見出し画像

189.ハンマーしか持っていなければ、すべてが釘のように見える

アメリカのことわざで、「ハンマーしか持っていなければ、すべてが釘のように見える」という言葉があります。

ここから、人を叩く、炎上してしまう人の心理が隠れているのではないかというお話を見て、なるほどと思ったので紹介します。

ひとつの手段に囚われると、その手段が目的化してしまうということのようです。

ハンマーしか持っていないと、それで問題を解決できると思い何でも釘に見えてしまうそうです。
叩くしか方法を知らないので、目的がハンマーで叩くことになってしまうということでしょう。

上記の記事には、このように書かれていました。

インターネットやソーシャルメディアの急速な普及によって、人びとはまるで、初めてハンマーを手に入れた子どものように振る舞うようになった。彼らは、せっかく物を叩く道具を手にしたのだからと、目の前にあるものすべてを叩きたくてしょうがないのだ。

「釘=叩いても良いもの」をいつも探し求めるのも、ハンマーしか手にしていないからだと言えるのかもしれない。

もしもハンマー以外にも持っているものがあるとするのならば、釘じゃないものも見えてくるかもしれない。

説教したい、上位に立っていたい、自分が何よりも正しい、など意識的であれ無意識的であれ、人間には備わっている感情だとも思います。

その思いを発散する場が、今はインターネット上になっているのが現状なのでしょう。

「絶対に炎上しないようにする方法はないのか」と問われたら、私はいつも「それは交通事故に遭いたくないから家から出ないと言っているようなものだ」と答えている。

これもまた面白い意見だと思います。

歩いていても車は突っ込んでくるかもしれないし、家にいても大地震が起こるかもしれない。

同じような感覚で、何かを発信する、何かを表現するということでそれに反する力が生まれるのは、もはや世の中の道理なのだと思えてきます。

世の中には、同じものを見ていても、釘に見える人と見えない人がいます。

もうそれは仕方ありません。

ハンマーしか持っていない人に、釘以外を見せることはできないのです。

「釘じゃないですよ」

といってもどうにもならないのです。

で、きっとそういう人ほどハンマーを手放そうとしないので、結果どうしようもないと思います。

解決方法は、気にしないということぐらいでしょうか。

ことわざ、言い得て妙だと感じました。

僕も主体的に動くときこそ、戒めとして心に留めておこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?