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【時代劇ファン歴半世紀以上】チャンバラ大好き!

☆『ちっちゃな頃からチャンバラ好き』

時代劇が好きだ。
父や祖父母が毎日見ていたせいでもある。
昔は、家族がひとつのテレビ番組を一緒に見たものだ。
だから、父が時代劇を見れば時代劇を。
野球を見れば野球を。
刑事ドラマを見れば刑事ドラマを。
プロレスを見ればプロレスを。
歌番組を見れば歌番組を。
家族みんなで、一緒に見た。
父がいない時は、母が見るホームドラマを。
そしてわたしがアニメを見る時には、父や母も一緒にそれを見ていたものである。

当時は、一週間を通して、一日に一本から二本の時代劇が毎晩あった。
それに加えて、朝、昼、夕にはドラマの再放送が盛んにあった、そんな時代だったのだ。

☆『チャンバラ魂』

中村梅之助さんの『遠山の金さん』。
東野英治郎さんの『水戸黄門』。
加藤剛さんの『大岡越前』。
王道である。
そして、杉良太郎さんの『大江戸捜査網』。
幼心にチャンバラ魂が刻まれていった。

転機は、『鳴門秘帖』だ。
小学校高学年になって、そろそろチャンバラにも飽き始めていた頃、望月弦之丞というキャラクターと出逢った。

一目惚れである。

それまでの「家族が見るから見る」スタンスから、溢れるほどある再放送を自分で取捨選択しながら、好きなものを好きなだけ見るようになったのだ。

☆『時代劇との蜜月』

中学、高校、大学と、夜は本放送、朝から夕方は暇さえあれば再放送を、ひたすら見ていたものである。
高校に入った時に、初めてビデオデッキを買ったが、どうしても見返したいアニメなどを録画するくらいで、そうそう時代劇まで録画することもなかった。
実際、録画して何度も見る暇もなかったのだ。
なにしろ、朝から晩まで、見たい時代劇はいくらでも放映されていたからである。

☆『倦怠期がやってきた』

社会人になったのは、平成元年だ。
週休一日だった時代でもあり、学生の頃のように、家でダラダラとテレビを見る時間は無くなってしまった。

折りしも、時代劇の制作そのものが、少しずつ減ってきた頃でもあった。
あれほどあった再放送も次第次第に減って、それでもまだ、本放送作品は律儀に見ていたが、32で結婚すると、いよいよ見る時間は無くなった。

その頃にはもう、週のうちに時代劇は、ほとんどなくなってもいたのだ。
大河や大奥、人情噺、あとはかろうじて池波正太郎ものが、生き残っていたくらいか。

時代劇はもはやテレビで毎日見れるチャンバラではなく、リアルを追求した武士や庶民の生き様をしんみりと、あるいはコミカルに、映画館で鑑賞するものになってしまった。
それはもう、わたしが愛したTVチャンバラ時代劇からは遠い存在となっていた。

☆『中国古装劇との出会い』

ある日のこと。
たまたまテレビをつけたら、若いイケメンの出ている時代劇をやっていた。
全く知らない顔だし、その時かれが着ていた寝間着もなんだか少し見慣れない。
そして、中国語を喋った!
中国古装劇『古剣奇譚』であった。

これが面白くて、わたしの愛した時代劇要素がてんこもり。
以降、数年間、中国時代劇にハマる。

中国時代劇というと、宮廷ものを思い浮かべる人も多いだろう。
中国も韓国も、宮廷もの、後宮ものは多いし人気がある。
日本でも時代劇が廃れた中、『大奥』ものだけは繰り返し作られている。
煌びやかで、愛憎、権謀術数渦巻く世界が、世の人の関心を引くらしい。

わたしも後宮ものは嫌いではないが、それはわたしの好きな時代劇ではない。
わたしが好きなのは、あくまでもチャンバラ時代劇で、それはカッコいいヒーローものであり、
ご落胤、お家騒動、幕府転覆、隠し金、影武者、そんなワードを散りばめながら、ヒーローがバッタバッタと悪を薙ぎ倒してゆく、痛快アクション時代劇である。
ファンタジックな要素が含まれていれば尚いい。

決して、何年何月何日に何藩の何某が何処でどうしたという史実を羅列してほしいのではないし、時代考証でガチガチに固めてほしいわけでも、等身大の一般庶民や下級武士の日々の暮らしを現代と照らし合わせながら見たいわけでもない。
まあそれはそれで、ドキュメンタリードラマとして別にやってくれればそっちも見る。

ただ、わたしが欲してやまないのは、たとえば・・・・・・。

昔々ある所に、謎の老剣士が一人山の庵に、世捨て人のごとく暮らしておりました。
老人はある日、山中で玉のような赤子を拾い、美しい若武者に育て上げました。
その赤子こそ、実は○○家の落とし胤にて・・・・・・。
と、そんな絵物語である。

中国ドラマには、まだまだそうしたテイストのものが多い。
崖落ちしても死なないヒーロー。
水中で死と隣り合わせながら口づけしあう恋人たち。
仮面や面紗で顔を隠した謎の人物。
奇怪な虫や花から作り出した恐ろしい毒薬。
人間離れした技の数々。
そんな要素の溢れかえった伝奇時代劇。
わたしが求めてやまなかったものだ。
『琅琊榜』『陳情令』等、日本でも大ヒットしたものは多い。


☆『舞台で楽しむチャンバラ』

そんなある時。

ちょっとし興味から、2.5次元と呼ばれる舞台の
ライブビューイングを見に行った。

わたしは昔から、アニメや漫画の実写化が苦手で、事実、そうしたドラマや映画には随分裏切られてきた。
だから、全く期待せず、
きっとモヤモヤして劇場をあとにするだろうと、覚悟しながら行ってみたのだ。

ところが、である。
これが、面白かった。

若く美しい役者さんたちが、歌い、舞い、剣を振るう。
これだ、と思った。

日本のチャンバラ魂は、テレビからは遠ざかったが、舞台という場所にこんなにも鮮やかに
瑞々しく力強く息づいている。

それまでにも、時代劇の舞台というのは見たことがあったが、この日見た舞台は、運動量がまるで違った。
若さを振り絞って、体力の限界に挑むような、それでいて爽やかな明るさの感じられる、せつなくて、たのしくて、力の漲る舞台だ。

以来、2.5に限らず、舞台をしばしば観劇するようになった。
リアルやナチュラルといった制約から逃れて、存分にデフォルメされたチャンバラらしいチャンバラ。
ファンタジー要素が加味されて、歌やダンスで彩られたそれは、かつて大川橋蔵や美空ひばりが若かった頃の時代劇映画を彷彿とさせるのだ。


☆『新しい風』

近頃は、大河ドラマにも新しい風が吹き込んでいるように思う。

本数は少ないが、チャンバラ時代劇もどうにか命脈を保ち続けている。
『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のようなものこそ無くなったが、
新しい漫画や小説をベースにした作品が、若い視聴者も取り込んでいる気がする。

若い役者さんたちによる迫力ある殺陣や美しい絵面。
以前に比べて随分自然になったCGによる街並みの再現。
今時の脚本家や演出家によるテンポの良いドラマ運び。
全てが心地よく感じられる。

そうしたものが、過渡期には稚拙に感じられて、昔のものばかりが恋しかったが、クオリティが底上げされたのか、あるいはわたし自身が今風の空気に馴染んだのか、面白いと感じるものがそこそこ増えてきたように思う。

あとは、オールドファンの欲を言えば、台詞回しや所作が、もっとそれらしくなるといいなということ。
台詞回しについては、若者にも分かりやすく、ということでわざとなのかもしれないが、むしろアニメなどでは、古い時代劇的口調をしっかり踏襲していたりもするので、何も視聴者を侮る必要もないのではないだろうか。
所作に関しては、役者さんたちがより多く学べる機会があればいいなと思う。
若い俳優さんたちは、皆さん熱心で、学べば学んだだけ吸収してくださるに違いない。
そうして学んだ役者さんたちが、この先もその学びを活かせるように、チャンバラは将来も長く存続してくれなければ、とファンであるわたしは強く願うばかりだ。

祖母が生前、『若大将天下御免』を見た時、こう言ったものである。
「長く生きてると、どんどん男前が出てくるのを見れる。長谷川一夫や嵐寛寿郎より二枚目やなあ」
と。
ほんにほんに、と近頃思うのだ。
昔の時代劇、昔の役者さんが好きなわたしだが、なかなかどうして、今の役者さんも捨てたものではない。

わたし自身も常に心をピュアにして、感受性を研ぎ澄ませ、柔軟な気持ちで、新しい作品、新しい役者さんたちにときめき続けたいと思う。

どうかどうか、チャンバラ時代劇がこれからも、わたしに勇気とときめきを与え続けてくれますように。

そう願ってやまない。



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