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勉強会チャレンジ

 女子会楽し。
 そのときに昔の勉強会のときの話になって・・・。

 以前、勉強会にさそわれた(立ち上げた?)・・・参加者がそれぞれ講師役を回り持ちすることにして、はじめた、というか。ありがちだと思いますが。

 そのときの学習会で、私はたまたまスピーカー役・・・自分の担当のところを話して(報告して?)た。一つのテーマについて話し終わり、次のテーマについてすぐに話し続けたら、
「ちょっと待って、今話してくれたこと、考えるから」
と、止められた時があった。
 私は、その人の受け止めの時間を考えていなかった自分を『足りなかった』と思ったんだけど、
「その時間しか参加できなくて、全部聞いて帰りたい人もいる」
「その止めた人、家に帰ってから、もう一度やって、次回に質問を持って行った方が合理的だと思うよ」
と、何となくその時の私をフォローしてくれた。ありがとう。

 私としては、そのとき、すごく『新しい』と言われていたことを持って行ったので、相手の中に土台のない話をしてしまったという自覚があるので、止めてくれた人のことを、ありがたいと思っている。真剣に受け止めてくれた、ということだと思う。
 実際、私はその会を抜けてしまったのだけれど、その時の仲間は、会の柱でがんばっておられる。

 私が参加していたのは、シニアの勉強会で、新しいことってちょっと難しい。その時の参加者の友人で「源氏物語を聞く会」を立ち上げた人がいて、その通称『源氏会』は100人を超える集まりだと聞いた。私たちの会はCSSの初歩だったけど、5人がせいぜい。言葉一つでも、新しいことを若い人のようにすぐ覚えるというわけにはいかない。覚えたことも忘れてしまうし。
 ・・・カンブリア紀とかも・・・昔、夢中で覚えたはずなのに・・・。
 そのころはシニアの会の中で・私たちは若手で、ちょっと空転していたかもしれない。先輩方が「覚えられないのよねぇ」「躰が動かないのよねぇ」ってつぶやくようにぼやいていたの、そんなはなしが今にして、実感できる、ああ、そんな年になっちゃった。

 もう一つ、話題になったこと。
 学ぶということは、学ぶ側に受け止める土台がないと難しい。
 先生役がどんなに準備しても、何もかも教えられるわけじゃない。10のうち、9までわかっていて、そこに1を付け加える感じがちょうどいいくらい。いっぺんに10を学ぼうとしたら(新しいことを一からって感じで)、その努力は並大抵ではない。言葉を覚えて、使い方になじんで、例えば、計算とかがあるなら、繰り返し繰り返し、撃てば響くまで練習して。
 そういえばそう。
 ずいぶん挫折した。

 私って、勉強会が好きみたいだ。おしゃべり会もスキだけど、何か課題をみんなで話したり・まとめたり、できたら、新しい動きを作り出したり。
 noteを始める会とか、そういう、私の楽しいを伝える会がやりたい。
 今年学びたいこと・・・それは学ぶ会を作ること・続けること、そんなふうに思った。女子会っていいな。インスパイア―って言葉が浮かぶ。

 女子会で話しているうちに、芋づる式に記憶がよみがえってくる。
「新しいことを学ぶのって楽しいのよ、その代わり、10のうち、一つでもわかったらOKってして、あせらない」
「人に会うのが、たのしいの」
「野鳥の観察はライフワーク」
 懐かしいなぁ。みなさん、どうしていらっしゃるだろう。

 来週、私も勉強会に参加する。新しい勉強会。
 こちらは「私の楽しいを伝える会」ではない。ちゃんとした会だ。講演会で講師をされた先生がアドバイサーで参加してくださる。
 実は、今週初顔合わせだったのだけど、雪で中止になっちゃった。来週は大丈夫そうだから、気負わずに、だけど細く長く続くように・・・始めよう。

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