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299.大いなる願望の前に人は無力である

人が最も行動するときはどんなときなのでしょう。

まず行動だと、行動から学ぶんだと、行動がすべてだと、あらゆるところで説かれていますし、実際にそうだと多くの成功者が口にしています。

僕もその通りだと思います。
では、一体どうすればとんでもないほどの行動が巻き起こっていくのでしょうか。

力で支配するような強制力?
誰かとの約束?
こうはなりたくないという思い?
あるいは、何かに対する恐怖?

たくさんの要因があり、それぞれどれがより強烈なのかは人によるでしょう。

そんな中で今回注目するのは、願望です。

どうしてもこうなりたい、何としてもこうしたい、喉から手が出るほど欲しい、まるで取り憑かれたかのように望んでいる……。

そんな、一歩間違えれば狂気ともいえるような願望は、人を動かす無限のエネルギーを持っているのではないか、と思っています。

願望がない人は存在しない

少々横暴ですが、僕は願望のない人は存在しないと思っています。

やりたいことがない、なりたい姿がない、どういう生き方をしたいのか、どんな仕事に就きたいのか、特にないという人はたまにいます。

僕も初めは願望という願望は特にないと思っていた人間でした。
別に最低限生きられればいいんじゃない、というのと、本は描き続けたいなぁ、ぐらいでした。

ただ、いろんな世界を見て知って体感して、ここ数年で考え方も大きく変化してきました。

本当は、ということを考えると、いくらでも出てきます。

できる、できないは置いといて、制限を取っ払ったら本当はどんな人生にしたいのか、山ほど出てきました。

たくさん書き出しました。
やりたいこと、欲しいもの、行ってみたい場所、他にもたくさんたくさん、書き出しました。

自分だけが見る紙に書くのは、誰にも制限されていません。
自由に、突飛に、思いつくままに、書き出す。

そうやって自分自身の「本当は」に素直になることが、まず最初のチャレンジでした。

人生は一回だということを、本当にわかっているのか?

そもそも、人生は一回きりなのです。
ポケモンみたいに何度もやり直しがきくものではありませんし、
願望がないというのはある意味ゲームの縛りプレイをやっているようなもので、本当の本当に一回だけなのですから、ないことはない、と思っています。

壮大なものでなくてもいいのです。
ほんの小さな思いや願いでもいい。
夢は大きくなければという制限もまた、何もないのです。

大きく望むことは大事かもしれません。
人生一度きり、思い浮かぶすべてを願望として捉えるのも最高です。

ただ、大きく望むというよりは、僕は自由でありたい。
自由に望んで、人生を進めたい。

人生はたった一度だけです。

別に望もうが望むまいが、大きかろうが小さかろうがその人次第ですが、もっと自由であるべきだとは思います。

もっと自由に描けると思っています。

誰かや何かの制限をすべて取っ払うチャレンジの先は、今よりは自由な生き方が待っているかもしれません。

願望に突き動かされるような生き方を広めたい

何としても甲子園に出たい、という高校球児は死にものぐるいで練習に取り組みます。
何かに取り憑かれたかのように、学生の本分は勉強だとも言われながら、ただひたすらに自分の望むものに向かって突き進んでいる。

誰に強制されるわけでもなく。
他人には理解し難い信念を携えて。
道が険しくても関係なく、まるで背中を押されているかのように走り続けています。

それぐらい強烈に思い続けるもの。
恋い焦がれるような想いを起こさせるもの。

いかにそれを自分が生み出すか。
どこまで突き詰められるか。
周りを巻き込めるか。

自分一人の願望だけでなく。
周りの仲間の願望や夢も巻き込んで、相乗で大きくしていく。

そうした生き方ができれば、自分の願望に突き動かされるようにして生きる人が少しでも増える可能性が上がる。

動き出す人で周りの人が溢れかえる。

そんな世界を目指したい。

願望に生きる。

本当に強烈で鮮烈な願望には、思わず人は動き出す。

そのモデルになれるよう、僕自信が願望に正直に生きていきます。

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