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葛藤→整理→決意

正念場と位置付けられた3連戦を乗り越えて、3日間の休みを迎えている。

3月と4月を振り返ってみると、自他共に認めるほど想像以上に組織に向き合い、1年生に向き合って活動していた。

昨年までの自分が知ると、目が点になってしまうだろう。

自分を犠牲にして他者とその集合体である組織に時間と労力を費やした。

最低水準を越える成果が出て安心感を獲得したこと、と同時に気付いたことは自分の無力感だった。

今の自分はピッチの11人として闘うことはできない。

自分からその権利を手放したのだが、やはり思えば思うほどそのピッチに全てが詰まっていると思う。

フットボールは有限性と偶然性とちょっとした必然の中で結果で生まれるもの。

(結果に至るまでの過程にこそ本質と価値がつまっていると自分は思う。
しかし過程と結果は相互に影響を与えあい、目的と目標を追う過程が結果でもあるという螺旋階段のような循環状態の中にいる。)

結果というものは何をどうしても切り離せない重要なファクトであること。

そしてそれが意味することは、ピッチで躍動する権利を手放した自分はどれだけ頑張っても、その重要なファクトに1ミリも直接的に干渉はできないということ。

だから無力な存在なんだ。

この事実とは裏腹に、内部で評価をされ、外部からも話を聞かれることが多々あった。

早慶クラシコの企画運営、100周年プロジェクト、入部制度への向き合い、後輩への共感と協働などやってきているものはありつつ。

「おれ何もしてないんだけどな」

まさに葛藤。

ちょっとした変化の兆しを感じてワクワクしている自分はやはり普通じゃないのかもしれない。

自分が認識する本当な自分 と 他者が創り上げる綺麗な自分。

そして綺麗な自分が、勝手に本当な自分を横目に見ながら通り越していく瞬間を感じる。

劣等感や反発心を宿す時は何度もあった。

そして休みを迎え、シーズンが始まって感じたそれらをテーブルに並べて整理して自分なりの決意を固めた。

たいそうなモノでもないが未来の自分のために書き残しておく。

どっぷり浸かりつつも、環境には染まらない。内部での承認欲求は無にする。
そしてあらゆるしがらみを排除し、自分にとっての必然性を命題として、合理的に選択していく。
他者が創り上げる綺麗な自分をクールに無視しよう。

とはいえ、自分と派生するものに対するフィードバックにはいつも以上に耳を傾けたい。

それがこれからの必然性に繋がるから。

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これからも力合わせて頑張っていきましょ。

抽象的な結論しか出てこないけど、整理することはかなり大事だと実感したな。

(具体的にこうしていく。という事は自分の中で留めておきます。)

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