだ。
 週末の早朝や夜中は人気が少ない。人が視界に入らないとその分周りが見えてくる。春に咲く白木蓮は夜でも十分に光を放っていて、寧ろ控えめで美しい。地面を這う木枯らしから風の動きを読むことができる。

それと同時に、私はよく自分を見つめる。


決して深く考えているわけでも、見つめたからといって納得するような答えが浮かび上がってくるわけではない。それでも今日あったことや今の気持ち、そしてこれからのことを歩きながら漠然と思い返す。

 見つめるよりは整理の方がしっくりくる。
情報過多な日常で散らばった事柄や気持ちは衣服が乱雑にはみ出した箪笥に似ている。それを一度綺麗に畳んできちんとしまう。そうすると、こぼれかけていた事を思い出すことができるのだ。

 別に散歩に限ったことではない。コーヒーを淹れたり、ノートを開いて何か書くのも良い。
 ただ、一度デジタルを置いて心に問いかけてみる。それは無駄なことかもしれないが、自他と触れ合う時間がふとした気づきやつながりを導いてくれるかもしれない。
 心を耕すことこそ、現代の人たちに必要なことだと思う。

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