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71.話を聞くこと。本当の優しさ。

よく、話を聞くことがあります。
聞くのと同じぐらい、僕もどーでもいい話を喋っているかもしれませんが、よく、話を聞く機会があります。

相談、というほどではないですが。

僕は相談を受けても正しく導けるだけの、そんな寺の住職みたいな人間ではないので、基本的にはそうなんだ、で終わります。

話を聞く際に、心掛けていることがあります。

否定も肯定もしない。

これは、僕の絶対的な信条からの想いです。

すべてを受け入れる。
自由な土壌をつくる。
ベースには、想いやりがある。

そうした中、いろいろ話をしてくれますが、全て自分の選択なので何でもいいんです。

何でもいいけど、わざわざ苦しむ姿を見たいわけではないので、こうだったらこう、と経験からくる僕の意見は示せる。

でも、あくまでそこまでです。

馬を水飲み場に連れて行くことはできるけれど、水を飲ませることはできない。

僕はあくまで道を示すだけです。
道標になりたい、という願望通りかもしれません。

そのためには、わかるわかると同調ばかりしていても意味がないし、いやそれはこうだろと決めつけることもしない。

目の前の人がどうしたらもっと良くなるか、良き選択をしていけるか、その一助にしかなれないのです。

優しさは、受け入れることではありません。
何でも受け止めることでもありません。

目の前の人を本当に思うのであれば、その人が最も良い選択ができるように場を整えたり。心を落ち着かせたり。前を向くようにしたり。もっとやる気を上げたり。

厳しいことを言う立場ではないので、厳しい話はしませんが、かといって全てを受け入れるような立場でもない。

本当に相手にとって、何がいいのか?
僕はどんな選択が最も良い形につながるのか?

結局は、僕がまず豊かになっていることが大切なようにも思います。

溢れた想いを、与えていきます。

優しさは、人を思う心は、自分が満たされてから零れ落ちるように伝わっていく。

そういうものだと思います。

優しさを履き違えないように。

僕は何度も何度も、たくさんの人と対峙し、向き合って取り組んでいきます。

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