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社会教育としての情報リテラシー

 ずいぶん大きなテーマに見えると思いますが、私の問題意識はささやか・・・公教育(義務教育:小中学校)で情報教育をうけなかった私たち高齢者にとっての情報リテラシー、すでに、公民館や類似施設、自立の高齢者のための老人の家、民間(例えば、スマホを売る店等)などで行われている、情報教育について、考えてみたいと思ったのです。

 以前に投稿した、コロナワクチンを受ける際の私たち高齢者・後期高齢者の世代の混乱と戸惑いは、社会教育として行われていた情報教育が、必ずしも機能していないのではないかと思ったからです。

 ではどうしたらいいのか。
 ここが私自身の課題になると思いました。

 ただ・・・思うに、寿命という問題がある。だから、社会教育の課題として取り組む価値があるかどうか?社会教育の課題とした場合、見返りを求めない資本投下が必要になります。
 世代更新していくのだから、私たちはこのまま、自分たちの・・自助努力を促すだけにして、社会資源は、子どもたちに投下するべきじゃないか、と思います。もちろん、自助努力の過程で、公民館等のお世話になったり、公的な資源の恩恵をいただくとは思いますが。

 ここで、復習しておきたいと思います。言葉についてです。
 リテラシーを『読み書きそろばん』と同義だと教わったように記憶しています。「読み書きそろばん」は、江戸時代の初等教育機関「寺子屋」の教科をわかりやすく言ったものです。脱線しました、では。

 リテラシー(literacy)とは、語源リテラ(littera)がラテン語で文字を意味する語であるという ことから、西洋ではもともと、文字の読み書き能力のことであった。 さらに、literate とは教養 があるという意味であることから、リテラシー(literacy)とは読み書きの素養がある、と捉えることができる。

出典『新潟大学学術リポジトリ』

 もともとは、識字能力(文字を知っているかどうか?『あいうえお』を読めるかどうか、のレベル)をあらわす言葉のようで、いま、社会で使われている「リテラシー」の言葉の範囲のほうが広い気がします。

 「情報リテラシー」と言った場合、情報を扱う上での最低限の知識、そこにあつまったメンバーの共通の知識を指しているように感じます。メンバーによって、その要求水準は変わっていると思います。
 だから、小学校での、情報リテラシーと言ったら、プログラミング教育も含まれていますが、私たち高齢者の手の届くものとは思えません。
 (公教育で要求される知識と、社会教育(高齢者くくりですが)で要求される知識は違うだろうと思う。社会に出た段階で、社会生活で困らなければよい???)

 情報の知識は、「リテラシー」といえるくらい、これからの社会生活に必要なものであるという漠然としたイメージを持っています。

 この・・漠然が、イコール不安ですよね(笑)

 さて、具体的な学習内容はどうでしょう。
 自助努力するための資料は、ネットの中にたくさんあって、調べてみたら、ユーチューブ等にもたくさん教材があり、こんなにもたくさんの方がタダで教えてくださっているんだ、とおもわず感謝の気持ちが湧きました。

 別の観点からの問題意識。例えば。
 ラインを使いこなしている方が、有効なメールアドレスを持っていなくて、データ(ワード原稿や写真)を送れません。この方は、グループ活動をご一緒しています。他の方にはグループメール経由で書類等が届くので申し訳ない感じになってました。書類は、お会いした時にリーダーが印刷物で渡しています。
 ワードを使っていた方が『パソコンを処分したので、写真をデータで送れないからよろしく』とおっしゃって、原稿が手書きになり、担当者がリライトしています。
 個々にアナログ的に対応しているだけでいいのだろうか、と不安になる今日この頃。


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