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セックスフレンド

深夜2時のラブホテル。

暗がりの1室に、はだけたシーツ。薄明かりの中には使用済みのティッシュが散乱していた。
テレビの明かりが強弱をつけながら、部屋をぼんやりと照らす。
画面に映るその古い映画は、特別笑えるわけでも泣けるわけでもなかったけど、私達は何かを探すように、その画面に視線を落としていた。

「不思議な関係だね」突然口から出たその言葉が宙に浮くのを、ぼんやりと眺める。
答えに興味はなかった。共感も否定もいらない。それに、返ってくる言葉の検討はつく。

お互いの孤独を舐めとるように身体を重ね
心の中を見せあいながらもひとつにはなれず
それに孤独を感じるわけでも
愛や友情を感じるわけでもなく、
ただただ私たちは、そこに存在し、同じ映画を見ていた。

悲しさや切なさ、愛しさや信頼、依存。
そんな言葉に納得するほど物わかりがよくなかったし、
そんな言葉で説明することの無意味さも知っている。

彼は画面にのせた視線を動かすことなく
少し笑った。

映画はクライマックスを向かえる寸前。
微睡みの中で、私も笑った。

セックスフレンド。ゴロが良い。
声に出してみると、案外良い響きだ。

カセットテープがCDになり
手紙がメールになり
紙がUSBになった。

ありとあらゆるものが、
薄っぺらくデジタル化されて、
実像を無くしていく。

同じように私たちの「愛」も
手軽で、簡単で、軽くなっていく。

昔の恋人同士は、声を聞くために
10円玉を何枚も消費し、
向こうの親が出てしまう覚悟を持ち、
家から少し離れた公衆電話から
電話をかけあった。

便箋に思いを託し、時間をかけて
手紙を書いては、ポストに投函し
何日も返事を待った。

会う時には少ない交通手段の中から
ありったけの近道を本で調べあげ、
お金と時間を使い、会いに行ったはずだ。

人を愛するのに、今よりも
うんと手間が必要だったのだ。

だからこそ、
今よりも会える時間ややりとりする手段も少なかったはずなのに、「疑い」や「心変わり」は、少なかった。

お互いがお互いに接する時間を
大切にし、その時間を心から信じていたから。

「セックスフレンド」
私達はその「友達」に、何を求めるのだろう。

SEXだけだと言えば、
確かにそうかもしれない。

だけど、そうではない何かを感じざるを得ないのだ。

手軽に連絡を取り、
知ろうとするだけ情報が手に入り、
願うだけすぐに会えるこの時代、

「ただ一緒にいる」ということの重みと
価値が、著しく低下した。

「ただ一緒にいる」だけで、相手を心から信用するという気持ちに繋げることができる人が、減ったと思うのだ。

そんな私達は、努力して手に入れる
「一途で真っ直ぐな愛」とか
「お互いを信じ合う唯一無二の関係」を
面倒くさい、手間がかかる、と毛嫌いし

お手軽で、すぐに作れて、すぐに手に入る
インスタントのような愛を求めるようになった。

その場だけで良い。

その代わりに欲しい時にすぐに手に入り、
後腐れなく、とりあえずの「欲求」を
素早く適度に満たして欲しい。

その欲求が「愛」なのか「性欲」なのか
「友情」なのか分からないけれど。

そんな寂しい「インスタントの愛」の中にいると、自分の心すら、デジタル化されていくようで恐ろしい。

もっと人間味のある、もっと温度のある
めんどくさくて手間のかかる「手作りの愛」を
しっかりじっくり求めていきたい。

「こんな時代」だからこそ。

はるこ《公式》
#エッセイ #コラム #写真 #愛

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