濡れた緞帳の日。佐々木信綱の歌。

まるでたっぷりと泥水を吸った緞帳に、覆われたような一日でした。

とにかく身体を動かして(字を書くのもその一部です)、アナログな歌友とのやり取りをし、郵送!!するため郵便局に行きます。

帰宅すると犬が腹を見せてくれます。最初は詩人に・・・。羨ましがっていると、こちらにも腹を見せてくれました。以前に腹も大体黒と、書きましたが、良く見ると白いブルマーを履いていました。ブルマーは犬の腿(もも)の内側に入ったところで黒に切り替わるデザインで、外から見ると全部黒に見えます。

口は左右対称ではなく、ずれた犬歯がはみ出して、それゆえニヤリとした様相になっています。すごく幸せそうです。

佐々木信綱の歌に以下のようなものがあります。

いかに堪へいかさまにふるひたつべきと試の日は我らにぞこし

いずみ書房創業者の酒井義夫氏のブログでは、関東大震災の後、「万葉集」関連の原稿をすべて失った後に、佐々木信綱が詠んだ歌であることが説明されています。

若いモダニズム歌友に確かめたところ「いかさまに」とは、「どのようにして」であり、

どう耐えてどう奮い立てば良いというのだ、試みの日は来た

という意味かと思います。

絶望ではなく、自らを無理に鼓舞するわけでもなく、淡々とその状況を詠っています。

その冷めたような目が自分の身の内にもあるのです。

買い物のために都心の大通りを歩いても、前を行く人の後につく時、もしもこの人が感染していたなら、その方の呼吸の流れがこちらに来ているのだろうな、と思います。

大きなスーツケースを持って歩いている外国の方がいると、空港から来られたばかりなのかしらと意識が行きます。

これらの小さな思いがもしかするとストレスというものかもしれません。

犬が てしてしてし と歩いて、自分のベッドに戻ります。

何も貰えないので寝ますわ

とこちらを見ます。

自分は貯めに貯めて手付かずのままで、昨日遂に、会計士に怒られた経理業務をします。
この「手付かず」の状態を英語でprocrastinationと言います。コロナ禍では当然の心理らしいのですが、もともと経理は地獄のように嫌いです。

昼:有機!小松菜とマイタケとズッキーニとハーブソーセージの炒め物。冷製有機!トマト

夜:豚と茄子とピーマンの中華炒め、冷製有機!トマト

*今日は horiuchidaiさんの震災後の石巻市の写真を使わせていただきました。亡くなった写真家、稲越功一氏の「記憶都市」を思わせる作品です。