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【インタビュー】西野奨太「俺はプロでもやれる!」 不安が自信に変わった沖縄キャンプ~飛躍の2022へ~

アカデミー育ちの選手が成長し、チームの主軸として活躍。そして、いずれは日の丸を背負い世界の舞台で戦う。

そんな未来予想図を描かせてくれる選手が今、札幌にいる。

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北海道コンサドーレ札幌所属、西野奨太・17歳。

新シーズンのキックオフが近づく中、札幌育ちの若武者がブレイクスルーする瞬間は着々と近づいている。

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西野は昨シーズン、クラブ史上初となる現役高校生としてプロ契約

11月には荒野拓馬が保持していたクラブ最年少リーグデビューの記録も更新するなど(17歳183日)飛躍の一年を遂げた。

しかし、この男の持つべきポテンシャルをこれで評価するのは時期尚早。

実際に2021年は不安も大きかったと当人は語るが、今は違う。

プロとして初めて迎えたキャンプでもどん欲に成長を追い求め、自信は確信に変わりつつある。

そんな西野奨太に今回、オンライン形式でインタビュー取材を実施。

「ずっとコンサドーレでやって来て、このチームにはとてつもなく感謝をしていますし、絶対に恩返しをしたいんです。」

札幌で生まれ、札幌で育ち、札幌を愛し、札幌に愛される17歳。

西野奨太は必ずや近い将来、北海道コンサドーレ札幌に関わる人々の誇りとなる選手だ。

プロとして迎える最初の新シーズン。彼の成長ぶりにぜひ注目して欲しい。

きっと〝西野奨太の2022年〟を見たと誇らしくなる未来が来るはずだ。

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西野奨太とコンサドーレの出会い

西野がサッカーを始めたのは5歳の頃。兄二人がプレーしている姿を見て、三男の奨太も自然と始めた。

そんな西野が赤黒のユニフォームを纏うことになったのは札幌市立中沼小学校三年の時。

「2個上のお兄ちゃんがコンサドーレのアカデミー組織に入っていて、7個上の兄もコンサの指導をしていた浅沼監督にお世話になっていたり、クラブと関わりがあったんです。僕もお兄ちゃんがコンサでやっているのを見て、率直にカッコイイとずっと思っていましたし、たまに試合も見に行って、こういう厳しい環境でやれたら絶対に楽しいだろうなと思って、そこから俺もコンサに入りたい!と自然に思いましたね。」

幼少期からコンサドーレと身近な環境にあった西野家。
札幌ドームにも何度も応援に足を運んだというが、〝コンサ熱〟が高まった背景には母親の〝宮澤愛〟の影響も。

「お母さんが、宮澤さんのことを室蘭大谷高校の頃から大好きでして。室蘭大谷時代の宮澤さんと俺とお母さんの、3ショットの写真があったりするくらいなんです(笑)それで俺も自然と宮澤さんのことを当時からずっと好きでしたね!」

コンサ愛に囲まれ育った西野は、自身の望み通り、札幌U-12入り後、同U-15、同U-18と着実にステップアップを果たしていく。

高校サッカーへの憧れを抱いた時期もあったが、「俺にはやっぱりコンサしかない!」

そう感じ、コンサでのステップアップに迷いはなかった。

コンサドーレへの想いが強まったキッカケはあるのか?そう問うと、歴代指導者の愛情が導いた感情だと答える。

「サッカーの事は勿論、人として今後どういう選手にならないとダメなのか?という事をコンサドーレは僕に沢山のことを教えてくれました。

思春期の中学校の頃、僕がひねくれていた時期にも、ずっと見捨てないで育ててくれたスタッフ陣には本当に感謝してますし、サッカーのことだけじゃない所の感謝も大きいんです。

恥ずかしい話、中1の頃はJFAのエリートプログラムのメンバーにもずっと選ばれていて、今思うと天狗になっていたと思います。

中2の時には真面目に練習をやらないとか本当に調子に乗ったことばかりしていたんですが、そんな中でもコーチ陣はずっと見捨てないで育ててくれたんです。

自分のサッカー人生=コンサドーレなので、本当に感謝しても感謝し切れないんですよね。」

そんな西野がプロ入りを本気で目指したタイミングは高校1年の頃。トップチームとの初めての練習試合で抱いた実力差への危機感からスイッチが入った。

「高1の夏に、トップチームと練習試合をはじめてやった時にレベルの差にビックリして…こんなにもユースとトップで違うんだと衝撃的だったんです。その時に〝プロ〟を始めて体感して、そこから本気でプロ入りを意識し始めましたね。」

中学3年では、キャプテンとしてチームを全国ベスト8に導き、札幌U-18に昇格後も即レギュラーを獲得した。

だが、アカデミー期待の星を持ってしても、ミシャ体制3年目を迎えた当時のトップチームの壁は分厚く、自分はプロになれるのか?確信を持てずにいたという。

そんな西野の一つの転機となったのが、コンサドーレU-18が全国準優勝に輝いた昨夏の日本クラブユースサッカー選手権だった。

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「トップチームの練習には継続的に参加していましたが、プロレベルでやれる手応えは掴めずにいました。ずっとまだまだ、自分はこのレベルではやれないと。

そういった中、夏のクラブユースは自分的にも手ごたえがあった大会で、世代を代表するストライカーと対戦しても、自分はこれくらいできるんだと実感して、自信を持てるようになりました。」

大会を通じて、最終ラインで魅せるそのプレーぶりは全国の強者たちと対峙しても異彩を放っていた。

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そして、その衝撃的な速さで成長を遂げる姿には筆者も感銘を受けたが、それはクラブ関係者にとっても同じ思いだった。

「高校2年生になってからの成長率は正直、我々クラブサイドが考えているよりも非常にスピーディーだと感じていた。既にクラブの評価としては“高校生のレベルを超えてしまっている”」

三上GMも後に西野をこう称したように、クラ選での活躍が評価されると大会後にはU-17日本代表にも召集。すると、代表活動から戻ったタイミングで西野はクラブからの異例の決断を伝えられる。

「最初はトップチームに帯同という形で聞いていたんですけど、その2日後に次郎さん(北原次郎 アカデミーダイレクター)と話して、「トップ昇格できます!」という話を聞きました。本当にビックリしましたね。お母さんと俺と次郎さんと3人で話していたんですが、お母さんも本当にビックリしていて付いてこれてなかったです(笑)」

高校年代では図抜けた対人能力の高さ。無理の利く体の強さ。

そして、物怖じしないパーソナリティを含めて、クラブも早い段階でプロで勝負させるべきと判断し、異例の高校在学中でのプロ契約に踏み切ったのだ。

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クラブ最年少出場記録の更新

トップチーム昇格を勝ち取った西野だが、プロとしてやっていくに当たっての不安は依然と潜在していたと語る。

そんな西野の心理的不安を取り除くキッカケを与えてくれたのも家族の存在だった。

「最初はプロとしてやっていくことにめちゃくちゃ不安もありましたね。
プロになるってことはお金を貰って、サッカーをするということだし、それが仕事になるので。

一つ一つのプレーや振る舞いにも責任が今まで以上に生じてきますし、周りの人たちの目も変わってくるという意味で不安がありました。

ただ、長男と話していた時に「勿論、プロとしての自覚は必要だけど、今まで通り、奨太はただ、サッカーを楽しむだけじゃない?」と声を掛けてくれてそれが響いたんです。その言葉で自分は胸を張って、プロとしてやっていこう!という決意ができました。やっぱり家族の存在は大きいです。」

支えてくれる家族にはプロになっての恩返しも早速実践したという。

「お母さんを美容の小顔マッサージ的なものに連れて行ってあげたりしました。めちゃくちゃ喜んでくれていて嬉しかったです。(笑)まだ親と二人ではご飯に連れて行ってあげれてないので、今度行きたいなと!」

愛くるしい笑顔で語る姿はまだまだ17歳の面影も感じさせるが、ピッチ上では実に頼もしい。

西野はプロとしての第一歩を昨年の11月27日に踏み出した。明治安田生命J1リーグ 37節の柏レイソル戦で途中出場を果たし、リーグ戦におけるクラブ最年少出場記録を更新したのだ。

「札幌ドームは本当に小さい頃からの憧れの舞台です。何回もドームへ観戦に行きましたし、ボールボーイもやりました。でも選手として立つと本当に物凄い雰囲気というか。あのプレッシャーや緊張感を肌で感じて、本当に自分はまだまだなんだ…これからもっと努力していかないと。という思いがデビューしたことで一層高まりました。」

元来の最年少記録を保持していたのは現在のチームの主軸でもある荒野拓馬。そんな荒野は西野の記録更新を誰よりも喜んでくれた。

「拓馬さんとはずっと記録について話していました。自分がレイソル戦の前にメンバー入りした時にも、拓馬さんはずっと自分のことを気にかけてくれていたんです。

ただ、レイソル戦ではアップでも本当にマジで俺の所にガツガツ来ていたので!記録更新して欲しくないのかな?って思ったりもしたんですけど(笑)影ではめちゃくちゃ気に掛けてくれて、記録を塗り替えた時も一番喜んでくれたのは拓馬さんでした。めちゃくちゃいい先輩です!」

そんな先輩からは新年のチーム始動イベントでも、〝キラーパス〟を受け取ることになったが、17歳の大器はそれもいい経験と前向きに語る。
(下記動画URL 1:19:50~)

「新年会で一発芸を振られた時の率直な気持ちは、「やりやがったな」って…大先輩ですけど、そう思いましたね(笑)
裏話をすると、自分が拓馬くんに振られるのは予想していたんですよ。それで空君(井川空)に「空君を巻き込んでいいですか」って裏で話していて、「それだけはやめろ」って言われていたんですけど、でも本番で言っちゃいました!今は、すべてがいい経験だと思ってます(笑)」


沖縄キャンプで掴んだ手ごたえ

プロデビューも飾った2021年を終えたオフシーズン、西野は課題のフィジカル面の強化に励んだ。

「このオフは体をまずはデカくしたいと思って、ご飯も意識的に量を取ったり、身体操作という専門トレーナーの所で鍛えて、体重も3・4キロ増えましたね。身長も伸びたと言われますし、フィジカル面はかなりいい感じに伸びてきていると思います。」

肉体改造に励んだオフを経て、プロとして初めて迎えた沖縄キャンプではフルメニューを消化。心身ともに成長を遂げ、かつて抱いた〝不安〟〝自信〟に変わりつつある。

「沖縄キャンプでは、ミシャさんのサッカーをより深く体感できました。本当に色々なことが刺激になってますし、ミシャさんから色々な指導をして貰っていてそのアドバイスを自分なりにプレーで表現できていると思います。

自分でも自分の成長を実感していて、練習試合や紅白戦を重ねていく度に、コンサドーレのトップチームでもやれるフィーリングを掴めていますし、自分の良い点をどんどん出せるようになっているので、手応えは非常にあります。

この沖縄キャンプで以前の不安は自信に変わりつつありますね。俺はやれるんだと。

今シーズンのJ1リーグ全体でも最年少にあたる西野だが、チームでもレギュラー組としてプレーする機会も増えるなど、着実に序列をあげている。年齢は関係ない。

だが、それは同時に宮澤裕樹や田中駿汰ら偉大な先輩たちとポジションを本気で争うことを意味するが、西野は矢印を自分に向けて、日々成長することに集中している。

今キャンプでも、首脳陣や先輩の助言や振る舞いの一挙手一投足に注目し、自身の成長に繋げようと奮闘中だが、今シーズンの目標も一歩一歩、着実に遂行していくつもりだ。

「今年の目標は1分でも多く試合に絡むことです。リーグ戦でまずはベンチ入りは当たり前になって、まずはセカンドチョイスに入って、そこから徐々に出場時間を増やしていければ最高かなと思います。

やっぱり宮澤さんは、予測の所や考える能力はJリーグの中でもトップだと思っています。そういう点では紅白戦で相手ではあるんですけど、どんな指示をしているのか?意識的に聞いてますし、どんなポジションに立っているのかも見ています。予測の部分は自分の特徴でもあると思っているので、宮澤さんのいい部分を盗んで、自分の特徴にもっと還元したいと思って見ています。

駿汰くんはやっぱりシンプルにボールが奪われないとか。ビルドアップの時の立ち位置とかそういう所は紅白戦とかある度に、常に聞いてますね。
駿汰くんも本当に可愛がってくれていて、兄貴のような存在という認識で大正解です(笑)」

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そして、先輩たちの指南を自身のものとした先には日の丸を背負う舞台も待っている。

FIFA U-20W杯インドネシア2023に向け活動を行うU-19日本代表が今年9月に予選にあたるAFC U20アジアカップへの参戦を予定している。

ここまでは一学年下の世代別代表に選出されることの多い西野だが、U-19日本代表のメンバー構想にも入っており、今年のプレー如何では召集される可能性は十分に考えられる。
※札幌の選手がU-20ワールドカップ本大会に出場すれば2007年の藤田征也以来

「日本を背負って戦うことは本当に光栄なことですし、コンサでやっていることを代表でも出来れば、十分自分の力は通用すると思っていますし、何より日本を背負って戦いたいですね。」

自身の成長の為に貪欲に学びを求める姿は代表でも変わらない。世代別代表でロールモデルコーチを務める中村憲剛氏の教えも自分のものにしようと目は高く持ち、同時にしっかりと地に足つけている。

「憲剛さんには、相手を見ること、試合を俯瞰して見ることをよくアドバイスされています。代表の活動も自分の成長の為に、意識高くできていると思います。

今はまだ自分の世代別代表しか入っていないですが、若い選手がどんどん飛び級でA代表にも入っている中で、もう遠い目標でないと思っています。
でも代表に入るにはコンサドーレで結果を残すしかないですし、まずはコンサで試合に出て、どんどん活躍することのみを目標にやっています。」

西野奨太と話をさせて貰う度に思う。この選手はまだまだ上にいくはずだと。そんな西野にはコンサドーレで成し遂げたい野望がある。

一つはチームの主軸としてタイトルをもたらし、世界で戦える選手になること。

「ずっとコンサドーレでやってきて、このチームにはとてつもないくらいの感謝をしていますし、絶対に恩返しをしたいと思っています。

その恩返しをクラブにするにはピッチの中で活躍してタイトルを獲ったりでしか恩返しできないと思うので。

自分が主力になってコンサドーレにタイトルをもたらせる選手になって、いずれはコンサを代表して、世界で戦える選手になりたいと思います。」

そして、もう一つはトップ昇格することができなかった〝一学年上の戦友達〟とまた共にコンサドーレで戦うことだ。

「ユースの先輩達とまた戦いたいという思いは本当に滅茶苦茶強いです。
特に1学年上の先輩たちには小学校からずっと、一番お世話になってきた人たちなので…

クラブユースでも3年生の支えが無かったら絶対に準優勝までいけてないですし、本当に特徴を持ったいい選手が多いので。大学を経由して、絶対にコンサに戻って来てくれると思っていますし、自分もユースからトップ昇格したことを誇りに思って、みんなが帰ってくる頃には主力として、チームを引っ張る存在として、再会できるように成長していきます。」

西野奨太はオンザピッチの能力だけでなく、オフザピッチにおいても魅力に溢れている。真っ直ぐな芯がありながら、人に愛される天賦の才も持っているのだ。

最後にそんな西野に自身の性格を自己分析して貰った。

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「いやもう明るくて、よく笑う人間です(笑)

応援されるのが大好きです。

状況が落ち着いたら、ガンガン声を掛けてくれたら、めちゃくちゃ嬉しいタイプです。

そして、もし背番号47を着て応援してくれたら、めちゃくちゃ嬉しいです。もう嬉しいしかないです!

47を着て応援してくれたらマジで嬉しいです!!

今買っとくのはありかなと思います!!(笑)」

この男の未来の可能性は無限大だ。

ぜひ、片時も目を離さずに応援して欲しい。

西野奨太の軌跡は始まったばかりだが、もう始まっている。

47番から始まるその歩みを決して見逃すことなかれ。

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