年休、取れてる? っていうか、そもそも、取る気ある?

 『週刊東洋経済』三月三十日号に、「教員の多忙化 学校教育崩壊の危機」という記事がありました。紙面では「教師に支払われていない残業代年九千億円を含めた予算づけを行うか、何でも学校にお願いする『日本型学校教育』をやめるか、どちらかを選ばなければ公教育は崩壊する」と問題提起していましたが、選ぶべきは無論、後者です。なぜなら、誰にとっても人生は一度きりだからです。どんなにお金をもらっても、貴重な時間を過剰労働と引き換えにしてはいけません。


 教職は、一生をかけるにふさわしい仕事の一つだと思います。しかし、一人一人の教員には、たとえば「父、母、息子、娘」などといった「先生」以外の欠くことのできない役割が複数あります。仕事とそれ以外の役割は、車の両輪です。一方が損なわれた場合、他方でカバーすることはできません。これらは相補的・相乗的関係にあり、一方が他方に及ぼす影響はきわめて大きいものです。


 冒頭に掲げた問題を解消するためには、行政による学校システム改善と同時に、教師一人一人が「労働の質」について真剣に考える必要があります。行政は学校に対する数多くの調査や依頼を精選し、教師は自らの仕事のあり方を徹底して見直さなければなりません。


 多忙を極める教師が燃え尽きないためには、教師自身が自らの職業やそれに付随する価値観を相対化するという方法があります。「私は今、どんな状況に置かれているのか?」「この状況を打開する最も効果的な方法は何か?」を客観的に考えるということです。そして、この「相対化」を実現する方法の一つが、「学校から離れる」ということです。


 教員になって二十六年になる私は、この二年間、一年の限度枠である二十日間の年休をほぼ使い切りました。教員の仕事は切れ目がなくまとまった休暇が取りにくいため、リフレッシュする必要に応じて意識的に細かく早上がりをしています。こんなに休んだのは、教員になって初めてでした。


「なぜ、そんなに休めるんですか?」と問われるなら、こう答えます。


「理由は二つ。一つは、人生は一度限りだということ。

そして、ゆとりを持つことが何より生徒への貢献につながるから」。

 教師は、生徒が日々触れ合う、数少ない大人です。私たち教師がゆとりと自信を持ち、広い世界に目を向けていれば、生徒に多様な価値観と選択肢を示してやれます。「学校」は、生徒にとって最も身近な社会モデルです。社会で求められているように、学校自体が必要最低限の労力で最大限の効果を上げることを試行錯誤し続け、日々微調整を図る存在であれば、生徒の社会適応にも大きく貢献するのではないでしょうか。きっと「大人になるのも悪くない」と感じてくれるはずです。

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