215.背番号52は僕の野球人生の集大成
背番号という文化は、不思議なものです。
野球を長くやってきました。
背番号を背負って試合に臨み、その番号に誇りを持ち、精一杯プレーします。
野球に限らず、他のスポーツでも背番号は多く存在します。
サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボールやハンドボールなど、挙げればキリがありません。
さて、そんな背番号。
野球でいうと、主にポジションによって決まっていますが、プロ野球やMLBだと番号自体に大きな意味が付随することもあります。
永久欠番。
多大な功績を残した人物の使用した背番号を、その栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、そのチーム内で欠番となっている番号のことです。
つまり、今後そのチームでその番号を付ける人物は誰一人現れない、ということです。
読売ジャイアンツだと、王貞治氏の「1」と長嶋茂雄氏の「3」が印象的ですが、球団だけでも6名の対象者がいます。
背番号は、ただのナンバリングではなく、歴史、その世界での功績、記録、多くの人達の鮮烈な記憶、そしてそれを身につける者のかけがえのない想いが、宿っているのです。
背番号8だった時代
僕は野球を小学二年生から始め、当時はいろんなポジションを守りました。
少年野球は、多くのポジションを守りがちです。
主にセカンド、途中からなぜかキャッチャーを務め、地区で初優勝したときはキャッチャーを守っていた記憶があります。肩は弱かったです。
中学生から、外野手を始めました。
きっかけは忘れましたが、当時からセンターを守り、これは野球を引退するまで続け、やがてセンターが僕の野球における本業のポジションとなります。肩はそんなに強くないです。
小学生の野球は背番号「10」が主将という決まりがありましたが、基本的にそれ以外はポジションごとに割り振られます。
中学生も、高校生も、以下のようにポジションによって決まるのです。
背番号8は、僕の野球人生で一つ目の大切な番号です。
センターは、9人の中で最も守備範囲の広いポジションです。
投手が「打たれた!」と思った打球をいとも簡単に捕球する。
そんなセンターが理想でした。
派手なダイビングキャッチや、スライディングキャッチはしません。
打球は、打者の構えとタイミングの取り方、バッテリーの配球である程度予測することができますから、あたかも飛んでくることがわかっていたかのように平然と守っていること。
その安心感を提供できるのは、センターを守る上で一番の魅力でした。
一番、センター。
高校野球では、僕の理想とするこのポジションを確立していました。
高校を卒業し、大学二年生までは試合に出るときはよく「8」をつけていました。
ただ、周りのレベルの高さ故に、試合に出る機会は格段に減ってきていました。
そして、背番号52へ
大学野球では、背番号とポジションは特に決まりはありません。
同志社大学は関西学生野球連盟に所属していましたので、主将の背番号だけ「1」と決まっていました。
プロ野球では18番がエースナンバーとも言われていますし、同志社大学の当時だと17番が歴代エースが背負っていた番号でした。
伝統というほどではありませんが、この人はこの番号、という象徴のような存在だったのは、今までの野球と大きく違っていたところでした。
僕は大学二年生まで選手として活動した後、二年生の秋のシーズン後学生コーチという役職に就くことになりました。
選手ではなく、裏方の役割です。
監督の「学生コーチやらんか?」の一言で半年間悩み、自分で決断した結果でした。
練習では、ノックを打ったり、バッティングピッチャーを務めたり、手の足りないところに手伝いに行ったりします。
試合では、試合前ノックを打ったり、三塁のランナーコーチを務めたりします。
選手として試合に出ることはなくなりましたが、立場は変われども同じグラウンドに立つという目標は達成できました。
もちろん、ノックはろくにやったこともなかったので、めちゃくちゃ練習しました。
結果、こうして立てて一緒に戦えたことは光栄に思っています。
選手の背番号は主将以外決まりはありませんでしたが、監督は50、コーチは51、学生コーチは52ということは決まっていました。
なので大学の三年、四年と二年間の毎試合は、52番を背負っていました。
そりゃもう、伝統校ですから。
緊張感はありました。
毎回、うまくノックが打てるか、キャッチャーフライは綺麗に真上に上がるのか、三塁ランナーコーチで致命的なミスをしないか、不安でした。
公式戦前は、いつも玄関の鏡に向かって「大丈夫、大丈夫」と言ってから外に出ていました。
試合直前は、一人で室内練習場で3本キャッチャーフライの練習をしてから、「大丈夫、大丈夫」と呟いてからグラウンドに飛び出していました。
僕の中でのおまじないですね。
今でも大切な場面では、時折思い返します。
背番号52。
僕にたくさんの経験と体感をもたらしてくれた背番号です。
仲間が勝つことが、うまくプレーしていることが、こんなにも嬉しいことだと気がついたのは学生コーチになってからでした。
どんな劇的な試合でも自分はヒーローにはなれないというもどかしさ、日々誰かのために動く献身さ、毎日感謝の言葉をもらうことへの矜持。
全てが新しい体験でした。
どれも忘れられない思い出です。
僕の野球人生は、背番号の8と52にほぼ全てが詰まっています。
だから、この背番号というのは、ただのナンバリングではなく。
こうした、かけがえのない想いに溢れかえっているのです。