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写真を撮る理由①

私が写真を撮り続ける理由は一言で表すことが難しい。
この考えは半分以上が後悔でできてるからだと思う。

私が中学生の頃。
思春期真っ盛りの私は、遠方地に住む祖父の家に出かけた時、祖父の歩くスピードの遅さにイラッとしてしまった。
イラっとして、むすっとした顔で横を通り過ぎた。
別に祖父が嫌いなわけじゃないのに、そんな態度をとってしまった。

その後出かけた場所で、写真を撮ろうと言われたけど
写真に映るのがとにかくに嫌だった私は(太ってる、見た目に自信がなかったんです)
何かと理由をつけて祖父と写真を撮らなくなった。

最後に撮ったのはきっと小学生の頃だろう。

そんなことした、数年後
ぽっくり、祖父はなか亡くなってしまった。

そこで初めて
「祖父と映った写真が少なくなったこと」
「撮らなかったこと」
を後悔した。

祖父は元気で、全然、亡くなる兆しなんてなかった。

でもある日人は死ぬ、ということを知ってしまった。
目の前にいる人も、友達も、家族ですら
もしかしたら今別れたらコレが最後の別れになってしまう時だってあるかもしれない。

だから私はカメラを持つ。人の顔を撮る。
ツーショットがなくとも、誰かに向けた笑顔を残す。
その人が笑うところ、立っているところ、なんでもいい写真を残す。

その写真はいつか誰かの支えになり
大切な思い出になる。

トップに置いた写真は
祖父がいつもの椅子に座り
夕刊を眺める、小さい頃からのよくある風景。
記憶のものより細くなった手足。
飽きるほどみた光景なのに
写真越しでは、すごく遠く懐かしくて大切に感じてしまう。

もう会えないけど、そこにいる。
ちゃんと記録に残ってる。

それが私が写真を撮る、一つの理由。

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