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【インタビュー】順大 大森真吾が札幌入りを決めた理由 担当スカウトの情熱とチームビジョンへの共感

「スカウトの活動は恋愛と同じようなもの。惚れた相手を本気で口説きにいく。縁あって活躍してくれた瞬間は最高に喜ばしいし、逆にめちゃくちゃ落ち込むこともある。」

以前、あるスカウトが語ってくれた言葉である。

2022年9月20日。北海道コンサドーレ札幌から順天堂大学蹴球部4年・大森真吾の入団内定が発表になった。

両思いの恋が成就した瞬間と言えるのかもしれない。

大森真吾。通なサッカーファンなら、その名を耳にしたこともあるだろう。

名門高校のエースとして早くから注目を集め、選手権ではビューティフルゴールをねじ込み話題となった。大学進学後も1年の開幕戦でスタメンデビューすると、関東大学リーグで新人賞も受賞。その後も、世代別日本代表の常連メンバーとして活躍した、大学指折りのストライカーだ。

しかし、そんな逸材FWがプロ内定を勝ち取ったのは大学4年の秋。昨今の早期プロ契約の流れを鑑みると、いささか遅めの発表になった。

その背景にあるのは、本人が「空白の1年になった」と振り返る1年2か月に及ぶ負傷離脱。

それでも彼の献身的なリハビリと、非凡な能力を評価し続けたスカウトの情熱が合わさり、復帰→練習参加→即正式契約という〝秋の早期契約〟が実現した。

オンザピッチでは181センチの懐の深さと柔らかさを
完備したポストプレー。豊富なシュートバリエーション。動きの一つ一つからサッカーIQの高さをも感じさせ、オフザピッチでは理路整然と自身を客観視しながら、ストライカーらしい自信も感じさせる。

「自信は正直な所、ありますね。無かったら札幌に行く意味がないので。」

真っ直ぐと澱みのない言葉で言い切る、この漢の姿を見ていると、コンサドーレの最頂点で大車輪の働きをしてくれる姿を想像して止まない。

2023年シーズンよりコンサドーレで戦う大森真吾は必ずや北の大地を熱くさせてくれるはずだ。

大森真吾の歩み

兄の影響で3歳から福岡でサッカーを始めた大森。小学まではCBやボランチなど守備的なポジションを務めていたが、中学の小倉南FCJrユース時代からFWへコンバート。

「当時はドリブルが好きでボランチからどんどん得点を獲っていくスタイル。点を獲るのも好きだったのでFWになって、やったーと思ってましたね。」

そんなFW大森真吾が、高校の進学先に選んだのが名門・東福岡高校。同郷の一学年先輩・福田湧矢(小倉南FCJrユース→東福岡→G大阪)の助言もあり、全国優勝計6度の、赤い彗星の門を叩いた。

「最初はビビッていたというか。入った時はやばい奴らがいるんだろうと思っていたんですけど。練習を何回かやった時にこのレベルでも自分はやれるなと。

言葉の通り、大森は高校1年で早くもトップチームのメンバーとしてデビュー。プレミアリーグでも早速、ゴールを決めるなど入学早々から、頭角を現した。だが、その後の1年は、停滞の月日を過ごしたと語る。

「高1からトップチームに絡んでいましたし、2年になった時にはスタメンでバリバリ出れるだろうと勘違いというか。天狗になっていた部分があって。結果、2年では全然出れず、鼻をへし折られた1年に。3年の春のタイミングでも、状態が上がらず、監督にも喝を貰いました。ただ、そのタイミングで僕がキャプテンを務めることになって。そこから意識が変わって充実したシーズンを送れたかなと。」

同期に中村拓海(横浜FC)。1学年下に荒木遼太郎(鹿島)らを擁した最終学年は高校総体では優秀選手を受賞。プレミアリーグでも7得点を挙げるなど、全国屈指のFWとして名を馴らしたが、高卒でのプロ入りは頭になかったという。

「高1の時にはもしかしたら、高卒でプロにいけるかも?と思っていたんですけど、2年の時に自分の力の無さを痛感して。これじゃ、高卒でプロに行っても無理だなと。正直、2年の段階で複数クラブからオファーがあるようなスーパーな選手じゃなければ、プロに行っても2、3年は出れないだろうなと。そこで潰れるなら、大学に行った方が成長できると思っていたので。2年が終わった頃には大学に行こうと決めていました。」

高校3年の5月には大学進学を決めていた大森。すると、進学先の順天堂大学でも1年から開幕スタメンを奪取。順大の3学年先輩に当たる旗手怜央(セルティック)と2トップを形成するなど、大車輪の働きを見せ、関東大学サッカーリーグで新人賞を受賞。そんな充実のシーズンの手応えを問うと、大森のクレバーさが滲み出た回答が返ってきた。

「自分は見て、学べる点が武器。こういう風にするとボールを貰いやすいんだとか、こういった体の使い方をすれば、ボールを取られないだとか。
偉大な選手と同じようなプレーをして、成功体験を積んで、その選手よりも上に行く。それで今まで自分は上がって来たので。当時は、怜央さんという一番いいお手本が隣にいたので。それを毎日見ながら、吸収していました。手応えを掴んだ一年でしたね。」

大学リーグでは、2年連続でチーム最多得点を記録。また、選抜メンバーによる地域別対抗戦。デンソーカップでも大会ベスト11を受賞するなど、大学サッカー界のFW=大森真吾という立ち位置を形成するほど、順調な2年間を過ごした。

大学3年からの空白の時間

しかし、2021年は大森にとって忘れられない一年となってしまう。日本代表として選出濃厚だった同年のU20ワールドカップがコロナの影響で突然の中止に。世界の檜舞台でのプレーを常にイメージしていた大森にとって、大きなショックだったが、更に悪夢が続く。

2021年6月26日。大学3年のシーズン序盤、得点を狙っていた中、相手GKと激しく接触。ただ事ではない事態が起きたと理解するには少しの時間を要した。

「倒れた瞬間、痛っ!!と思いましたね。最初は立てるかなと思ったんですけど。激痛とすぐに痺れもきて。これはやばいなと。」

診断は右足脛骨の骨折。その1か月前に半月板も負傷し、保存療法でプレーを続けていたが、2箇所同時に手術をする方向に舵を切った。初期診断では全治6-8ヵ月。大学3年シーズンでの復帰は厳しい状況になった。
だが、その後も悪しき流れが連鎖する。

「年明けの1月にランニングをし始めて、ここからポンポンと行くかなと思っていたんですけど、中々痛みが取れなかったので。これで復帰してもどうだろう?というモヤモヤはずっとあったんです。。それでも無理やり復帰しようとしたけど、結局、ダメだったのが今年の4月でした。」

リハビリは中々快方に向かわず、4月に半月板の再手術を決断。

その後、患部の状態は快方に向かったが、ピッチに戻るまで約1年2か月。大学3年-4年の大切な時期に長期離脱を強いられることになった。

ただ、そんな離脱期間においても、彼の人間性を垣間見えるシーンがあった。リーグ戦の試合後。メンバーから外れていた4年の大森が、誰よりも献身的に、仲間のサポート。ゴミ拾い、備品の運搬に駆けずり廻る。
その姿は明らかに、やらされている様ではなく、自発的に動いているものだった。

「出られないなりにも、チームが勝てるように尽力するのが自分の仕事だったので。その役割を全うしていただけかなと。まあ、4年の立場なので、そういった姿勢を見せれば、後輩にもいい影響を与えられるかもという思いは、少しあったかもしれません。」

当の本人は、事もなげに語っていたが、彼の行動や発言の節々から、真っすぐで責任感のある男気を感じて自然と応援したくなるのである。

待ちに待った復帰戦!しかし…

そんな大森が満を持して、ピッチに帰って来たのが、2022年8月6日
だが、この日は彼にとって、ほろ苦すぎる復帰戦となってしまった。

復帰して最初のプレーでボールをロストすると、その後も、本来の悠然と振る舞う様子は感じられず、タッチの乱れが頻発。明らかに自分のイメージと1年2ヵ月が生み出したギャップとの間で苦しんでいた。

巧みなオフザボールで決定機を引き出す機会もあったが、本来のプレーと遠い出来に終始し、チームも大敗。

「ちょっと…言葉選びに困りますけど。散々な復帰戦だったなと。
最初の何プレーかで僕の所で失い、そこでテンポを崩れてしまった。とにかく準備が足りなかったのか?それともまだ、できる身体じゃなかったのか?ちょっと僕もまだ整理できてないでけど、今日はうまくいかなったですね。

この後、持ち帰って、しっかりと分析して、これからどうするのか?考えて、実行してきたいと思います。

僕のコンディションが上がればチームも絶対によくなると思うので。」

試合後には、重い口を開きながら、振り返ったが、そんな大森の復帰戦のプレーも隈なく注視していたのが、北海道コンサドーレ札幌のスカウト・鈴木智樹氏である。

この日は遠方開催だったこともあり、スカウトの数も普段のリーグ戦と比べて、かなり少ない人数だったが、鈴木スカウトは当然の如く、会場で大森の状態をチェック。「大森真吾の良さは分かっている」
彼の大森真吾へ寄せる評価はこの1日で揺らぐものでは無かった。

大森真吾と鈴木スカウト

復帰戦から1か月弱。大学サッカーの公式戦が一段落した8月下旬。大森真吾は北海道コンサドーレ札幌の練習に参加した。まだまだ本調子ではないのは明らかだったが、大学2年の冬からアプローチを続けていた札幌にとっては念願の機会。

そんな熱いラブコールを大森も意気に感じ、コンサドーレ入団の意向が強まっていった。

「前々からずっと呼びたいという話はされていたのでやっと行けるなという思いでした。それまでは、智樹さんしか自分のプレーを実際に見たことがなかった中で、プレーして手ごたえはありました。

元々、コンサの一番頂点の所で考えてると言われてて、どーゆープレーをしようかなとは考えていましたが、改めて入ってみて、やりやすいというか。自分に合っているなと。」

「練習参加前から、正式オファーを貰ったら札幌に行くと決めていた」

後にこう語ってくれたが、そこまで決意させた理由とは?

「自分を気にかけてくれた時から、札幌の試合を見るようになったんですが、こんなにいいチームだったんだと驚きました。そこからはずっと札幌の試合を追いかけて、このチームに行きたいとの思いがどんどん強くなっていきました。

一つ目の理由としては、試合を見ていてもサッカーにビジョンがあるなと。絶対に上位にいけるチームのサッカーをしているなと。後は、かみ合いが合えば、上を目指せるなと。」

今シーズンは苦しいチーム状態が続き、J2降格の可能性も0でない中での決断だったが、そこへの懸念も無かったという。

正直、降格しないと思っていました。試合を見ていても、降格するチームではないなと。そこに関しての不安は、ほぼ無かったですね。実際に中で練習してみても、このチームなら成長できると感じましたし、ミシャさんからも、いい選手だ!と声を掛けて貰え、スタッフ陣からの評価も高かったという話も智樹さんから聞きました。

同時に、ケガの部分が不安要素としてあるというのも正直に伝えられました。それでも、練習参加を終えた帰り、空港まで智樹さんに送って貰ったんですが、その段階で「オファーを出す」と言って貰えて。
自分も他のJ1クラブからも呼ばれていたんですけど、「僕も札幌に行きます!札幌に心はあります」とその場で伝えさせて貰いました。」

復帰した大森を巡っては、札幌以外の複数J1クラブも動向を探っていたが、大森は即断。そんな迷いなき決断の背景には鈴木智樹スカウトの与えた影響も大きかった。

写真提供 中隊長さん

「本当に感謝しかない存在です。智樹さんが自分を高く評価して下さってコンサドーレに導いてくれた。本当に恩人というかそういう類の人ですね。智樹さんの為にもコンサドーレでいいパフォーマンスをしないといけないとのちょっとした責任感も感じています。」

同時期、大森は劇的ゴールで勝利した28節のセレッソ大阪戦(IN札幌ドーム)を現地で観戦。本拠地で輝くイメージも高まっている。

「サポーターの方々の作る圧力が凄いなと。ここで本当にプレーをしたいなという思いが一番の感想でした。とにかく、熱気というのが伝わって来て。
ドームという独特な雰囲気も相まって、別空間にいるような。舞台で主役がスポットライトを浴びているような環境で、ピッチ上の選手たちが輝いていて最高でした。あの空間でサッカーを出来たら気持ちいいだろうなと。」

プロで生き残る自信はある

そんな大森がポジションを争うであろう最頂点の1トップ。

興梠慎三、キム・ゴンヒ、中島大嘉ら、多種多様なストライカーとのポジション争いが待つ中、ライバルとの争いを制す上での自身の強みを問うてみた。

「前で収める能力は、通用すると思いますし。後はシュートのパンチ力は持っていると思います。そして、何より、プロサッカー選手で一番重要なのは、考える能力だと思うんで。戦術理解度だったり、個人戦術の面では理解力がある方だと自負しています。そこは自信を持ってやってきたいなと思いますし、課題としては、僕は大量得点を挙げてきたタイプの選手ではないので。もっと得点を獲れる選手になること。爆発的に点を獲る能力というのは、一番課題かなと思いますね。

ただ、札幌の1トップを務める自信は正直な所、あります。無かったら、行く意味がないので。役割的にも、札幌のサッカーに僕のプレースタイルはあっているなと。
ミシャさんのサッカーでは、ジェイ選手のようなタイプも必要だと思います。それで守備もできて、走れれば、文句ないという考えだと思うので。

自分はまず第一には前で起点になれる。そこから、1タッチ2タッチで展開もできるし、シャドーとコンビネーションも使える。出した後に自分も、もう一回ゴール前に入り、フィニッシャーになれる。

また、守備の所もかなりハードワークを求められると思いますが、マンツーマンDFの所だったり、攻撃の部分のポジショニングだったり、かなり流動的になる部分もあると思いますが、考えながら、サッカーをするという点も僕は、好きです。

そういったことが相まって、自分に札幌のサッカーは合うだろうなと。」

「それでも、興梠選手なんかは違うものを持っていると思うので。直に見て盗む。僕はずっとそれをやってきた。見て盗みながら、その選手よりも上に行く。それで今まで上に上がって来たと思うので。

興梠選手はポストの部分では、お尻と手の使い方が、参考にできるかなと。後は落ちるタイミングが抜群ですし、浦和の時もすごいなと思いながら、よく見ていたんで。自分の良さと他の人の良さを取り入れながらやりたい。絶対にあの環境に入れば上手くなると思っているので。結果を残せる自信はあります。」

堂々とした振る舞いと言動。そして、謙虚さも兼ね備える新たなストライカーが見据える、今後のキャリアビジョンとは?

「勿論、世界を目指すというのは、絶対的に目指してやってきたので。そこはブラさずに、これまでやってきた成果を見せたい。ケガした1年2か月というのはもうどうしようもないので。後は前に進むだけだと思っています。

プロに入って、最初の目標はスタメンで結果を残す。そこから、オリンピックにも選ばれる。そして、W杯に日本代表として入っていく。そこまで大きな絵を見ながら、札幌に入団したい。

パリ五輪は絶対に出たいと思っています。結局オリンピックは開催から遡って、1年くらいが勝負だと思います。そこでパフォーマンスがいい選手が入る。なので、来年プロに入ってからが勝負だと思っています。
2023年の出来がパリを決める。なのでプロに入るときにはベストパフォーマンスを目指していきたい。

そして、とにかく北海道コンサドーレ札幌というチームで、今まで成しえなかったことを自分が入って成し遂げられたらなと。

タイトル獲得・ACL出場。本当にチームが変わる起爆剤の選手になっていきたいなと思いますし、ファン・サポーターの皆さんにはその姿を見せられるように頑張りますので、応援よろしくお願いします。」

現在のコンディションはまだまだ40%-50%だと自己分析する。しかし、復帰から、約2ヵ月が経過し、確実にコンディションは上昇中。
「少しずつ戻って来た」と本人も口にする。

そんな大森には、プロ入団前に大きな仕事が残っている。所属する順天堂大学が現在、リーグ最下位と関東2部リーグ降格の危機に瀕しているのだ。

「自分の代で落とすわけにはいかないと強く思っているので。とにかく、勝つしかない。その思いを持ってやらないとプロに行っても絶対に成功できないと思うので。本当にここでメンタルをもう一回、持ち直して、勝負所だと思って。毎試合毎試合魂を込めてやってきたいと思います」


順天堂大学は今週末と来週末の試合、有観客で開催予定だ。詳細を確認の上、順大の試合もぜひ、注目して欲しい。
第18節 10月16日(日)14:00 VS 明治大学
第19節 10月22日(土)14:00 VS 拓殖大学


大学No. 1ストライカー・大森真吾は、能力もさることながら、目の前の事象と向き合う誠実さ。そして、明確なビジョンを合わせ持っている。

彼なら、鈴木智樹スカウトの熱い想いとその決断が正解だったとプロの舞台で証明してくれるだろう。

サポーターには真吾と呼んで欲しいそう。

来シーズン、赤黒の縦縞を見に纏い、真吾が北海道中を熱狂させるゴールを奪う姿に期待したい。その準備は着々と進んでいる。

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