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仕事にも"生きがい"を見出してみたい

外出先で神谷美恵子さんの『生きがいについて』を見つけ、思わず手に取った。
以前読もうと思ったことがあるものの、難しい内容であることを懸念して購入していなかったのだ。
仕事にやりがいを見出せない今だからこそ読むべきだと思い、今度は購入を決意した。

いざ読んでみると細かい章立てや引用があり、かなり読み易く感じた。
著者の神谷美恵子さんは、戦後のハンセン病患者を精神面で支えた精神科医である。本書でも国立療養所長島愛生園の患者が事例として何度も登場する。

興味深いのは、愛生園の患者が療養所内で自己の役割を見つけると生き生きして症状が改善するのに対し、いざ年金を受け取って働かなくてもよくなると無力感から症状が悪化するというものである。
彼らの様子をもとに、神谷さんは次のように語ている。

ほんとうに生きている、という感じをもつためには、生の流れはあまりになめらかであるよりはそこに多少の抵抗感が必要であった。
したがって生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。
ただしその際、時間は未来にむかって開かれていなくてはならない。
いいかえれば、ひとは自分が何かにむかって前進していると感じられるときにのみ、その努力や苦しみをも目標への道程として、生命の発展の感じとしてうけとめるのである。

『生きがいについて』(神谷美恵子)p.24より

これは自分自身にも重なるところがあり、現在健康維持のために「休みが多く、規則正しく、人と接しない」という条件に合った仕事をしているが、虚無感を抱きながら日々過ごしている。
神谷さんの言葉を借りるならば、"なめらかすぎる生の流れ"を選んでしまっているのだ。

しかし、生きがいを求めるということは何も世間で有名になることや目に見えるものに囲まれることではない。実際、本書では寝たきりの患者であっても自らの内面と深く向き合い、豊かな精神世界を築いていた人もいたという。
では、彼と生きがい喪失者は何が違うというのか。

わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、じっと眺める眼、こまかく感じとる心さえあれば、一生同じところで静かに暮していても、全然退屈しないでいられる。

『生きがいについて』(神谷美恵子)p.61より

私は神谷さんのこの言葉を読み、豊かな感性を持ち、世間や他者ではなく目の前の事象を注意深く見つめている人は生きがいを感じやすいのではないかと考えた。
本書を読んでいる最中、丁度気になる仕事を見つけた。健康的に無理のないペースを守りつつも、デザインや執筆を通じてものづくりに携われる仕事だ。
今は新しいことに飛び込む恐怖よりも、そこで受けるであろう様々な刺激が楽しみだ。

生きがいを仕事と区別して割り切れる人もいるだろうが、私はそこを区別してしまうと「何者かにならなくてはならない」というありもしない呪縛から永遠に逃れられない気がする。
今の仕事において、生きている時間をただ水に流しているように感じてしまっているからこそ、これからはどんな一瞬も細かく感じとれる選択をしたい。

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