パズル 0 まえがき
この作品について
この作品は、私が今までに発表してきた作品と比較すると、明らかに異質な作品である。
私は伝記作家として、この二十五年間、数人の人物にスポットを当て彼らの生涯を著してきたが、この作品を書いているときが最も充実していた。これまでに「アルベルト・アインシュタイン」「トーマス・エジソン」「クロード・モネ」「プラトン」など、歴史上の著名な人物を扱ってきたが、今回の作品を書くために作家になったのではないかとさえ思ったほどである。
二〇四五年現在、IT産業とロボット産業、バイオテクノロジー、そして農業が経済の中心となり、五十年前に比べるとライフスタイルも大きく変化している。
変化するものもあれば、変わらぬものもあった。戦争は、永遠にこの世からなくなることがないかのように各地で繰り返し起こっていた。
皮肉なことに、不変の真理を語り継ぐ担い手である賢者たちは、完全に忘れ去られようとしていた。時代の流れとともに、次々と時代を担うオピニオンリーダーが誕生していき、偉大なる賢者と呼ばれた科学者や芸術家たちは、過去の遺物になりかけてしまった時期もあったのである。
私の記した伝記は、そのような時代の流れの中で出版されてきたこともあり、逆に新鮮さと衝撃を与え、いずれもミリオンセラーになった。世界数十カ国で翻訳され、再び彼らがクローズアップされた。そのたびに世界各地で展覧会などのイベントなども行われた。
モネの伝記をまとめている最中に、これまでに知られていかった作品や書簡などが見つかったこともあり、運よく「モネ」ブームを引き起こし、その波に乗ることができたのである。
二〇三〇年には、世界中に散らばっていたモネの作品が一同に介するという夢のような出来事も実現した。モネのファンでなくても、自分の好きな画家の全作品を一ヶ所で鑑賞できるということは、多くの人々が待ち望んでいたことだった。
しかし、それを実現することが難しいということは、誰もがわかっていた。理由は様々ある。所有者が異なることや所蔵美術館の間の力関係などもあるが、最大の理由は世界中に散らばった作品を一同に集めるために必要な莫大な資金だった。
誰がその資金を出すのか。
二〇〇〇年初頭までは、誰もがその実現は不可能だと思っていたが、時代は確実に変わっていった。
最初は美術愛好家の間で、モネの作品を一堂に集めた企画を実現させようという気運が高まり、芸術界全体へと波及し自然発生的にプロジェクトが発足した。やがて出資する企業が現れると、連鎖反応を起こしたかのように莫大な資金がまたたく間に集まったのである。
世紀の大美術展の開催は、日本で行われた。些細なもめごと──開催地誘致について──はあったが、モネが日本に憧れを抱いていたことは周知の事実であったことや、日本政府が多額の資金を用意したこともあり、日本が第一候補に挙げられていた。モネの生まれ故郷であるフランス政府が、日本で行うことに全面的に協力することになったことで最終決定に至った。
私は「モネの世界美術展」開催にあたり、日本に招待され講演会やサイン会を行った。
二〇三〇年。モネの世界美術展は、十五年も前のことになるが、あのときの感動は今でも忘れられない。展示された絵画は、デッサンも含め数千点に及んだ。
そこにはモネのすべてがあった。
オランジェリー美術館のスイレンの間は、さすがに移動することはできなかったが、最先端の技術(物質を素粒子レベルに分解し光学通信により遠隔地に飛ばして復元する技術。この技術は模倣品を越えた、つまりクローンを作り出してしまうので、その技術の開発や使用は国際協定により厳格な規制がある)により、日本の美術館に忠実に再現することができた。
美とは何かということを理屈ではなく、体で感じさせてくれた。彼が描いた自然美。光と影…。
私は胸の奥底から自然にこみあげて来るものを観じたことを今でも鮮明に覚えている。
「モネの世界美術展」は大成功を収め、多くの人々の心に「美」をもたらし刻み込んだ。
同時に私の中で疑問が沸いてきた。
私の書いたモネの伝記は、「これほどモネの真実を語ったものはない」と評され、私自身、とても満足していた。その評価に値するものを書き記したという自負もあった。
しかし、「モネの世界美術展」において、全作品を一度に見たとき、まだ語られていないものがあるのではないかという疑問が浮かんできた。
足りないのか、それとも間違いがあるのか、それが何なのかは、そのときの私にはまだはっきりとわからなかった。ただ漠然と足りないと感じた。
パズルのピースが足りないのか、それとも間違ってはめ込んでしまったのか──。
その後、モネの世界美術展と同様にアインシュタインのイベントも各国協力のもとで行われた。
そのたびに私は、やはり何かがまだ足りないのか、それとも間違っているのかという気持ちに襲われるのだった。
その後、一人の日本人の生涯が、私の疑問を解いてくれることになった。
彼はすべてを知る機会を私に与えてくれたのだ。
これから語ることは、私の疑問──すべてのパズルのピースを組み合わすことができるきっかけを与え、その完成に導いてくれた一人の日本人についてである。
彼は、著名な人物でもなく、その功績も公には知られていない。また、その功績は彼のものであるということを実証することは極めて困難であり、単に私のこじつけや空想であると言われてしまえば、それまでである。
しかし、私は伝記作家として事実を書き記すという使命感を持っている。そして事実の中に私は真実を見つけ出し、それを後世まで残すことが私に与えられてた役目だと堅く信じて疑わなかった。かつてエジプトの神官がソロンに、そしてソロンからクリティアス、プラトンへと語り継がれたように、私は詳細にそして正確に記さなければならないという重たい責任を背負わされているような気もしていた。
この作品は私にとって異質なものになった。
私は、本人と会い数回の取材を重ねる機会に恵まれた。今までにまとめた伝記はいずれも会ったことも話したこともない歴史上の人物についてであり、多少なりとも私の想像や考えが加わっていることは否めない。
現世に、アインシュタインやモネなどと直接関わったことがある人間は誰一人として生きていない。私を含めすべての人々が彼らのことを知る手がかりは、現存している作品、書簡、日記、メモなどの資料と彼らと知り合いであった者のその子孫などから聞き及ぶことしかできない。
そういった意味からすると、歴史上の人物に関する伝記は、フィクションかフィクション交じりの物語になってしまうと言える。彼らの胸のうちは、日記や書簡、その他伝え残っている数々のエピソードから推測したものであり、直接本人から確かめる術はないということからすると、あらゆる伝記も史実も想像であり、書いた者の解釈が入り込んでしまっている。こういったことは、戦争における各国の歴史書や教科書の記述にも多く表れている。勝った国、負けた国、侵略した側とされた側、それぞれ言い分や立場、そして思惑などによる偏りがあるものだ。それらすべてを内包し、俯瞰して客観的に語ることは難しい。
私が書き記したものも、私というフィルターを通過している限り、完全な事実であり得ることは難しいのと同様、それが読者の方々のフィルターを通った瞬間に、別のものに変化してしまう可能性もあり得る。
伝記を著す際は、個人的な感情や想像を可能な限り排除し、事実を忠実に記すことに専念しているし、事実を知る上で背景的知識も要することがあり、説明調子になりがちでもあった。伝記とは、そういうものである。
これから語ることには、私の「想像」が含まれているので──これまでに記した出版物もそうなのかもしれないが──これはフィクションであると予め断っておくことにした。伝記作家が書いたSF小説。そんなふうに読んでいただいて構わない。
今から語ることは、二〇二九年〜二〇四三年までの間に起こった過去の出来事を参考にした小説である。
「パズル」
グレゴリー・ゴッドマン著
二〇四五年三月発行
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