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2.ミヒャエル・エンデ「モモ」の紹介

 こんにちは!ハレノチ×ハレーションライトブルー担当の七瀬春香です🩵🌷

今回の作品はミヒャエル・エンデの『モモ』です。私が小学生の時から大好きな本で、一年ほど前にこの本についてのほとんど誰にも読まれないであろう文を書いたり、過去にモモについてのNHKテキストが書店にあれば買って読んだり、モモについての特集をしていたMOEという雑誌を見つけて読んだりしていました。この本は私の生き方や考え方に大きく関わっていると思っています。

私のファンの方にもモモが大好きと言っている方がいて、類は友を呼ぶってこういうことなのか(?)と思っています。私が布教したら読み始めてくれた方もいてとても嬉しいです。

今回は語りたいことが多くて長くなりそうなので↓の順にお話しします。

1.ミヒャエル・エンデ

『モモ』はミヒャエル・エンデという作家によって書かれ、世界の色々な言葉に翻訳されています。

ミヒャエルエンデはドイツの作家で、他にも『ジム・ボタンの機関車大旅行』などのジム・ボタンシリーズや、どちらかというと大人向けの『自由の牢獄』などの短編小説集も出していますが、どの作品もファンタジックで、どこか神秘的、哲学的なところがあるのが共通した特徴だと思っています。

特に『モモ』は、「どこにもない家」などの場所や時間泥棒といった、現実には存在しないものが多く出てきますし、本全体には時間についての思考が随所に張り巡らされていて、じっくりと読めば、時間に対する考え方が少しずつ変わっていくと思います。

そんなエンデですが、当時のドイツでは政治的な文学しか受け入れられない風潮があり、『ジム・ボタンの機関車大旅行』で成功した後、攻撃されることもあったそうです。
ドイツから逃れるように、エンデは『モモ』や『はてしない物語』をイタリアのローマで書きあげました。
(月刊モエ第43巻第3号・白泉社)

政治文学のような、現実的で社会に役立つような文学しか受け入れられない風潮は、明治初期頃の日本の文学界にもあり、前回扱った『浮雲』の二葉亭四迷とも作風は違えど、当時の風潮に逆行して書いたというところに似たものを感じます。

私も実用的な文学にはほぼ興味がなく、ファンタジーの世界にこそ本当に意義深いものが隠されていると思っているので、これからもエンデのような人物にファンタジー文学が守られてほしいです。

また、MOEのインタビューによると、エンデの本は意図的に演劇のように描かれているそうです。舞台のように対話体を多用し、筆者は説明をしないのです。また、本を書く目的は読者を遊びに誘うことだとも語っています。この筆者の意図を知るとまた違った楽しみ方ができるかもしれません。

2.モモの存在

 モモは謎めいたキャラクターです。ある日ボロボロの服を着て小さな街の円形劇場跡に来て、そこに1人で住み始めます。街の人に聞かれても年齢が自分で分からず、100歳とあやふやに答えてしまう子どもです。ですが、温かい街の人に恵まれ、食べ物や家具を色んな家から少しずつ揃えてもらい、子どもたちや親友と遊びながら楽しく暮らします。

 彼女は主人公にしては珍しく、極めて受動的な人物で、基本あまり自分からは喋らないし、行動もしないのですが、その反面本当の意味で人の話を聞くことができる能力をもった子どもです。

どんな能力かというと、モモがいて話を聞いているだけで、喧嘩していた人たちはそれが馬鹿げたものだったと気づいたり、「自分はつぼと同じで壊れたらすぐ違うつぼに取って代わられる、生きていても死んでいても違いはない」と思っている人に、「自分はこの世の中のただ1人で大切な人間なんだ」と希望を持たすことができたりする、そんな力を持っています。

ここでモモはある種カウンセラーのような役割を果たしています。人の話を聞き続けるというのは実はとても難しいことで、普通人は、他人の悩みや話を聞いた時に最後まで聞いて受け止めることはせず、途中でアドバイスを始めたり、違う話を始めたりしてしまうのです。心理療法の場では人に何かを託せたという感覚が非常に大事な第一歩であるそうです。
カウンセラーの話の聞き方とモモの話の聞き方はよく似ていて、それがモモが人に希望を持たせたり人を落ち着かせたりする理由なのだと思います。
(NHK100分de名著 2020.8)

この特別でないように見えて特別な、話を聞き続ける力を持っているところがモモの大きな魅力の一つです。もちろんそこにはファンタジーな力も加わっているとは思うのですが、現実の能力に限りなく近い、不思議な距離感があります。

また、雑誌「MOE」によると、エンデは挿絵を自分で描いているのですが、登場人物の顔はあえて描かないことで、想像を膨らませる効果を出しているそうです。この、モモの後ろ姿しか見えないことが、どこか謎めいた神秘的な感じを生み出している理由の一つと言えます。

3.描写 

 「モモ」は描写も魅力的です。
例えば、マイスターホラという人物にあってから出てくる「時間の花」の描写がとても素晴らしくて、読んでいると目に浮かんでくるように、本当に時間の花たちが存在するのではないかと思えるように美しく描かれています。その後の、モモが星の時間を聴けるようになり、メロディーを口ずさんでいるところの描写も素晴らしいです。

また、時間の感じ取り方とその表現方法が他には無く、どの時代に読んでも新しい表現と感じられるようなものだけれど、しっかり腑に落ちる感じがとても心地良いです。

ここでは具体的に書かないようにしていますが、これから読む人がいれば、色々なものの描き出し方に注目して美しさを直接味わってほしいです。

4.キャラクター

 主要キャラクターは親友のベッポじいさんとジジ、マイスターホラ、カメのカシオペイア、そして時間泥棒(灰色の男たち)です。どのキャラクターも個性が詰まっています。

親友のベッポとジジは正反対な性格で、ベッポは物事をじっくりと考えて答えを出す、仕事もゆっくり着実にこなす人ですが、ジジは思いついたことはすぐ口に出す、嘘の物語を観光客に語ってお金を稼ぎ、いつか大金持ちになりたいと語る空想家です。モモとこの2人はいつも仲良しです。

そして、マイスター・ホラは老人になったり若くなったり、見た目を変化させることができる人物で、どこにもない家で時間を司っています。とても親切な人物で、よくモモに謎めいた質問をします。もしかしたら人ではないかもしれません。

カシオペイアはマイスター・ホラのカメで、モモの前に突然現れ、モモをマイスターホラの元へ連れて行きます。甲羅に文字を出すことで意思疎通をして、半時間先のことを見通すことができます。先を見通せる分、いきなりその場から立ち去ってしまったりと、よく分からないと思われる行動をとりがちです。どこかチャーミングな感じのするカメです。

そして、唯一の敵である灰色の男たち(時間泥棒)ですが、彼らは文字通り全身灰色の、人の形をした者たちで、時間貯蓄銀行で働き、人々の時間を奪うために直接話しかけて、時間を貯蓄しようと言ってだましていきます。そして貯蓄するのではなく、人の時間を自分たちが生き延びるために使います。

小さい頃は気づかなかったのですが、読み返してみると、この時間泥棒たちはとても胡散臭い方法で人々に話しかけます。人が時間を何に使っているかを把握し、その時間を秒単位で計算して、これまでの人生で何秒費やしたかをその場で計算し、提示するのです。実際は趣味や人との交流に使われた時間は無駄ではないのに、なぜか無駄にしていたと感じさせるような話し方をされ、街の人は灰色の男たちを信じてしまうのです。

5.時間について

時間とは区切られたもの、時計などで目に見えるものでありながら、本当の時間は一人一人の中にあります。

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

『モモ』岩波少年文庫

この文章はエンデの時間観を一番に反映した文章だと思っています。最後の一文はなんだかややこしく感じますが、その前の文章は誰にも感じたことのあることだと思います。

時間は生きること、心を住みかとして人は生きる、つまり、時間は人の心の内にあるということ。それを反映したのが時間の花で、一人一人に違う色のその時々で一番美しい花が咲き、しぼんではまた新しく花が咲きます。これは、人の時間には値打ちをつけられないほどの価値があるということを表しているのだと思います。

そして、時間は人の心の中にあるということが忘れられ、人々に余裕がなくなっている時に、灰色の男たちが心のすきまに侵入してくるのです。

6.社会問題

基本は街の敵である時間泥棒(灰色の男たち)とたたかう不思議な少女モモの冒険の話なのですが、街の不穏な雰囲気などの描き出し方に、当時の社会やその次の時代へ警鐘を鳴らしているような感じがします。

現代のひたすらに効率を求められる生活、「時間がない」と言い、趣味やゆったりとした休息は放ったらかしの生活、これらがより加速し広まっていくと、どんどん人々の生活はつまらないものになってしまいます。これが、灰色の男たちに時間を奪われている状態で、「ストレス社会」という言葉はこの現状を反映しているのではないかと思います。
こうした社会の人々を癒すことができるのが「人の話が聞ける」モモという存在であり、社会の人の心のすきまに蔓延るのが「人の時間を盗む」灰色の男たちなのです。

この本の最後に、語り手がこの話を「過去に起こったこととして話したが、将来おこることとしてお話ししてもよかったのです」と言って終わります。これは、人の心をすみかとする灰色の男たちがいつ現れてもおかしくないというエンデの考えが表れていると考えられます。

7.おわり

 たまにパラパラと「モモ」を読むと、最近はこんなゆとりのある気持ちを忘れていて、休んでいなかったな、なぜか分からないけれど焦りすぎていたなな、と心が緩むことが多いです。ずっと家にあるからか、エンデの描き方のおかげか、何となく読み返していて落ち着くような本です。

「モモ」は児童書ですが、大人が初めて読んでも楽しく読め、昔読んだことがある人は読み返してみると新たな捉え方が見つかって面白いと思います。少しネタバレしてしまってる節はありますが、ぜひ読んでみてください。

そして、これから児童書の魅力もどんどん新しく見つけて発信しようと思うので、またよろしくお願いします!

次回の本は未定です💦
お楽しみに!

モエのモモ特集号
100分de名著モモ

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