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自分という個性を信じる

半年ほど前に受けたコーチングの講座。

そこでの学びはなかなか強烈で、その時は大きく影響を受けたけれど、日常を過ごす中で、ついついその思考から遠ざかっているこの頃でしたが。

先日、同じ講座で学んだ仲間との食事会に参加してきました。
結果、なんともよい学びのリマインドになりました。

というか、
彼らとの会話自体が、私にとってのコーチングになったのです。
安心安全な場で思うままつらつら話すことで、思いもよらない気づきがあった。彼らはまったく意図していなかったと思うけれど。すごいな。

皆久しぶりなので、それぞれの現状を共有する中で、私は、
コーチング自体に興味はあるから、ぼちぼち学びは続けるけど、コーチとしてやっていきたいとかはないから、そこから先は考えてないなあ。
人の話を聞くのは好きだけど、コーチとして特別才能があるとも思えないし、向いてなさそう。なんというか、相手の役に立ちたいと思うからこそ、自分じゃ役不足と感じる。
そんなことを話した。(あいかわらずネガティブだな)

すると、私より先を学ぶ彼女が、こんなことを言った。
コーチングって、答えを出そうとしたり、コーチが導こうとしたりしなくても、聞いてもらって、話すだけで、自然と気付きがあったりする不思議なものよね。だからまずは、聞いてほしい、聞きたいっていう気持ちで十分なんじゃない。

それに、人それぞれ、相性とか波長があると思う。100%誰にでも対応できるコーチなんていなくって、合うコーチ、合わないコーチがいるんだよ。いろんな個性のコーチがいて、それに対して合うクライアントがどこかにきっといる。つまりさ、その人の雰囲気やマインド、経験した人生すべて、その人の個性があってこそのコーチングなんじゃないかな。

別に私をモチベートするためとかじゃなく、ただ思ってることを言ったという感じだった。

コーチングの練習をする中で、限られた時間で何か「気づき」を得てもらわないとという強迫観念があった。自分と話して何も「おみやげ」がないと申し訳ないと思ったり。こんなのでお金と時間をいただくなんてとんでもない、そして、私と話しても価値がないと思われたくない。

で、要はまた逃げたんだな。

あまり自分の思う結果を出せなそうと思ったら、この分野には才能がないと決めつけて、少しでも自分に有利な他の道を選ぼうとする臆病者。

もっと自分をもっと信じるところから始めたいと思った。
才能があるとかないとじゃなくて、自分という唯一無二の個性に価値があると信じよう。自分の個性や好きを信じて、追究しよう。

それでどんな結果が出るとか、どれだけ評価されるとかではなくて、
ただただ自分を信じてやってみる。続けてみる。

最近の私に必要だったのはそれだな。自分を信じる勇気。



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