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162.こんなに頑張っているのに、という気持ちは一体何者なのか
こんなにも頑張っているのに、うまくいかない。
結果が出ない。
次につながらない。
間が良くない。
こんなにも頑張っているのに。
そんな思いは、誰しも一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。
一体、この思いはなんなのでしょう。
この思いは一体どこから来て、どこへ向かっていくのでしょう。
頑張ってきた方の人生ではありました。
ただ華々しい結果を出してきたかといえばそうではありません。
頑張っているんだけどなぁ。
こう思うことの多かった人生だったなと、過去を振り返っていてもふと思います。
今の僕は、そう考えることをやめました。
時折よぎるけれど、その想いに気持ちを割くのをやめました。
世の中、頑張っている人は星の数ほどいるのです。
結果は努力に比例すると思っていないか?
やればやるほど、一番その報いがあったのは僕にとっては勉強でした。
小学六年生の頃が、人生で一番勉強の好きな期間でした。
そんな時期あるのかよってね。あったんですよ。すごいよね。
急に入った進学塾の先生がとてもとてもよかったのと、やればやるほどクラスの順位表に名前が貼り出されて、数ヶ月おきのクラス替えでより上のレベルのクラスに上がっていく。
そんな目に見えた形になるのが、当時ガキンチョだった僕にとってはとても面白かったのです。
おかげで、成績はみるみる上がりました。
当時は火木の学校が終わってからと、土曜の半分、毎週日曜に関しては一日10時間という授業プログラムをこなしていました。
今思うとほんとよくやった。
努力という点だけで見ると、結構大きな力を発揮したと思います。
そして志望校に合格しました。
勉強は、たまたまその力の大きさと結果が噛み合った感覚がありました。
ただ、僕が長年やってきた野球に関しては、果たしてそううまくはいきません。
努力した分だけ飛距離が伸びるとか、投げる球が速くなるとか、足が速くなるとか、そんな話ではなかったのです。
ただ頑張ることを頑張っていた時代
人生で最も体力的に負荷がかかっていた時期は、大学三年と四年の間の時期でした。
あの頃よりしんどかった時期は、未だに一日もありません。たったの一日も、です。
伝統ある大学の硬式野球部で、当時もまた必死に頑張っていました。
ただ、勝てなかった。
強豪校出身のメンバーばかりでした。
僕は選手という第一線を退いて、学生コーチという立場でユニホームに袖を通せるようになっていました。
選手はレベル高いし人数多いしで、なかなかグラウンドの中で共に戦える気がしなかったことも、立場を変えた理由の一つです。
で、第一線に立ったのはいいものの、その辺りから強烈に勝ち負けを意識するようになりました。
OBの声、周囲の期待、スタンドで応援しているメンバーの想い。
たくさんのものを引っ提げているのに、なかなか勝てない。
頑張ってはいました。
客観的に見ても割と努力していた側の人間だったと思います。
ちなみに勉強もそこそこやってました。
成績も学部でトップ10%ぐらいに位置していました。
それでも、勝てない。
頑張っても成果にならない、という経験を、大学生活を通して体感しました。
そんな僕の大学四年生の目標の一つは、「成果をあげること」。
当時の日記に書いていました。
何か成し遂げたい自分がいたのだと思います。
翌年の年明けに書いてあったのは、成果といった成果はあげられなかったけれど、といった内容でした。
そう、ただ頑張ることを頑張っても仕方がないのです。
大事なのは、頑張ることはもちろんとして、あとはそもそも、その頑張りはどこに向かっているのか。
自分の人生の何につながっているのか。
つまりは、努力の方向性です。
結局大事なのはベクトルの大きさというよりも、向き
イチローがファーストフード店のアルバイトをしても、時給は1,000円台から変わりません。
どれだけストイックに四六時中働いたとしても、世界で誰でも知っているような有名人でも、前代未聞の記録を打ち立てた伝説の人物でも、ファーストフード店のアルバイトという土壌で努力しても、給料という結果は飛躍的に跳ね上がったりしないのです。
こんなに朝から夜まで、誰よりも早くハンバーガーつくっているのに……。
という思いは不毛なんですよね。
土壌が違うからです。
こんなにやっているのに、と思うということは、相応の理想を描いているはずです。
こうなれるだけの自分であるのに、ギャップがあると感じているわけですから。
そしたら、そこから激変していく方法は2つで、そのまま今より頑張り続けるか、頑張る場を変えるか。
ただ、甲子園を目指していて、強豪の野球部で、それでこんなに頑張っているのに、と思って土壌が違うと野球部を変えるなんてことはしないですよね。
もしかしたら全然意味のない練習方法をしているのかもしれない。
うまい先輩は、お前全然違うぞ、と頑張っているのに言われるかもしれない。
相応しい場と、相応しい人。
相応しいというのは、自分の求めている姿にとって、です。
それが「努力の方向性」。
僕は野球や勉強、経営、人、いろんな学びを得ながらそう思っています。
「頑張ることも大事だけど、頑張る方向性はもっと大切だよ。」
そう言われて、僕も変えようと思って行動してきました。
今、どんな土壌で進んでいますか?
そこで、本当に最大限努力していますか?
そして何より、どんな姿を求めていますか?
これは自戒です。
頑張っている自分が欲しいのではなく、頑張った先の未来が欲しいのです。
「頑張る」という言葉は好きですけどね。
日々精進。
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