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センセイを捨ててみる。

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行き詰まる学校教育を変えるための、最適解。 それは、現場にいるセンセイが、センセイを捨てること。 今こそ、アンラーンする時です。 気軽に、ちょっとしたことから始めましょうか。
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#学校

著書紹介 #私について

こんにちは。「発信するセンセイ」です。 新潟県で教員をしています。 2022年12月に最初の本を書きました。 この本について、富山県で教員をなさっている能澤さんという方がレビューを書いてくださり、FBに投稿してくれました。 私の考えを知ってもらう契機になれば嬉しく思います。 ぜひお読みください。 能澤先生 ここまでが能澤先生によるレビューです。 以降は、上記レビューへの質問からどんどん広がっていったお話しです。 よかったらご覧ください。 K先生 わたし K先生

仕事は、人生そのものじゃない。 #センセイを捨ててみる。

教師になって32年。 私の人生は、この仕事を中心に回ってきました。 数年おきに県内を移動する人生。 アパート暮らしは、19歳から44歳まで続きました。 この間、引っ越した回数は9回。 そういうもんだ、と思っていました。 普段は住居と職場を往復する毎日。 夜8時前にスーパーに寄って、値引きした総菜を買って夕食。 そんな生活は25歳から39歳まで続きました。 土日は部活。祝日は大会引率。 テスト期間で部活がオフの時も学校へ。 私以外にも、必ず数人が休日出勤して採点をして

退屈な教師を回避しろ #センセイを捨ててみる。

教師には「いい人」が多いと感じます。 もちろん性格的な部分もありますが、職業柄、誠実でありたいと思う人たちが多いんでしょう。 ただ一方で、「物足りない」と感じる点もあります。 それは、「話していて面白みに欠けている点」です。 「人を惹きつけるような楽しい話ができない」という意味ではありません。 正確に言うと、「当たり障りのない回答」ということになるでしょうか。 たとえば、仕事の改善点を募っても既視感のある回答しか返ってこなかったり、生徒にとって魅力的な学校づくりを提案し

それはずっと変わっていなかったはず #センセイを捨ててみる。

教員の欠員 慢性化病休や産休で発生 長時間労働で志望者減 主旨を箇条書きで。 その仕事ぶりを知っている立場から言わせてもらえるなら、教務主任と学級担任の兼務は、通常不可能です。できる人もいるでしょうが、スーパーマンです。早晩しわ寄せがきます。 人材の掘り起こしという発想は、転倒しています。 眠れる獅子は、起きない。自ら「起きない」ことを選んでいるんです。 私は大型自動車や自動二輪免許を持っていますが、トラックやバイクを目の前に用意されて「自由に乗っていいですよ」と言

クオリティを上げる暇があるなら、人生のスピードを上げろ #センセイを捨ててみる。

以前勤めていた勤務先で、資料チェックに厳しい教頭がいました。 そのダメ出しにはいくつか特徴がありました。 ・自分が基準 ・可否が気分で変わる ・人を選ぶ 何度も足を運んで、その都度ダメ出しをされる。 職員会議の場で誤字脱字が見つかると、会議後に嫌味を言う。 言われた方も平身低頭。 「どうでもいいでしょ、どんなこと」と思います。 誤字脱字が見つかるのは、参加者がきちんとコミットしている証拠。 「会議の場でミスが見つかるのは、教頭、あなたの事前チェックが甘いからでしょ

平均台の上は、歩きにくいです #センセイを捨ててみる。

教師は“抑制”され続ける。 働き方改革という考えが 少なくとも表面的には社会に浸透したことで、 教師の勤務時間の見直しが始まっています。 時間外勤務をしない。 持ち帰り仕事を減らす。 それ自体は、いいことです。 私生活とのバランスも取れますし、 人生全体を眺める視点を手に入れる契機にもなります。 でも少しだけ違和感が。 職務が精選され、 定時で上がれるようになり、 人生を楽しむ時間を手に入れた。 これは「時間を手に入れた」ということです。 ただし、「人

すべてが口実になる #センセイを捨ててみる。

今回は、2023年6月の朝日新聞連載記事「発達障害はわがまま?」について取り上げます。 「合理的配慮をめぐる紛争を減らすための方法」として、次のような見解が述べられていました。 どうしても「対話」からは逃げられないようです。私たち日本人にとって、対話はとてもハードルが高いものです。意見と人格との混同を避けながら、問題をうやむやにすることなく「同じ課題を、定期的に、根気強く」取り扱おうとする信念とシステムが必要になります。 ちなみに、「合理的配慮」とはこういう意味です。

60時間で、変える #センセイを捨ててみる。

政治家ではなく、自動車学校社長の言葉です。 今朝のTVで、存続の危機に見舞われた自動車学校(仮にA校とします)が奇跡の復活を遂げた、というニュースがありました。 少子化に加え、ここ数年の経済停滞で物欲・所有欲が低い若者たちの増加で、生徒が減少しているとのこと。 さらに、自動車学校の学科講習が(生徒曰く)つまらなくてしょうがない。 いろんな理由で、生徒が集まらなかったそうです。 そこで、A校は考えました。そして対策を打ち出したんです。 1:オリジナルキャラクター&着

あなたも「本当は違う」と思っていませんか? #センセイを捨ててみる。

記事を読み、率直に「そう」おもいました。 不登校は「問題」ではなく「現象」である、ということです。 だから、不登校の生徒を”学校に来させよう”としても、どうにもなりません。子どもにとっての「本当の問題」が、解決していないからです。 その「問題」は、生の本質であり、子どもの生活に根ざし、いつも子どもたちの頭から離れないものです。 記事の趣旨としては、「学校でもなく家庭でもない、多様な3rdプレイスの存在を知り、そこに身を置くこと」を提案しています。 もちろん、この方向性

年休、取れてる? っていうか、そもそも取る気ある?

 『週刊東洋経済』3月30日号に、「教員の多忙化 学校教育崩壊の危機」という記事がありました。 紙面では「教師に支払われていない残業代年九千億円を含めた予算づけを行うか、何でも学校にお願いする『日本型学校教育』をやめるか、どちらかを選ばなければ公教育は崩壊する」と問題提起していましたが、選ぶべきは無論、後者です。 なぜなら、誰にとっても人生は一度きりだからです。どんなにお金をもらっても、貴重な時間を過剰労働と引き換えにしてはいけません。  教職は、一生をかけるにふさわし