限界アラサー女子のメンタル事情

みなさん、こんばんは、はるかふです🌟
久々のnote投稿です。ご無沙汰してます。

何を書こうか悩んでたら2年も経ってしまいました。時が流れるのははやい。
2年の間に書こうと思ったものは結構あって、ストックもあったんですが、勇気がなくて公開できませんでした。

2023年は、仕事上でも、言葉を綴ることが圧倒的に減ったのですが、最近ふと、文章を綴るというか、考えてたことを言語化してみようかなという気が湧きました。家に帰ったらハマってるゼルダの伝説やダイヤモンドアートややりためている謎解きやYouTubeの鑑賞など忙しいので(忙しいのか?!)、通勤中に書くことに決めました。

さて、何を書こうかなと思った時に、1番最初に出てきたのが、私のメンタル(もしくは思考?)の変遷でした。
わたしのなかで今年一年で1番でかいイベントは休職でした。そして復帰。
なんか、それに至った過程とか、状況とか、それからの状況とか心境とか、結構色々あったなって。

🔻メンタルがブレイクした日のことは、以下の記事で読めます。
https://note.com/harukafan_dayoo/n/nd94cacfc33c8


さて、メンタルがブレイクした私は、どうしたかというと、普通に仕事を続けました。2年半。ブレイクしたまま。

メンタルがブレイクするとどうなったかというと、まず、涙がとめどなく出ててきます。仕事場に行く道中、そして帰り道はしくしく泣きます。
帰った後のお家では大声で泣きます。号泣です。酷い時は過呼吸にもなります。でもなぜか職場に着くと、だいたい人の目もあるので、涙は止まります。仕事してる間は平然とすることができるのです。不思議。
職場の人間関係はいい方だったんだけど、仕事相手と仕事内容がハードすぎた。普通にキャパオーバー。

あと、朝が起きれなくなった。目が覚めたら、お相撲さんが上にのっかてきているのかというくらい重かったし、39度の熱が出た時に気づいたけど、体のしんどさとしては、その39度の熱出した時とほぼ変わらなかった。
昼過ぎると、やっと動けるようになって、這いつくばる気持ちで出勤した。
これは生活に支障が出てるので、その時の上司に相談したら、昼からでもやることやってるならいいよって言ってくれた。その時は、ありがて〜って思ったけど、今考えたら、ここで休めばよかった。

メンタル的には、孤独感、無価値観、不安感がすごかった。寂しくて寂しくて1人ではいられなくて、限界を超えた私は、誰かも知らない人と話すアプリに手を出してた。大体気が狂いそうな孤独感に襲われるのは深夜だったから家族や友達には頼りたくなかった。アプリには変な人が多かったけど、1人で孤独な時間を過ごしてどうにかなるよりかはだいぶマシだった。少なくとも向こうは私を相手に話している。そうすると、私という存在に価値を感じることができた。相手は私(話し相手)を必要としているし、わたしは誰かと話したい。Win-Winな関係。しかも向こうは私が誰かも知らない。まっさらな私をお話だけで評価してくれる。話が盛り上がると承認欲求が満たされた。でも、変な人も多かったので、傷つくこともままあった。本当にたくさんの人とはなして、多分200人以上メッセージ交わしたり、電話したりした。本当に色んな人がいて、ある意味世界が広がった。あの時の私は、このアプリに助けられたけど、めっちゃオススメしない。何度も言うけど、変な人が多い。

病んでくると、仕事がどんどんうまくいかなくなって、自分はなんてダメなやつなんだって思うし、なんか、生きる価値や自分の価値を見失った。それが無価値観。でも、大好きな人たちがいるから、その人たちのために生きなきゃと思った。自分の意思ではもちろん死なないを選択してるんだけど、死への誘惑は酷かった。ひそかにずっと戦ってた。死なないよ。死なないけど、誘惑がすごい。ダイエットしてる時にジャンクフードや甘いものが食べたくなる時みたいにうわって襲ってくる。特に著名人の自殺報道の時がやばかった。調べたらこの現象に名前がついていて、ウェルテル効果っていうらしい。ちなみにその逆がパパゲーノ効果って言って、自殺を乗り越えた人の話を聞くと踏みとどまるらしい。死への誘惑が酷い時は、自殺に失敗して、いまも一生懸命に生きている人の記事を読み漁った。そうすると目が覚めたように死への欲求が消え去った。ほんと、症状なんだよね。こういう。これを読んでる人にちゃんと伝えるけど、わたしは自分では死なないから心配しないでね。この現象は症状として理解してるし、ちゃんと戦えてます。とある本ではこの時の症状を乗り越える時のことを『オデュッセウスとセイレーンたち』に例えていた。セイレーンの歌は人を惑わす力があって、船乗りたちを死んでもかまわないという気持ちにさせ、海へ飛び込ませて溺れさせたり、船を岩礁へ衝突させたりするという。オデュッセウスはその対策として、セイレーンのいる海を渡る時は自分をマストに縛り付けて航海し、セイレーンのところを通り過ぎるまで、耐えたと言う。つまり、死への誘惑はセイレーンの歌声で、縛り付けて耐えれば過ぎ去っていくと言うこと。……
みたいな感じで、むしろ普通ならば死を恐れる人間がなぜ死を求めるようになるのか興味が湧いて調べて本読むくらい、なんなら楽しんでます。心配しないでね。

そして、不安感。毎日が不安。何か良くないことが起こるって本当に信じてしまう。そして起こると、やっぱり〜ってなって落ち込む。なんども仕事するの向いてないって思って、生きてる価値ないって行き着く。0か100かの思考に行きがちになる。これもたぶん、症状。毎日焦ってた。毎日、あれこれ考えすぎて注意力が散漫になって、またミスをするの繰り返し。注意力がないから、何回も車やバイクや自転車に跳ねられそうになる。でも危機一髪で事故にならない。そう思えば豪運すぎるかも、わたし。笑

ほかにも色々症状はあったけど、きつかったのは、好きなものの"好き"が収縮して、気力がなくなっていくことだったかもなぁ。好きだった映画も観る気力無くしたし、好きな音楽が聞けないこともあった。テレビも見る気は全く出ないし、わたしの好きなものをどんどん奪い去っていって悲しくて辛かった。そんな中でも、伊沢さんやトウニューは大好きの気持ちは残ってて、自分の中の好きの気持ちが動くと、生きてる心地がして本当にありがたかった。

さて、メンタルだけじゃなくて、結構身体にも体調不良が続き、首の痛み、息苦しさ、だるさ、耳の痛み、視力低下、ずっと微熱などなどあった。内科や整形外科や耳鼻科や眼科にもいったけど、みんなストレスっていってくる。こんなに診察料でお金かけたのに、ストレスか〜。がっくり。原因はなんとなくわかってたけど、どっかの臓器が悪くなってメンタル沈んでましたってことの方がなんか、まだよかった。ついには歯が痛くなって歯医者に行ったら、歯の食いしばりによる知覚過敏って言われて、歯医者さんからは身体の歪みからくる食いしばりって言われたけど、個人的にはストレスに耐えるために歯を食いしばっているので、何度も何度も知覚過敏になっては治してもらった。結局、全部ストレスなのか…と落ち込む。

ある日、喉がぎゅっと詰まって苦しくて苦しくて息がしづらくて、これはやばいと内科に行った。甲状腺に異常があって腫れてるんじゃないかって思って、先生に言ったら、血液検査で甲状腺の病気について分かりますって言われたから血液検査をしてもらった。1週間後に検査結果を聞きに病院に行ったら、甲状腺の病気の血液検査じゃなくて、炎症反応の血液検査をされていた。え、甲状腺の結果知りたいんですけど…って言ったら、逆ギレされて、炎症反応もないので、特に大丈夫です!!って言わて、こっちもカチンときた。なぜかわかんないけど、そのイラつきで、避けていた心療内科に電話をかけた。わかったよ!もう!メンタル系なんでしょ!いいよ!行ってやるよ!って感じ。今考えてもどう言う論理だよって思うけど、この勢いが良かった。

初回の予約は2週先だった。初めてのメンタルクリニックへ。もうね、メンタルがひどく落ち込んで、注意力が絶賛ない時だったから、財布忘れて保険証も現金もなく、診察日ずらしてもらったよ。初回。
で、初めての診察で、簡単な心理テストみたいなのと、先生とお話しをしたら、テスト結果はうつ病の手前の神経症ですねぇって言われて、2回目にちゃんと聞いたら適応障害の鬱症状って言われた。「診断書書くのでいつ仕事休みますか?」ってあっさり言うものだから、ぽかんとして「いや、仕事は相談しないと休めないので…すぐに決めれません…」と答えた。女性の先生だったんだけど、「まだあなたは若いんだし、仕事だけの人生じゃないよ。無理することないから」と丁寧に語ってくれた。でも、その時の状況はどうしても私は休めなかったし、私の代わりはいなかった。メンタルの症状がひどい時にのむ頓服薬(多分、抗不安薬)と毎日飲む漢方(抑肝散陳皮半夏)をもらうだけだったので、数ヶ月で通うのをやめた。毎回先生から、いつ仕事休むの?辞めないの?無理しちゃだめだよ。あなた女性なんだし、仕事一本じゃなくていいのよ、と言われるだけで、結局医者は休む選択しか提案しないのかと思った。でも、私の中で仕事を休む、辞める、っていう選択を植え付けてくださって、後々ありがたく思った。診断書がもらえるレベルってことも、なんか後ろ盾になって、逆に頑張れた。いつでも自分は休めるんだから!って感じ。

そんなこんなで、2年半、歯を食いしばりながら仕事をしたけどふらふらになった結果、ついに仕事相手から「もう休んだら」と複数の人の前で最終通告のように言い渡された。ショックだったけど、客観的に見てもアウトなんか〜ってなってすんなり受け入れれた。上司も変わっちゃって、新しい人間関係にもなったので、一緒に仕事してる仲間も、「なんで朝来れないの?なんで仕事できないの?」って責められるようになって、ついに自分の状態を赤裸々に語ってもあんまり理解されなくて、それも辛くて、休もうって思った。まぁ、あんまり理解されないのはしょうがないことだよなと思った。適応障害とかうつ病とかって、名前だけは知ってても症状とか辛さはあまり認知されてないし、わたしも自分がこうならなきゃ、知らなかったなって思った。あと、上司が変わったせいで人間関係が変化したけどおかげで人が1人増えて、私が抜けてもなんとかまわる体制になってたのも休もうと一歩踏み出せた要因ではあった。

そうして休んだ。たった1ヶ月だったけど、ストレスフルな仕事から逃れられたことが本当に救いだった。正直1ヶ月で上記の症状は全然治らないんだけど、マシにはなった。1ヶ月休んだらすぐに復帰した。でも、主要な仕事は遠慮させてもらった。朝はゆっくりでもいいという許可もいただいて、「無理をしない」を目標に仕事することと言われて、ホッとした。復帰してから半年以上経ったけど、なんだかんだ完治まではいかない。でも、試行錯誤で回復の道を模索している。ほぼ毎日泣いてた状態から、1週間に1回泣く日があるかないかくらいに減った。ストレスでたくさん食べて何キロも太ったけど、それも仕方ないと受け入れるようにした。朝は辛いけど、ゆっくり準備したら前に進めるってわかった。おかげさまで最初に書いたけど、やりたいことやハマっていることが増えてきて、そういう意味では回復してるんだろうなって思えるようになった。そのほかにも、自分にとってメンタルが安定することがいろいろあるってわかって、これは後日、また書きたいなって思ってます。

ほんとギリギリで生きてきた20代だったし、思い返しても、辛いことと楽しいこと天秤にかけても辛いことの方が圧倒的に多くて、若い時は買ってでも苦労しろって言ってた意味はほんとまだわかんなくて、早く歳をとって落ち着いて、幸せな日々が続いて、若い時の辛さがあったからこそ、のちの幸せに繋がってたなぁって思いたいな。

ということで、こんなメンタル限界アラサー女子の課程をつらつらと書いてみました。
次は、メンタルによかったことについて、さまざまな角度から綴ってみたいと思います。

ばいびー

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