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プラントハンターを調べてみた。


プラントハンターとは(ウィキペディア)

 プラントハンターの定義を調べてみた。ここはWindowsさまから。

プラントハンター(: Plant hunter)とは、主に17世紀から20世紀中期にかけてヨーロッパで活躍した職業で、食料・香料繊維等に利用される有用植物や、観賞用植物新種を求め世界中を探索する人のこと

https://ja.wikipedia.org/wiki/

 代表的なプラントハンター(私としては大航海時代のイメージですが、検索の結果、今に続く職業のようです)として、ヒエロニムス・ボックなどがいます。ただ。話が大きくなりそうなので、それはまたの話ということで撤収(スゴスゴ)。

プラントハンターで検索

 プラントハンターを検索したら、西畑清順さんのお名前が真っ先に出てきました。2012年には「そら植物園」を設立。植物園といっても、庭園・温室(展示)ではなく活動そのものだそうです。
 西畑さんは、江戸時代より続く花と植木の卸問屋「花宇(はなう)」の5代目で「約100年前すでに、曾祖父は花の開花調整の『第一人者だったんだぞ』と聞いて育ちました」と書いてありました。「花宇」という会社は、明治元年(創業1868年という記載アリ)ごろより続く、花と植木を扱う老舗の卸問屋だそうです。大阪の川西市にあったそう。創業/実家は神戸(兵庫県)かも?

 「花宇」だけでなく、江戸時代植物関係の会社?組織?は多かったようです。植木屋・花屋・造園師、大工(庭も作った)も含め、植物で稼いでいたようです。盆栽も盛んだったし。
 ちなみに、大宮に住んでいた同級生は盆栽屋だったという記憶がある。今も川口市安行は日本4大植木産地と言われている。

 江戸時代は、趣味が豊かに花開いた時代で、サツキ(つつじ)・朝顔・鬼灯、それぞれの名前を冠した「市」が開かれるほど、大衆に支持されたようです。江戸時代は、鳥(めじろ・うぐいす・しゃもなど)や虫、金魚なども収集・展示の対象だったようですが、今では一部の方の趣味という印象。
 とはいえ。ヨーロッパのプラントハンターにとっては、宝の山だったようです。何人もの方が日本に来て、商館(商社)も複数。
 書きたいなーと野心を持って調べ始めたら、過去(まぁ、20年も前ですし)に集めた資料は一部も一部、それにずいぶんたくさん書籍も出版されていて、今浦島状態です。←私の興味は、祖父が金魚とか文鳥とかの趣味があったのが大きいです。朝顔も毎年育てて、代わり朝顔のへんちくりんであればあるほど自慢していました。

日本に来たプラントハンター1 ロバート・フォーチュン

 ロバート・フォーチュン:日本のか中国の「茶」をセイロン島に根付かせた人。日本の国民性(花好き)についての有名な言葉がある。!記事を見つけました。

 付:ロバート・フォーチュン著 幕末日本探訪記 (講談社学術文庫)

 あと数人、気になる人がいますが、調査中。

プラントハンター、日本の案内人

 プラントハンターがいい仕事をするには、案内人が不可欠のようで、たくさんのプラントハンターが現地で命を落としている。
 日本での初期の案内人に「イトー」さんという人がいたようだ。後日、彼は日本語の通訳の会長などになっている。その方が紹介された本です↓

 「イザベラ・バートと日本の旅」
 「イトー」さん、初めて知った。イザベラさんは北海道の展示で何度か拝見。彼女は旅行家でプラントハンターではないはずだけど、その案内人の方「イトー」はプラントハンターを案内して手伝い、ノーハウをもった方だそうだ。

 いつか、植物との出会いにドキドキする小説を書けたらいいなぁ。

 
 

 

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