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10年後の自分へ、そしてみんなへ

約10か月前の自粛生活の時に部に寄稿したものです。

いま読み返すと当時の自分を誇りたいです。

同時に今全力で取り組め、逃げるな、と背中を押されました。

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10年後、このnoteを読んでいる僕はどこで何をしているだろうか。

その時には、今この時に僕が情熱をかけていることは輝いているだろうか。

正直に言うが、今ここまで情熱をかけて行動していることが正しいかも分からない。

人生長い目で見たときに自分がどこに向かって努力しているのかも分からない。

考えれば考えるほどきりがないが、考えしまう。

毎日がその繰り返しで、ゴールのない迷路の中で歩き回る感覚。


「未来で過去を振り返った時に、その過去が何のためだったかを教えてくれるんじゃないかな」

先日、尊敬するある先輩と昼食を食べながら発した言葉。

書き出してみると当たり障りのない、誰もが理解できるこの言葉だが、すっと腹落ちした。

久しぶりの点と点が繋がっていく感覚。


今この時に、未来の世界がどうなるか、自分がどうなっているか、何も分からない。

分からないはずなのに、僕はそこに答えを求めていた。

ずっと求め続けていた。

でも、もうそれはしなくても良い。

だって未来にいる僕が教えてくれるから。


だったら「今この瞬間を全力で生きる」ことでしかない。

それが全てだと思う。

とても抽象的だけど、今の僕にはこう言うしかないと思う。

今、全力で何かに向き合って努力すれば、未来の僕がこの瞬間を振り返って後悔はしないだろう。

そして何より、今この瞬間に全力を尽くすことは楽しい。

「今この瞬間を全力で生きる」ということは人間の本質なのかもしれない。

弱さを見せれば後悔が生まれる。


僕を含め、体育会の学生は常日頃から全力で取り組むことができる環境がある。

だからこそ、その本質に気付かずにに分かるはずのない未来に悩む人が僕を含めて多い。

イメージできるほど簡単じゃないし、今この瞬間に分かることじゃない。

今コロナがその本質に気付かせてくれた。

体育会生は、試合はもちろん、練習すらもできない状況が続いている。

その期間、僕たちは満足に競技することを取り上げられ、何を全力で取り組んでいるだろうか。

こういう状況でこそ、人間としての本質が問われると耳にすることがある。

まさにこのことだと思う。

「今この瞬間を全力で生きる」ということ。

外出自粛が続く今、何ができるだろう。怠惰な毎日を送っていないだろうか。

それは数年後に振り返って、どう思うだろうか。

これまでの当たり前の日常が奪われて改めて気付いた。

10年後、僕たちは30代になり、社会人として日本社会を引っ張る立場にいると思う。

その時にも、このコロナの爪痕は大きく残っていることだろう。

そして、嫌でも今この瞬間を振り返ることになるだろう。

未来の自分はどう思うだろう。

だから、僕は今この瞬間を全力で生きようと思う。

後悔はしたくないし、してはいけない。

未来の僕らが、「今」に輝く色を塗ってくれることを信じて今日も全力で生きる。

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心を燃やせ。

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