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存在の軽さと時間の不可逆性について。
なんだか中二病か、文学と物理に同時にかぶれたみたいなタイトルになってしまいましたが。
最近、存在の軽さとか、時間の不可逆性について考えるときまってとても切ない気持ちになります。
まず、存在って軽いですよね。あまりに軽い。
だからみんな頑張って「重み付け」をしようとしたりする。
家系図を書いてみたり、位牌を作ってみたり、お墓を立ててみたり。
物書きをしたり、絵を描いたり、ある日の写真を現像してアルバムにしたり。
でも、みんないずれは死んでしまう。身体も意識も、跡形もなく消え去ってしまう。
特にここ十数年で一気に軽さが増した。
世の中のスピードが速くなって、皆が簡単にたくさんの情報をやり取りできるようになったから。その代償として。速さと量の代償。
そして時間の不可逆性。
老いた人の若かりし頃の姿、育ったこどもの赤ちゃんの姿は、もう二度と見られない。なにより、亡くなった人は戻らない。
こんなことを言うのは、中高の友人が同い年のまだ20代で亡くなっているからというのもあります。
悲しくないですか?信じられなくないですか?
私だけかな。それともみんなそう思っているけれど、見ないようにしたり、あえてそう言わないだけかな。それどころじゃないから。あるいは、もう大人だから。
だから私は、あえて重さを作るようにしたいと思います。
両親は私に紙のアルバムを残してくれた。
私も自分の子のためには、同じようにするでしょう。
それからたまには手紙を贈ろう。ノートにペンで言葉を綴ろう。色鉛筆で絵を描こう。手芸は、、不器用だから無理かな。亡くなった友人と違って。出来たらしたいけど。
そういえば「何かを残したい」「名を成したい」といった欲望は、「遺伝子を残したい」という本能の暴走だと言っている人がいました。まあ、私がファンをやっているプロ奢ラレヤーさんという人なのですが。
私も子どもを持ったら、こんな事を思うこともなくなるのかもしれませんね。
どうなるのか想像がつかないので、将来が楽しみです。
2024.5.23
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