416.本当は、気づいていること
久々に、偏った主観を書き殴ります。
反論、苦言も覚悟の上で、書こうと思います。
僕の独り言だと思ってもらっても構いません。
思いが溢れて、溢れた先がどこにもないので文字に転換しました。
もしかしたら、誰しも思い当たりはあることかもしれません。
それは目を逸らしてはならない、まごうことなき現実なのです。
ついつい逃避をしてしまう。
考えたくないこと。
直視したくない現実。
踏み切れない思い。
曖昧な感情。
人間は弱い。
その特性に抗っても意味がない。
ポケモンが進化したみたいに、人は急に強くならない。
だから、逃避をしてしまう。
見えているのに、見えないフリをしてしまう。
わかっているのに、知らないフリをしてしまう。
気づいているのに、行動することをやめてしまう。
僕は偉そうにこの世の現実を語れるほどの大層な人間ではないけれど、かといって何も経験していない人生ど素人でもない。
向き合って、取り組んで、失敗を重ね、本質を求め、未来を見据え続けてきた。
大きな結果を出すのはこれからだけれど、それにしてもあまりに多くの逃避を目にするがあまり、少し寂しい。
僕もまだまだたくさんの事柄から逃避している。
改善すべき点ばかりで、それは純粋にありがたいこと。
もちろん、本気で向き合っていることもたくさんある。
自分に対して。
大切な人に対して。
約束に対して。
コミットメントに対して。
31年間の人生では稚拙な経験しかないかもしれないけれど、そんなことは関係なく、今思っていること。
最近、目の前で起こった事象から感じていること。
僕は伝えたい。
逃げるなよ。
そう言いたい。
僕は、ここにいる。
大木が、生い茂る枝葉の何倍もの大きく広い根を張り巡らせているように。
僕はここにいる。
だから、逃げるなよ、と。
何から逃げているのか?
未来から逃げてはいけない。
ここ最近、僕が体感したこと。
未来から逃げている。
未来の人間関係である。
未来の自分自身である。
仕事も、家族も、恋人も、人間関係だ。
20年後、同じ仕事がまだ残っていると、本当に思っているのだろうか?
10年後、同じ人と同じように会えると、本当に思っているのだろうか?
5年後、同じ人が同じように自分と関わってくれていると、本当に思っているのだろうか?
親の介護が必要になったとき、あなたはどんな生活をして、どんな支援ができて、どんな感情で日々を過ごしているのだろうか?
まさかそんなことが起こるなんて、という事象は果たして、本当に全く予想していなかったのだろうか?
子どもが生まれたら、あなたは何を与えられ、どんな仕事をしていて、どれぐらいのお金が必要で、パートナーとはどのような人間関係を築いているのだろうか?
今隣にいる人が、5年後も同じ人間だとどうして言い切れるのだろうか?
あなた自身も成長するはずなのに、どうして他人は変わらないだろうなどという想像をしているのだろうか?
仕事がなくならないという保証は、一体誰がしているのだろうか?
何もしなければ、学校でも何でもない社会だと人のつながりが薄れていくことすらも予想できないのだろうか?
人のつながりが薄れた先の、10年20年は本当に想像もつかないのだろうか。
人に依存する人と一緒にいて、将来困らないだろうか。
気が弱いとか考えるのが苦手とか、いかにもな理由を振りかざして行動しな理由ばかりを集めていないだろうか。
本当は、あなたは何に気づいているのだろうか。
本当に、気づいていないのだろうか。
何よりその自分自身を変える必要があると、気づかないのだろうか。
社会も世界も他人も変えられないのなら、自分自身が変わる以外に選択肢などないのに。
もし大切な人とお別れすることになったら、介護が大変になったら、認知症になってしまったら、それはもう受け入れるしかないよね。
という諦めの言葉で逃げていないだろうか。
本当にそうなったときの未来を受け入れる覚悟が、今本当にできているのか?
僕はそんな覚悟ができないので、今必死になって努力している。
頑固な自分を辛抱強く何とか変えようとしている。
そんなことも想像できないのか?
大切な人とは別れたくないし、親には晩年こそ安心して何不自由なく暮らしてほしい。
お互い自立したパートナーと恋愛できれば嬉しいし、子どもができても結婚だけがゴールじゃないことぐらい考えたらわかる。
仕事も会社に保証を求めるのではなく、自分で創れるようになれば安心だし、人のつながりやコミュニティは今作っておかないと将来の方が大変なことぐらい、これも考えたらわかる。
そもそも一人で生きることなんてできるわけがないのに、一人の方が気楽だというのは愚かだ。
そのまま40年か50年生きて死ぬのか?それでいいと本気で思っているのか?
そもそもいつまで経っても、この社会じゃ一人になれっこない。
今は頑張れないから、もしそうなったらそうなったときに受け入れて、その時頑張るよ、と本気の覚悟も本当の想像もしていないのに言っている人をたくさん見てきた。
今はパートナーを大事にしたいんだ、仕事を大事にしたいんだ、といって関係が薄れていった人もたくさんいる。
何を言っているんだ、と思う。毎回毎回、痛烈に思う。
だから今頑張るんだろうがと。
今頑張れないから、頑張る自分になるんだろう。
パートナーや仕事を大事にしたいから、今頑張って将来まで安心できる状態をつくるんだろう。
これはその人の人生観によると思うけれど、今回は僕のエゴ、独り言なので気にしないでください。
でも、他人事じゃないと思うんです。
本当に大変そうな両親を見ている。
お金がないからで最善の選択できない友人も見てきた。
僕も明日交通事故に遭うかもしれない。
未来から逃げるな。
今を大事にしたい気持ちももちろん理解できるが、それを言い訳にかざすのは格好悪い。
今を盾にするな。
自分の弱さを棚に上げるな。
そんな自分で生きていくこれからの方が身を案じてならない。
今この瞬間だけ良くても、その自分でこの先生きていくつもりなのか。
この先の想像もできないのか。
未来から目を逸らすな。
いずれ来る。
容易に想像ぐらいできるだろう。
僕は、今も、未来も、同時に最大限求めている。
そんな気概のある人たちと一緒にいる。
離れていった人たちには、もう声は届かないかもしれないけれど。
今手の届く範囲にいる人に対しては。
これから出会う未来の仲間に対しては。
命懸けで伝えていく。発信していく。
一度つないだ手は、こちらから離すことは絶対にない。
考えたらわかることばかりだ。
どれほどのケースで、何人の先人が世の中にいると思っているんだ。
だから、逃げるな。
共に立ち向かおう。
僕はここにいる。
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