見出し画像

#82「How would he do it ?」

子どもの頃、憧れのヒーローがいたように、私の人生には憧れの人物がいる。それは、時代や年齢によって変化していった。学校の先生であったり、サッカーコーチであったり、職場の上司や有名なスポーツ選手。"追っかけ"の対象人物は何人もいて、その時々で彼らの言動を真似したり、私が彼らだとしたらどんなことを考え行動するのかを妄想して過ごすことがある。それを表す言葉を、中国の戦国時代の思想家孟子が名付けていた。それが、私淑(ししゅく)である。

私淑とは、直接教えを受けることはできないが、ある人をひそかに尊敬し、模範として学ぶことである。一言で言えば、「〇〇ならどうするだろう」と考えることだ。今日たまたま読んだ「アイデア大全」という本で紹介されていて、改めて私が尊敬する人物について考える機会となった。

振り返ると、私は誰かになりきって生きることが多かったように思う。映画やアニメの主人公に感化されやすく、彼らになったつもりで日常を過ごすのだ。すると不思議と力が湧いてきて、どんなことでもできるような感覚になる。わたしとしてはできないようなことでも、その人物になりきっていることで、自信を持って対応することができるのだ。

最近だと、職場の尊敬する上司である「〇〇さんならどう考えるだろうか」と思考を巡らせることが多い。彼のような能力やスキル、思考力を持ちたいし、尊敬しているからだ。仕事を行うにあたり、〇〇さんになりきって仕事をしているから、普段からその人の言動を観察し、日々活かすようにしている。そんな習慣もあってか、最近ではその方にも仕事を認められることが増えた。これは純粋に嬉しいことである。

昔から守破離という言葉があるが、この守を実行するには、尊敬する人物を見つけ、徹底的に真似ることが必要だ。学ぶは真似るという言葉からきている。なるほど私淑というのはとても大切な教えだなと、身を持って感じる。

妄想の中の師は、何人いてもいい。一人に限定することなく、取り組む内容や分野、もしくは気分によっても設定を変えていいだろう。サッカーを選手としてプレーするとき、コーチとしてサポートするとき、観客として応援するとき、全て特性が異なるのだから、目指すべき理想は変わって必然であるように思える。

わたしとして考え事をしていると、優柔不断で決めきれなかったり、勇気を持った決断ができない時がある。そんな時は、かつて憧れた、尊敬の眼差しを向けたキャラクターや人物の言動を思い出し、なりきって行動してみるのがいいのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?