江戸時代の暮らしの跡(最近の学び)
昨年は、剣客商売を素材?に、江戸の町を調べてみた。
現代の地図とだいぶ違うのは、江戸の町が武家屋敷だらけだったせいもある。
お武家様は、明治維新の前後でみな、故郷へ帰って行かれたという。
あとに残ったがらんどうの御屋敷は、明治の時代を作って来た。
自然の風物(変えられた川の流れはそのままに)、坂の名前、道の名前、信仰のありどころ。今も残るものが多い。
武家屋敷もそうだが、堀も消え・・・もちろん、上下水道システムは維持されることなく近代的な上下水道が引かれた。舟運は終わり、蒸気鉄道から車社会に。
東京の町を訪れ、一瞬の感慨にふけった。
そして今年、自分の町で江戸を探している。
わが町でも、明治維新を境にいろいろと変わっているようだ。
変わらないものもある。
あるにはあるが、どうも同じとも思えない。
それに、江戸からこっち、第2次大戦だってあったのだから。
江戸の町は、寺が減った。それは徳川政権とつながっていることと大いに関係があるらしい。わが町ではほとんど変わらない。神社も寺もどうやら存続できているようなのだ。
もっとも、宅地開発に伴って、記録にないような稲荷・社・墓などは、一カ所にまとまって(もしくは知らないうちに消滅???)いる傾向がある。交通事故で子どもがなくなるとお地蔵様を立てていたようなのだが、ある場所のお地蔵さま、お祓いして消えたという。
意識して記録していないと、いろいろなものが風化する。風化しなくても陳腐化してないがしろになって、いつか、誰も知らない・・・
前を向いて生きて行くとき・・・それでいいのかもしれない。
ふと。調べて何・・・という脱力。
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