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書くことを楽しむために、どんなことを書いてもいいよって自分を許したい

遡ったら、SNS発信自体は2018年からやっているらしい。
(でもよく考えたら、高校生の時からデコログとかやってたよね、、この話が通じる人は同年代のはず!)

まぁでも私が「発信」と意識してやっていたのが2018年からって言うだけで、その前からInstagramで自分の日常のことやカフェ巡りの投稿をしていた。自分にとっての記録かつ自己満足の程度で、読書記録とかちょっとイイ感じに見えるカフェの写真とか。



だけど、長女の育休が始まった2018年。


育休中でお金に困って(←この言い方ほんとカッコ悪いけど、本当だからこう書く)、在宅で何かできないかなと思ってInstagramで「SNS運用」的なことを始めた。

「フォロワー数が増えたらPR案件がもらえるから頑張ってみよう!」みたいな単純な動機(笑)


でも、SNS運用とはいえ結構好き勝手、楽しく発信していた。ライフハックや育児の記録、ワーママの暮らしなどなど。日々思ったことや暮らしのことを文章→画像を作成して投稿していた。その頃は発信するのがただただ楽しかった。「書きたいなぁ」って思ったことを素直に書けていた。
投稿する度フォロワーさんも増えて、SNSでのつながりができて、単純に楽しかったんだよね。(でも、お金に困ったのがきっかけで始めたけれど、お金にはほとんどならなかった笑)


だけど、だんだん発信が上手くいかなくなってきて(この「うまくいかない」って言うのは自分の中での感覚)、「投稿しても見てもらえない、フォロワーさんも増えない」状況が続いて、そうやってどんどん自分の発信に自信を無くしていった。どうにか良い方に持っていけないかと思って、

こんな投稿にしたら読んでもらえるかな
こんな投稿が求められているはず

そう仮説を立てては投稿してみるけれど、自分が欲しい結果は得られなかった。でも、この目線が悪いわけじゃない。マーケティング的に言えば相手に求められていることを考えることは必要不可欠だし、周りのインフルエンサーさんたちも「自分が発信したいことより求められているモノを」と言っていた。(求められているモノじゃなきゃダメって訳じゃないけれど、周りにいるインフルエンサーさんはもう本物だったからそういう視点だったんだよね)

フォロワー数が全てじゃないのは分かっている。だけど、「増えない」ってことには必ず理由がある。そう考えるとやっぱり自分の実力不足だし、周りのお友達はどんどんフォロワーさんが増えてるのに、、って気持ちもあった。この時点で、「何の目的で発信してるの?」だよね、本当にその通り。

その上、投稿が全然見てもらえなくて、「私が発信している意味ってあるのかな、、」とか、「あの人の投稿はこんなに見てもらえてるのに、私のはどうして見てもらえないんだろう」って落ち込んだり。

見てもらえている投稿=よい投稿
見てもらえない投稿=良くない投稿

こんな風に考えている自分も居た。ある意味そうかもしれないけど、”いいね”や"スキ"が全てじゃない。これも分かってる。分かってるのに、自分の投稿が見てもらえないとどこかで「どうして私はできないんだろう」につなげてしまって。
いつのまにかInstagramが楽しめなくなっていた。


そうは言っても全く楽しくなかったわけじゃないし、楽しかったつもりだった。でも、先月の仕事復帰で体力が追いつかなくてInstagramを放置したら、、心が軽くなったのに気が付いて。。。それがきっかけで、「あ、私楽しめてなかったんだな」ってようやく気付いた(笑)なんて理由だ、、、!


そんなことがあって、でも何か書きたくなってInstagramではなく細々とやっていたnoteに戻ってきたわけだけど、ここ1か月くらい


私はこれからどうSNSを使っていきたいんだろう?


ってことをずっと考えていた。辞めたいわけじゃない。でも、今のままで使っていきたいわけじゃないのはもうとっくに自分の中で分かっている。だから、Instagramも(そしてnoteも)これからどんな風に使っていくか自分の頭の中で整理するために書いて終わりにする。

◆SNSをどんな風に使っていきたい?
→とにかく楽しく使いたい。
 自分が楽しく使う先に
「誰かの喜びや共感があったらいいな」
 のスタンスでやりたい

◆楽しく使うためには?
→いいねやスキに囚われない
 囚われないためにそもそもインサイトなどを見るのをやめる
 (Instagramのアカウントはプロアカウントを削除した)

 「これがいいかな」
 「これなら読まれるかな」じゃなくて
 「これが書きたい!」で書く

 「こんなこと書いていいのかな」を
 書く勇気を持つ。
 それを書く自分を許す。

やっぱりたくさんの人に見てもらえたり共感してもらえるのは嬉しい。それは喜んだっていいよね、でも、それを求めるのはちょっと休憩。

だって私ができるのは「発信する」ただそれだけ。できるのは「発信すること」をめいっぱい楽しむことで、発信した後の「反応」は自分がコントロールできる範囲じゃない。できないことまで思い悩むのは、もうおしまいでいい。これも分かっていたことだけどできていなかったから、これを機にしっかりおしまいにすることをココに書く。



私ができる範囲で「楽しむ」
投稿したら、それだけではなまる◎
(そうそう、自分の中のハードルが高くて、「投稿した=普通」「投稿がたくさん見てもらえた=はなまる」だったんだよね)


そして、結局私は「自分の好きなことを書く」勇気が持ててなくて、そういう自分を許せてなかったのもある。有益とか、学びになるとか、そういうものを少しカッコつけて書かないとって気持ちがどっかにあったもんな。はずかしい、、。「こんなこと書いていいのかな」って思うこと、くだらないかもなって思うことも、例え反応がなかったとしても書いていい。誰も書いちゃダメなんて言わない、言ってるとしたらやっぱり自分だ。


そんなわけで、これからはより素直に
「私の書きたいこと」を楽しく書いていきたいな。

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