10/26(土)道産子よ大集合せよ!! 埼玉を赤黒で染める!!

【コンサドーレ好きなんです】

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私の発言に友人や知人は
決まってこう返答した。

「あー、今J2(2部リーグ)だっけ?」


北海道コンサドーレ札幌
確かに、このクラブの歩みは波乱万丈だ。

いや、正直に言うと、、、
費やした時間は失望の方が多かった。

「コンサドーレ弱いよね?なんで応援してるの?」

この止むことのない
ジャブの連続に対し、

「うっせー!そんなの理屈じゃないんだよ」

と心に秘めながら、
時たま起きる歓喜に、
心通わせ、
未来の栄光を夢見て、

おらが街のクラブを応援してきた
サポーターも多いはずだ。

そんな弱小と揶揄され続けたクラブが
今、創設24年目にして、初の快挙を目の前にしている。

Jリーグ3大タイトルの一つ
〝ルヴァンカップ〟優勝に王手をかけたのだ。

率直に言って、
〝信じられない。。ずっと信じていたけど〟
こんな気持ちであるが、まだ、何も成し遂げていない。

そして、最後の相手が、これまた最高に倒すのが難しい。

川崎フロンターレ
現在、Jリーグ2連覇中の絶対王者である。

そして、コンサドーレはこのフロンターレに
すこぶる相性が悪い。

2008年にナビスコカップの予選で
一度、勝利してるとは言え、
Jリーグでの対戦成績を見ると

2019年
1-1 △

2018年
0-7 ●
1-2 ●

2017年
1-2 ●
1-1 △

2012年
0-1 ●
2-3 ●

2008年
1-3 ●
0-2 ●

2004年
0-2 ●
1-3 ●
0-6 ●
0-2 ●

2003年
0-1 ●
1-1 △
0-1 ●
0-0 △

1999年
1-2 ●
0-2 ●
1-1 ●
0-2 ●

真っ黒である。

客観的な立場で見たら、
〝川崎の絶対優勢〟という声が間違いなく大きくなるはずだ。


しかし、コンサドーレを応援するという
主観的な立場で見たら、

「このファイナルの為に今までがあった!!」

である。
その瞬間を想像しただけで身震いする。

それでも一筋縄では間違いなく、いかない強敵だ。

だからこそ、ありったけの声援を送るのだ。
そして、一人でも多くの人に応援に来て欲しい。

決勝の舞台は、
埼玉スタジアム2002
10月26日(土)13:05

チケットはまだ購入できる。

北海道に何かしらのゆかりのある方、是非、力を貸して下さい。

北海道に特に縁のない方、今縁ができました。力を貸して下さい。

サッカーやJリーグを見たことがない方、
6万人近い人々が必死に声を張り上げる雰囲気を是非、体感してみて下さい。日本代表の試合なんかとも、全然違う空気です。



コンサドーレの変遷

コンサドーレは
北海道初のプロチームとして
1996年に産声をあげた。

しかし、冒頭に述べた通り、
このクラブの歩みは順調とはいえないものが続いた。


今回はここから、クラブの辿った歩みを
改めて振り返ってみようと思う。

【累積赤字30億円超え】
活動初年度、収入見込みの甘さと身の丈以上の選手補強により
いきなり、約8億円の赤字を計上する。

そして2年目にも、約10億円の赤字が加算。

当時の川淵三郎チェアマンに
「コンサドーレ札幌にも北海道の実情に合った
長期展望に立つ経営をして欲しい」と釘を刺されたほどだった。

積もりに積もった赤字は約30億円。
資本金を5億円、上回る債務超過。

事実上の〝倒産状態〟に陥った。

1998年9月から翌年3月までの
運転資金が4億円足りなくなるなど、
支援がなければ「クラブ消滅」という、危機に瀕した。

結局、サポーターズ持ち株会を通じた
計3億円の増資や札幌市の支援。
当時異例とされたボランティア(CVS)を多用しての経費削減。


そして、石屋製菓の2億円の緊急融資などもあって、
クラブの灯を繋ぎとめたが、火の車経営はしばらく続き、
根本的な経営改革までは大幅な時間を要した。


支援といった意味で、忘れてはならない
〝コンサドーレの恋人〟がいる。

白い恋人で有名な同上の石屋製菓さんだ。

当時、年商70億円の企業としては
破格の約30億円を投じて、石屋製菓は
コンサドーレ札幌専用の練習グラウンド
宮の沢白い恋人サッカー場を建設する。


こうして、4月-10月でしか屋外で練習できなかった
コンサドーレがシーズンを通し、天然芝上で練習を可能とする
国内屈指の施設が完成したのだ。

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そうした各企業や団体の手厚いサポートもあり、
2000年には初の単年度黒字を達成。

1999年-2001年の元日本代表監督の
岡田武史監督体制では、
J1昇格&J1残留という、
ポジティブな時間が流れた。

しかし、岡田監督が退任した翌年、再びJ2に降格。

次年もJ1昇格に失敗すると、経営は更に悪化。
2004年から選手の強化費の大幅削減を余儀なくされ、
成績も一層、低迷した。


【コンサドーレ札幌強化計画】

根本的なクラブ改革を迫られた
チームはJ1定着を目指す為の
〝強化計画〟を2003年12月に発表した。

<1>選手総数28人
<2>平均年齢22歳
<3>高額年俸外国人選手0人

「強化計画」に沿って、トップチームの人件費を3億円まで圧縮して
戦いに挑んだが、待っていたの厳しい現実であった。

J2最下位の2004年

引き分けを挟む泥沼の14連敗を喫するなど
2004年は【J2最下位】に陥った。

余談となるが、J2、20年の歴史で
最下位を経験したクラブがその後
Jリーグタイトルを獲得した事例は0である。

コンサドーレがルヴァンカップ優勝を果たすと、
Jリーグ史上最高の成り上がり
と言える。


その後も、計画通りに中々ステップアップできず、
立て続けに起きたのはクラブ関係者の不祥事であった。

【クラブ不祥事】
・2003年助っ人外国人の暴行
・2004年若手ホープの飲酒運転
・2005年取締役の逮捕

厳しい情勢が続く中、
2007年には前監督の柳下正明監督の若手育成と
新監督三浦俊也監督の指導による強固な守備構築が合わさり、
J1昇格を果たす。

しかし2008年、再度J2に降格。

98年、02年、08年と3度の
J2降格を経験したコンサドーレは
J1とJ2の行き来を繰り返す“エレベータークラブ”
と揶揄されるようになる。


その後も選手の成長曲線とクラブの
成長曲線がリンクしない期間が続き、
下部組織から、手塩にかけて育てた
西大伍選手、藤田征也選手など若手の移籍金収入
で何とか予算を確保する状態が続いた。

史上最速のJ2降格

2011年、4度目の昇格に成功するも
またもや待っていたのは、J1の厚い壁であった。

7試合を残した9月段階で、J2降格決定という屈辱のシーズン。
今も破られていない【史上最速の降格】記録だ

そして、翌年、これまで以上の緊縮財政で
臨まなければいけない厳しい経営状況に陥る。


クラブのレジェンドOBの帰還

トップチームの人件費:1億9千万円(当初予定)
J2の22チーム中、下から2番目の予算規模


J3に落ちておかしくない財政規模。
そんな、どん底からの再建を託されたのは
生え抜きの若武者達とクラブのレジェンドOBであった。


〝北海道育ちの若武者達〟

北海道のアカデミー出身選手がコンサドーレの屋台骨を支える。

クラブとサポーターが長年、待ち望んでいたチームの理想像を
体現しうる〝黄金世代〟がコンサドーレにも誕生した。

奈良竜樹、荒野拓馬、深井一希らを中心とする、
1993年~1994年生まれの世代だ。

黄金世代はプレミアイーストJユースカップで優勝するなど
世代屈指の強さを発揮。

クラブの下部組織の宝たちを、2年で11名
トップチームに昇格させるなど
2013年開幕段階では日本人27名中18名が
北海道育ちという〝北海道カラー〟が一層、
強まるチーム構成になった。


「この選手たちが20代半ばの働き盛りになる時に、
コンサドーレの明るい未来が来るはず!」

藁にもすがる思いで、明るい未来を夢見ていた
サポーターも多いのではないだろうか。


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〝クラブのレジェンドOB帰還〟
クラブの最盛期(00~01年)にキャプテンとして活躍した
野々村芳和氏がクラブの社長に就任することが2012年末に発表される。

野々村社長は就任早々、
「この予算では戦えない。J3に降格する」

とスポンサー集めに尽力。
当初、予定されていた1億9千万円の強化費を約3億6000万円まで増額。

その尽力のおかげで、現キャプテンの宮澤裕樹らを何とか引き留めることが出来た。
「コンサの将来は若い選手を自前で育てていくことに尽きる。
少しでも大きくするには、応援してくれる仲間を増やすことが最大のミッション」


と様々な施策に打って出る。


①レジェンド選手の獲得

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野々村社長は
『チームが強くなるには月曜から金曜の練習の空気作りが一番大切』
と成功経験のある経験豊富な選手の存在を重宝

そこで核となったのが、
河合竜二、小野伸二、稲本潤一らの一流のプロ選手。
彼らと共に、プロ生活を過ごした、生え抜き選手には、明らかな変化が見られた


②東南アジア路線の拡充

野々村社長「将来、必ず大きな何かが生まれると思う」

とワールドワイドで人気のあるサッカーの特性を生かし、アジアに進出。札幌や北海道の「シティープロモーション」を担うことで、コンサドーレの価値を上昇させようと様々な施策を行った。

最初に獲得したのが、ベトナム人MFレコンビン


ベトナムでの経済活動の拡大を目指す国内企業などから協賛金2千万円を獲得し、ベトナムでの生中継など放映権料や広告収入が増えるなど
獲得経費を差し引いても「ビン効果」は約1千万円の黒字だった


その後もインドネシア人MFステファノ、イルファンらを獲得。


そして、極め付けは、2017年に獲得したタイ代表のチャナティップだ。

戦力補強と同時に、クラブや北海道の知名度をタイで高めることで、同国での経済活動拡大を目指す企業とのスポンサー契約などにつなげる狙いもあったが、チャナティップはピッチ内外で期待以上の活躍を果たす。


ピッチ内では、2018年のJリーグベストイレブンを受賞するなど、クラブの最高成績の原動力となった。

愛くるしい笑顔とピッチでの輝きで、もはやコンサドーレ史で最も愛されている選手と言っても、過言ではない。

またピッチ外でもタイでの販売促進を狙いたいアイスの人気商品「ガリガリ君」を製造・販売する赤城乳業とアジアプロモーションパートナー契約を結ぶ要因になるなど、クラブの拡大に大きく貢献している。

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③サポーターへの情報開示

野々村社長は年40回ほどの講演活動などでサポーターらと接点を持つ際、
他クラブとの強化費の比較などをデータで示し、サポーターとの目線の乖離をなくすことに力を注いだ。

低迷の原因が選手ではなく、クラブ経営にあることを伝えるためだった。「『情けない』と見られている選手があまりにかわいそうだった」
現実のお金の話をサポーターとかスポンサーなどのステークホルダーに
全部伝えるようにしました。
経営側として、僕らはこうやって売り上げを伸ばすので、
みんなもチームが強くなるように、一緒に同じ方向を見ながら
進んでいこうよみたいな話を伝えました。
コンサドーレのことが何となく分かって、「今ああいう状況なんだ」「でも前に進んでいきたいよね」みたいな空気をつくれたなら、もう少しクラブも大きくなるかなと思っています。

J2時代の2015年8月岡山戦の直前には「野々村芳和とコンサドーレ札幌を考える会」を試合前に開き、野々村社長はチームのビジョンや財政状況について説明。


「現在の厳しい財政状況」
「未来へ必要な数字目標」
を掲げ、数字目標を悠々に達成している。

2012年 J1
営業収益:13.4億円
強化費:4.9億円(J1-18位予算規模)

2013 J2 野々村社長就任
営業収益:10.7億円
強化費:3.6億円(J2-12位予算規模)(当初1,9億円予定)

2014年 J2
営業収益:13.2億円
強化費:4.3億円(J2-10位予算規模)

2015年 J2
営業収益:14.2億円
強化費:5.5億円(J2-8位予算規模)

2016年 J2
営業収益:19億円
強化費:7.0億円(J2-7位予算規模)

2017年 J1
営業収益:26.7億円
強化費:12.0億円(J1-16位予算規模)

2018年 J1
営業収益:約30億円
強化費:約15.0億円(J1-15位予算規模)

2019年 J1(見込み)
営業収益目標:35~36億円
強化費:18億円

野々村社長就任から7年
債務超過を解消し、強化費は5倍に

非の打ちどころのない手腕ぷりを発揮している


④各スペシャリストへの協力依頼

野々村社長「僕ができないことは人にお願いする」とのスタンス

【情報発信のスペシャリスト】
クラブ創設20周年の2016年に広告大手の博報堂DYメディアパートナーズと提携。「クラブビジネス戦略パートナー」として7年契約を結んだ。

コンサドーレはクラブのプロモーションなどを担当する3人程度の
スタッフを招くほか、2年間で数億円の支援を受け、札幌の売り上げが増えるとともに、同社にマージンが支払われるため、クラブ規模が拡大するに伴い、ウインウインの関係が出来上がる。

という契約を結び、全ホーム試合の地上波中継なども実現。
露出を増やすことで、新規ファンの開拓を図った


【グッズのスペシャリスト】
各セクションで順調な成長を続けているコンサドーレではあるが、
苦戦していたのが【物販収入】

J1クラブで18チーム中、17位と伸び悩んでいた。

そこで、クラブ初のクリエイティブディレクターにデザイナー「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」の相澤陽介さんを起用。

デザイン性に優れた広告やアパレル関係のグッズ製作などを
責任者として指揮してもらい、クラブのブランド価値向上につなげていく狙いで少しずつ、動きが活性化し出している。



"I was there."と生涯、語らう為に

長々と書き連ねたが、北海道コンサドーレ札幌は、
タイトル奪取に相応しいチームになった。
と、胸を張って言える。

だからこそ、一人でも多くの方々に
その姿を見て欲しい。
共に戦って欲しい。

攻撃的なサッカーを志向するチームの対戦とあって、面白い試合になるだろう。


こういう舞台の最後を決めるのは、技術云々ではなく、その思いの強さの総和だ。


〝歓喜〟〝叱咤〟〝焦燥〟〝絶叫〟
スタジアムには、あらゆる感情が渦巻いている。

そして、大人から子供まで皆が〝瞬間〟に支配され、
知り合い・見知らぬ人関係なく、
感情がこだまする瞬間が確かにある。

きっと、2019年10月26日は、コンサドーレを応援する者・北海道を愛する者にとって、そんな瞬間が来るはすだ。


"I was there."

「僕はそこにいた」

「(その歴史的な試合に)僕は現地にいたんだ」


その瞬間は生涯、語らえるはすだ。
本当に一生で一度切りとなりうる、チャンス。


少しでも、行くことに興味のある方
迷っているならGOしかない


さあ行こうぜ 道は険しくても 突き進め 世界を切り拓け


歴史的な試合でもやることは変わらない


迷わず行けよ 信じる道を 俺たちならやれるのさ


赤黒のサポーターで大合唱して、チームを後押しするのみだ!


その先に待っているのは最高の週末!

そして、見たことのない景色が待っているはずだ!!

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