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〔短いお話〕向かい風か、追い風か

そよそよと、心地よい風が頬をくすぐったかと思ったら、ざわめくように木々の枝が揺れて強い風が吹き始めた。

今日はずっと風が吹いている。

御朱印を待つ間、誰もいない神社のベンチに腰掛けながら呟いた。その途端すぐに風が止み、どこからともなく黒い蝶が飛んできた。

黒い蝶って、優雅で綺麗だなぁ。

少し顔を上げて蝶の行方を見守る。不規則に左右上下にひらひらと動きまわり、やや低空飛行気味に複数並んだ鳥居の幾つかを潜り抜けると、高い位置まで移動した後するっとどこかに行ってしまった。

蝶はさなぎの時を経て、無事羽化し、自由に飛び立てたことが嬉しくてたまらなかったのだろうと、勝手に想像する。はて、この辺りには花は咲いていない。羽化したばかりだったのだろうか。

あれからちゃんと花が咲いて入る場所を見つけられただろうか?しばらくは蜜を吸わなくても大丈夫なのかな。少し心配になるが、自然に存在する生き物は人間が考えるよりはるかに逞しく、必死で命をつないでいくのだと思う。

そういえば最近、なんでこんなところにという場所でよく蝶を見かける。神社でも蝶に出会うことが多い。

何かのサインだろうか。

持っていたスマホで「蝶 神社」で検索してみる。神社で蝶を見かけることはスピリチュアル的にはよい意味なのだそうだ。

でも春は蝶が羽化する季節だし、神社には木が多いからさなぎにも良い環境だと思う。さっき見た蝶だって、たまたま神社近くで蛹になって初めて飛び立った時に私が神社にいたから目にしたというだけで特に意味はないのだろう。

人は、何か珍しいことが起きたり偶然が重なったりすると、そのことに意味を見出したくなる生き物だ。

身の回りの些細な出来事に、意味を見出したくなるのは、不安だから。なにか意味付けをして安心したのだ。良いことでも悪いことでも答えが欲しい。答えがわかることで、そっと背中押してもらえるように思えることを期待しているのだ。

私もそうなのだろうと思う。気になった出来事について検索し、良いことが書かれていると嬉しくなるし、悪いことが書かれていると「お祓いしてもらったほうがいいのかな」などと考えてしまう。

スピリチュアル的に良いといわれる出来事だという答えを得て気持ちが楽になるなら信じればいいか。

また、少し風が吹いてきた。

カランカランと、たくさんかけられた絵馬が揺れて音が鳴る。絵馬には薄紫の紫陽花が描かれている。アジサイはこの神社のシンボルなのだろうか。紫陽花の季節にはまだ早いが、紫色の紫陽花は神社に良く似合う気がする。

そろそろ出来上がるかな。

社務所の方を見ると巫女さんが御朱印を手に持ち受付窓口に戻ってくる姿が見えた。ちょうど書き上がったようだ。私は立ち上がり御朱印帳を受け取りに向かう。御朱印帳を見ると、小さな紫陽花のスタンプが押してあった。

花って、いいな。でも、花はなぜ咲くのだろう。

蝶が残した鱗粉は実は小さな花の種なのではと想像してみる。ひらひらと動く動作は種まきで、その種はやがて小さな花をたくさん咲かせる魔法の合図なのではないだろうか。だって、春の声を聴いたときは、土だけの地面でしかなかった空き地が、いつのまにか一斉に淡いピンクの花で埋め尽くされていることがあるから。

晩春から初夏にかけて草木は色とりどりに賑わう。桜やチューリップ、ツツジ。バラや芍薬。スミレやパンジーも。ピンクの絨毯みたいに見える芝桜も素敵だな。遠くに出かけなくても小さな花見は至る所で楽しめる。足元の花々を眺めていると誰もが笑顔になれる。

御朱印帳をカバンにしまいゆっくりと歩きだす。神社の長い石段を慎重に降りていると、また風が吹いてきた。今度は背中をそっと押されているような優しい追い風。

階段を降りきってから、振り返って鳥居を見上げる。向きを変えたから、今度は前から生まれたての通り風のような一筋の風が顔に当たった。

向かい風か追い風か。

自分が向いている方向で風の呼び名も変わるもの。ということは、風が吹いていく先を見れば追い風。大吉のおみくじより心強いアドバイスになるかもしれない。

さて、花が咲いている場所にでも行ってみますか。笑顔を取り戻すために。

(おわり)

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