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39.自由と責任は、コインの表と裏
高校の頃、野球部でのポジションはセンターでした。
最も広い守備範囲を任される、それが好きでした。
投手が打たれた!と思った打球を、僕が難なく捕るのが好きでした。
当時は副主将と外野手責任者、という立場を任されていました。
この外野手責任者、という役割で僕は、今でも覚えているほどのたくさんの学びを得ました。
まず一番は、外野手のプレーの責任は全部自分が持つ、ということです。
他の外野手がミスをします。
「ちゃんとやらせろ!」
「お前がちゃんと言っとけ!」
なんかこんなことを言われ続けていたような気がします。
まあ、そこまで言われるのは大概なんでそんなミスする?ってほどのプレーなので、僕もほとほとお手上げ状態でした。
最後には、あまりにも僕が言われ続けるものだから、外野手を集めて
「今日はミスしても何してもいい、全部言われる役するから思い切ってプレーしてみて」
といって練習試合に送り出したこともありました。
そこまで言えた自分自身が、謎の緊張感や心配不安から解放されて、なんだかスッキリしたことを今でも覚えています。
責任。
あまりポジティブな意味では使われませんね。
ただ、今僕はこう学んでいます。
自由と責任はワンセット
何言ってるんだ、と思いました。
続けて、「責任と聞くとワクワクする」なんていうものだから、経営者っていうのはこんなにドMな人たちなのか、と最初は思っていました。
責任がある仕事。
何をイメージするでしょうか。
失敗できない仕事?
精神的に束縛されている感じ?
はたまた、期待の裏返し?
経営者は常に創り手です。
どんなことも言い訳もできないし、他人や環境のせいにしても数字は数字として存在しているので、意味がない。
自分で創り出していくしかないのです。
そうすると、責任がある、ということは自分が責任を持つので、その分自由に創れるじゃないか、と。
決められた枠組みで仕事をしているわけでもなく、雁字搦めの慣習がある組織の一部でもなく、あくまで自分が自分の経営者として。
責任がある、ということは、自由に創ることができる。
解釈の違いを学んでいます。
一見、理解できないのです。
そこがギャップなのです。
確かに、そう解釈したほうが、束縛されている感よりはちょっぴり幸せに向き合うことができそうです。
責任があれば自由がある。
自由ということは、責任が伴う。
コインの表と裏のようです。
この言葉をより腑に落としていくためにも、たくさんの仕事を掴み取っていきます。
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